Rain drop

「あ...雨降ってきた」
放課後の帰り道。
は空を見上げて、呟いた。
一緒に歩いていた桐山も足を止めて、やはり空を見上げた。
ほんの少し訝しげに首を捻る。
「天気予報では曇りの筈だったんだが」
「はずれたみたいだね」
気難しそうな顔をする桐山に、 は微笑して言った。

はじめは小降りだった雨はだんだんと勢いを増してゆく。
二人はともに傘を用意していなかった。
「走って帰ろうか、和雄」
は桐山の方を見て、そう尋ねた。
雨に濡れて、少し崩れ始めている桐山のオールバックを、そっと手を伸ばして直してやりながら。
「いや」
桐山は表情を変えないまま、その の手を取ると、自分の少し前方に見える雑貨店へと向けた。
「あそこで傘を買う」
「え?でもすぐそこだし、大丈夫じゃない?」
を濡らしたくない」
「...」

もそう言われては断る理由が思い浮かばなかった。
桐山に手を引かれ、 は桐山と一緒にその雑貨店へと入った。

ごくシンプルなデザインの傘を手に、桐山はレジに並んだ。
そこで桐山が迷うことなく財布から一万円札を出すのを見て、 は苦笑した。


外に出ると、雨はどしゃぶりになっていた。
桐山がぱっと傘を広げる。
は桐山の隣に並んでその傘に入る。

そうして二人で、歩き出した。

雨が地面を叩く音がする。
いつもより人通りが少ないせいか、かえって静かな気がした。
雨音だけが響いている。
桐山はあまり喋らないのが普通で、会話を始めるのはたいてい のほうからだった。
その も今日は黙っている。

二人とも話さない。
けれどそれは少しも気まずい沈黙ではなかった。
「和雄」
「どうした?」
が少し驚いたような声で桐山を呼ぶ。
桐山はそっと視線を の方へと落とした。
「肩...濡れちゃってる」
に指摘されてやっと気がついたとでも言う風に、桐山は僅かに目を細め、自分の左肩に手を触れた。

一人用の傘に二人が入るのは、やはり少し無理があるようで。
今まで桐山は自分の入る場所を減らしてくれていたのだ。
がそれで自分も傘から少し身体をずらそうとしたが、桐山に止められた。
「気にする事は無い。すぐそこなのだから」

桐山は淡々と言った。
はちょっと戸惑ったような表情になる。
「言ってる事、矛盾してるよ。和雄」
「そうだったかな?」
桐山は不思議そうに首を捻った。

雨は一定の間隔で降り続けた。

「くしゅん」
桐山が小さくくしゃみをした。

「やっぱ冷えちゃったんだ...平気?和雄」
「あぁ」
「早く帰って、あったかい飲み物でも飲もっか」
「ああ。悪くないな」

のマンションが見えて来た。

「和雄、ちょっと待ってて」
が大急ぎで部屋の奥へと走っていく。
やがてタオルを抱えて戻り、濡れてしまった桐山の頭を拭いてやった。
それですっかりオールバックは崩れてしまったが、もう家にいるので問題はないだろう。

「もう濡れてるとこないよね?」
がそう尋ねると、桐山はそっと目を伏せ、それから のほうをじっと見て、言った。

が、まだ濡れている」
「え?私は平気だよ?」
「貸してくれ」
桐山はそっと からタオルを受け取ると、 の頭を丁寧に拭いてくれた。

「ありがと、和雄」
が微笑むと、桐山は黙って頷いた。

リビングへと向かう途中、 は桐山を見上げて、言った。

「和雄、制服貸して。乾かすから」
「ああ、すまないな」
桐山は急いだ風もなく学生服のボタンを外してゆき、やがてそれを脱いで
に渡した。
は桐山から学生服を受け取ると、「じゃあちょっと置いてくるから、座って待っててね」
と桐山に声をかけた。
「あぁ」
桐山は の言葉に従い、リビングの方へと歩いて行った。


桐山の学生服はすっかり湿って、重くなっていた。
はそれを大切そうにハンガーにかけた。
「乾くの、時間かかりそうだね」
ぽつりとそう呟いた。

その足でそのままキッチンへと向かった。
そこでお湯を沸かして、ティ―ポットに紅茶の葉を入れる。
程よく色が出たところで、それをカップに注ぐ。
ミルクを少しと、砂糖を小さじ二杯。
「和雄も二杯で良かったかな...」
桐山にも自分と同じミルクティーを入れてあげた。
桐山は意外と甘い物が好きなのを は知っている。
あとでクッキーも出してあげようかな、ぼんやりと はそう考えた。




「和雄ー」
「なんだ」
あれからどれ位の時間が経っただろう。
ソファに二人は並んで座って居た。
机の上には空になったティーカップが二つ。

「もう夕方だけど」
「そうか」
桐山は にもたれかかって、目を閉じていた。
はそんな桐山の頭をそっと撫でながら、桐山を見詰めた。
このままでは眠ってしまいかねない。
「和雄、もう帰らないと大変でしょ」

桐山は黙っている。
目を閉じたまま、黙っている。
「...和雄」
起きているのは分かっているのだ。
は桐山を困った様な顔をして見つめた。

その時。
動かなかった桐山が、急に目を開けて、 をじっと見た。
突然の事に驚く の方を向き、桐山は をぎゅっと抱きしめた。

「和雄」
「帰りたくない」

ははっとした。
桐山の声はいつもより心なしか弱々しく聴こえた。
桐山は を抱きしめる手に力を篭めて、言った。
「俺はずっとこうして、 のそばに居たい」

は少しの間の後、その桐山の背中に優しく手を回して、抱き寄せた。
「私だって...帰って欲しくないけど」
桐山の背中をそっと撫ぜた。
「また、いつでも会えるんだから。ね?」

桐山は顔を上げた。
とても綺麗な、真っ黒な瞳でじっと を見詰める。
がそれで少しだけ戸惑っていると、桐山はすっと の頬に顔を寄せた。
柔らかい何かが頬に触れた。

「...ちょっと、和雄」
「ああ、そうだな。いつでも会える」
桐山はもう一度、 を大切そうに抱きしめた。
はそんな桐山の胸に、黙って顔を埋めた。
桐山の腕の中はとても温かくて―居心地が良かった。



「雨、やんだね」
「ああ」
桐山に学生服を羽織らせてやりながら、 は桐山に微笑みかけた。
桐山はそんな を見て―どこか穏やかな表情をその顔に浮かべた。

「何?」

桐山は学生服のボタンを留めながら、 を見て、言った。
「また雨が降ると良いな」
「え?」
「何だか今日は といつもより一緒に居られた様な気がしたんだ。だから」

桐山は淡々とそう言った。
はその桐山の言葉にちょっとだけ驚いた顔をした後―再び微笑んだ。
「そっか。...そうかもね」

梅雨だから、これから雨降る日ばっかだと思うけど。
でもそう考えたら―全然、嫌な気はしない。

「送ってこうか?和雄」
がそう訊くと、桐山はゆっくりと頷いた。
それから桐山の家のすぐ近くまで、二人で手を繋いで歩いた。

雨上がりの空には綺麗な虹がかかっていた。



おわり