My favorite
図書室に来るのは好きだった。
新しい本から古い本まで、時間を忘れて読み耽る。
司書の先生と面白い本について話すのも、楽しみのひとつ。
別の目的が加わったのは、つい最近の事。
城岩町立城岩中学校の図書室は、公立の中学校にしては珍しく、大変充実したものであった。
蔵書数はもちろんのこと、貸し出しにコンピュータを取り入れるなど、近隣の中学に先駆けた技術の導入に、学校側は意欲的であった。
他の施設は随分と老朽化が進んでいるものがほとんどであるが、この学校の三年B組に所属する
は充分満足していた。
この春、三年進級と同時に図書委員という役職に就いた
は、ほとんど毎日の様に図書室に足を運んだ。司書に顔を覚えられてしまうほどの常連ぶり。友達を伴って来る事がほとんどであったが、一人でもよく来た。与えられた仕事以外でも、必要があれば手伝った。元々本も図書室の雰囲気も好きだったので、
にとってそれは苦にならなかった。
しかし最近、気がかりな事がひとつ出来た。
…また来てる…。
返却された本を棚に戻しながら、
はちらりと窓際のテーブルに視線を移した。
そこには恐ろしいほど整った容姿に、冴え冴えと冷たい瞳を持つ少年がひとり、ぽつりと座って本を読んでいる。
と同じ三年B組に所属する男子、桐山和雄であった。
知的で物静かな雰囲気を備えた彼は、図書室という空間に充分溶け込んでいたのだが、彼に関する穏やかでない噂が
の胸を騒がせた。
全教科において学年トップの成績を収め、一部上場企業の社長の御曹司という優雅な出自を持つ彼は、その一方で、地元では知らぬものなどいないほどの、有名な不良グループ―「桐山ファミリー」のリーダーと言う肩書きも備えていた。その強さはほとんど伝説となっていて、高校生ですら恐れて手を出さないという。
―見た感じ、全然そんな感じしないけど。
教室でも、ここ図書室でも、
は一度たりとて桐山が騒ぎを起こす場面というものを見た事が無かった。名家の子女に相応しく、気品に満ちた立居振舞。けっして身体も大きくは無く、せいぜいクラスメイトの七原秋也と同じ位の中背で、やや細身の体型。とても喧嘩慣れしているようには見えない。ただ、漆黒の髪をきちんとオールバックに固め、沼井充、笹川竜平、黒長博、月岡彰と言った取巻き連中を連れて歩くその姿はやはり威圧的であり、
はその他大勢の女子たち、または男子たちがとっているのと同じ様に、「なるべく関わらない」姿勢を貫いてきたのだ。今までは。
ふいに、手元の本から桐山が視線を持ち上げた。
新月の闇を彷彿とさせる瞳。
手を止めて、ぼんやりと桐山を見詰めていた
は、慌てて目を逸らした。
…どうしよう…目合っちゃった…。
必死に作業に集中しようとするが、背中の視線が気になってうまくいかない。
最近、いつもこうだ。
放課後、
が本の貸し出しを任されているときはいつも、桐山和雄がやって来て、本を読んでいる。
閉館時間までずっと。
そんな時間まで図書館に入り浸る生徒は他にいない。必然、
は桐山と二人きりになってしまうのだ。
は気が気でない。
もし桐山の機嫌を損ねるような真似をしてしまったら、逃げようが無いではないか。
今日も無事に済みますように…。
心の中で手を合わせながら、
は作業に集中している振りをする。
だが、桐山はまだこちらを見ている様だった。
それを無理に思考の隅に追いやり、
は少し高めの位置に置かれた、横倒しになった本を元に戻そうと背伸びした。
の身長から言えば椅子を使ったほうが無難なのだが、今はその手間もかけたくなかったので。
しかしその
にも、予想外のハプニングが起こったのは、それからすぐのことだった。
前に借りたものの仕舞い方が悪かったらしく、突き出していた分厚い本が、
が触れた拍子に飛び出して来た。
今にも落ちそうになっているのに、ほかの事に気を取られた
は気がつかなかった。
それがぐらぐらと揺れ―ついに、本棚を離れて落下してくる。
ほんの一呼吸の間の出来事だった。
「危ない」
「―え?」
さして低くも無いのに―不思議な威圧感を持った声が
の耳に響いた。
続いて、軽く右肩を掴まれ、引き寄せられる。
何が起こったのかわからなかった。
ただ、目の前にばさり、と音を立てて落ちた本と。
右肩に、背中に優しく触れた温かさと。
振り向いた先にあったー、とても、とても綺麗な彼の顔。
はそれだけを知覚した。
「どうして助けてくれたのかな…」
次の日の放課後。
カウンターに腰を下ろしながら、
はぼんやりと考えた。
今となってはもう、あの出来事は夢だったのではないかと思い始めた。
あの後、彼は
にちゃんとお礼を言う時間も与えぬまま去ってしまった。
桐山和雄。社長の息子。不良のリーダー。
とは、住む世界のまるで違う人。
あの時、彼が助けてくれなかったら、どうなっていただろう。
ちゃんと彼が。―見てくれていなかったら。
その事に思考を巡らせると、頬が自然と熱くなってくるようであった。
初めて間近で見た、整った彼の顔を想った。耳の近くで囁かれた、どこか甘く、切ない声を。
…気まぐれだったのかも知れないし!
