暖かい手を求めていた。
この体は冷たいから、この心には何もないから。
夢を見ていた。
抱きしめられる夢を。掴めそうで掴めなかった感覚を捉える、夢を。
中川に促されて学校の外に出たとき、もう雨は上がっていた。湿った空気が立ち込める中、俺は一つ呼吸をした。喉に冷えた空気が入った。
中川は空を見上げる。俺は中川が向いたほうを同じように見つめる。ただ、薄青い空がそこに広がっていた。青黒い雲がいくつか浮かんでいた。
中川は、いったい何が面白くて空を眺めるのだろう。よくわからない。
「きれいでしょ?」
「…そういうものなのか?」
すぐに返答すると、中川はくすっと笑った。中川の笑顔の理由が俺には理解出来なかった。触れた指に感じる感覚がすり抜けるようにそれは一瞬で消えてしまうほど儚い。やわやわと押し寄せる感覚を打ち消そうとしてこめかみに触れた。静かにその感覚は消え失せた。
中川が軽く笑んでこちらを見つめてきた。彼女の指先が雨で湿った葉をそっと撫ぜるのが見えた。雫がぽたりと落ちて水溜りに消えた。
「俺には、時々、何が正しいのかよくわからなくなるよ。こうして触れている感覚すらも」
綺麗と感じる心も、触れた指の冷たさも、俺には理解しがたいものだ。
中川は少しだけ困ったように首を傾げた後、俺の傍まで来て、言った。
「さわってごらんよ、桐山くん。冷たいから」
中川に促されるまま、俺は翠の葉に触れた。冷たかった。染み渡る感覚が指を撫ぜた。
「冷たい」
俺は感じたままの気持ちを素直に述べた。触れた葉は露を含んで冷たかった。
「見たまま、感じるままを、言葉にするのはとても難しいことね」
中川が軽く俯いてもう一度葉を撫ぜた。
「桐山くんも、きっとそう。何かを感じているけれど、それをあたしに伝えることが難しいんだわ」
…そういう、ものなのかな。
「中川は今、何を感じているのかな?」
俺は浮かんだ疑問を口に出す。
「そうね、少し、どきどきしているわ」
中川はふわりと笑って俺を見上げた。俺はその中川をただ黙って見つめた。
「桐山くん、また雨が降るわ。もう帰りましょう」
「…あぁ」
中川は踵を返した。さらりと音を立てそうな、艶やかな黒髪が湿った雨上がりの風に揺れた。
彼女のセーラー服の後姿が眩しく見えたのは、いつごろからだっただろうか。
多分そう、彼女と話した、その瞬間から。
「…中川。」
なあに?と振り返ったその唇に、そっと自分のそれを重ねたい衝動に駆られたが、言い知れぬ何かが邪魔をしてそれを断念した。こめかみがちりっと疼いた。
彼女を感覚で捕らえるにはまだまだ時間がかかるらしい。
おわり
2006年6月21日
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