甘い自分の期待を遮るように、
は軽く自分の頬を叩いた。
しかしまたすぐに桐山の事を考えてしまう。今日、彼はまだ姿を現しては居なかった。それが妙に寂しく感じられた。昨日まではあんなに恐れていたのが嘘のようであった。
それから暫く、貸し出しの仕事を続けた。
やけに生徒が多かった。どうやら、課題が出されていたようで。
相変わらず姿を現さない桐山に思いを馳せつつ、作業に従事していた時だった。
「あーあ、やってらんねえよな、本読んで感想書けとかよ」
突如響いた野太い声に、
ははっとして顔を上げた。そして自分の顔から血の気が引くのを感じた。
やかましい足音を立て、図書室に入って来たのは隣のクラスの不良グループだった。金髪に染めた髪を不自然に立てたリーダー格の少年を筆頭に、五人。彼らがやってくると、静かに本を読んでいた生徒もこそこそと席を立った。乱暴に椅子を引いて彼らは座った。それからすぐに下卑た感じの話題で盛り上がり始める。
―どうしよう…。
以前、ほとんど一人でやって来る桐山を、やはりB組に属する桐山ファミリーのメンバー達が迎えに来た事があったが、彼らはこんなに常識の外れた真似はしなかったものだ。しかし今ここに居る不良たちは周りの迷惑を考えずに騒いでいる。
が困っていると、いかにも優等生らしい瓶底眼鏡をかけた男子がカウンターに近づいてきて、言った。
「ちょっとあんた、図書委員ならなんとか言ってくれよ」
はっきりと「黙らせろ」とは言わない。けれど彼の言い分は他の生徒達の気持ちを代弁しているようであった。だが誰も怖くて表立って抗議できないで居るのだ。
「…はい」
は断りきれなかった。
震える足で立ち上がり、不良たちのほうへと向かう。司書は生憎留守であったので、今は
が一人で立ち向かわねばならなかった。
間近で見る不良たちは煙草臭かった。少しでも気に触れる真似をすれば女子だろうと手加減はしない、そんな凶暴さを秘めているような品の無い目。まるで獣の様な。同じ不良でも、桐山ファミリーの皆のほうが余程いい人たちに見える。
「…あの」
「ああ?」
位置関係から言って、一番下っ端と思われる男子が、近づいて声をかけた
を威嚇するように睨みつけた。それだけで、
は身も凍るような気分を味わった。
「…少し…静かにしてください」
消え入りそうな声を出した。男子は意地悪く笑って、
「ああ?聞こえねえなあ、もういっぺん言ってみろよ」
ずい、と身を乗り出して
を見詰めて言った。身長は
の頭一個分は上にあり、やや太り気味な体格も
を威圧するのに一役買っていた。
は後ずさった。下手に勇気を出した事が悔やまれた。
「おいおい、女いじめてみっともねえぞー」
後ろのリーダー格の男が愉快そうに言う。言葉とは裏腹に、止めるつもりは毛頭ないようであった。
「少し…」
「静かにしてくれないか」
聞き覚えのある、少し冷たい感じの声が、
の後ろから凛と響いた。
―え?
一瞬、
も、
を威嚇していた男子も虚を付かれた様に固まった。
突然、
の前に黒い学生服の背中、後ろ髪を伸ばした特徴的なオールバックの後姿が現れて、
の視線を塞いだ。
まるで
を庇うかのように。
それまで威勢の良かった男子は「ひっ」と声にならない声を上げ、後ずさった。
桐山はその男を冷たく一瞥した後、リーダー格の男の方に視線を移した。
彼は下っ端の男同様震え上がっていた。
冷や汗を浮かべながら、無理に笑顔を作って、言った。
「き、桐山さん…悪い…あんたの女だとはちっとも知らなくてさ…」
「………」
桐山はしかし、媚びるようにそうのたまった男に対し何の言葉も発することはなかった。
ただ、彼の視線は男たちに「ここを去れ」と命じていた。
「す、すまねえ、おい、てめえら、行くぞ!」
リーダーは狼狽するようにそう言い、椅子から立ち上がった。慌てて図書室を出て行く。後に続く男たちは、一度もこちらを振り返らなかった。
は桐山の後ろから、事の一部始終を見守っていたが、桐山がふいに此方を振り向いたので、びくっと身体を強張らせた。
「………」
桐山は全くの無表情で
を見詰めた。
桐山と目が合い、
はほんのりと頬を紅く染めた。
…夢じゃない。また、桐山くんが助けてくれた…。
目の前の美しい少年が、今確かに自分を見てくれている事を思い、
は胸が高鳴るような気持ちになった。
「あ、ありがとう…助けてくれて」
「いや」
桐山はそう一言だけ言うと、
に背を向けた。
―え?
の甘い気分を断ち切るように、桐山は去っていく。
昨日と同じく。
足の速い桐山が図書室の扉に手をかけるのに、さして時間は要らなかった。
「―待って!」
今にも消えてしまいそうな後姿を追って、
は桐山を呼び止めた。
「…どうした?」
図書室をすぐ出たところで、桐山は立ち止まり、
のほうを振り返った。
思いのほか穏やかな声。先ほど強面の不良たちを撃退したとは思えぬほどに。
は一度呼吸を整えるように深呼吸してから、声を出した。
「ねえ、桐山くん。どうして私を助けてくれたの?」
こんな事を聞くのは差し出がましい事かも知れない。
けれど
は尋ねずには居られなかった。―たとえ、彼にとってほんの気まぐれに過ぎなくても。
桐山和雄は、無表情で、頬を紅潮させた
を見詰めた。
その深い漆黒の瞳からは、彼の心情を読み取る事は叶わなかった。
桐山は口を開いた。
「…俺は、
が気になるから」
「え?」
全く感情の篭もらぬ声が紡いだ言葉があまりに意外で、
はびっくりした様に聞き返してしまった。
桐山は表情を変えずに続けた。
「
をずっと見ていたくて、図書室に来ていた。だが、
は俺が嫌いなのだと思ったから。声をかけずに居た」
淡々とした声。
「…え?どうして?そんなことないよ!」
「俺が来ると、いつもおびえていた」
戸惑う
に、桐山は特に変わらぬ調子の声で答える。
は胸をつかれる様な気がした。確かに自分は今まで、桐山を恐れ、避けていた。
けれど桐山がそれを気にしていたなんて、考えた事もなかった。
「ごめん…私…桐山くんがそんな事思ってたなんて考えた事無くて」
は俯き、桐山に謝った。どうしていつも目が合っていたのか。桐山はいつも自分を見てくれていたのだ。
桐山は黙って、そんな
を見詰めていたが、やがて腰を屈め、
の顔を覗き込むようにして、言った。
「では
は…俺の事を嫌っているわけではないのかな」
「う、うん!」
は慌てて頷いた。桐山の顔が近くにあり過ぎて、どきどきした。
「そうか」
桐山はそっと目を伏せた。長い睫。造作のひとつひとつが繊細で美しいその顔が、ほんの少しほころんだかのように見えた。
「それは…よかった」
笑っている訳でもないのに。
とても、優しい表情だった。そんな桐山の顔を、
は初めて見た。
図書室に来るのは好きだ。
本を読む事は勿論。司書の先生も。落ち着ける雰囲気も。
全てが身に馴染んで心地良い。
でも、もっと好きなのは。
「和雄、何の本読んでるの」
「…これだ」
「…面白いの?」
「興味があったから、読んでいるだけだ」
「………」
いつも
には読めないような分厚い本を、気難しい顔で読んでいる。
とても綺麗なこの人と、一緒に居られる、この時間。
友達以外に、一人で来る以外に、
は桐山と一緒に本を読んで過ごすようになった。
彼との間にあった見えない壁が壊れるのに、さして時間はかからなかった。
「…
」
「何?和雄」
彼以外に読む生徒は皆無かと思われる、英語の原書から顔を上げ、桐山は
に訊ねた。
「今度、
が面白いと思う本を教えてくれないか?」
「いいよ」
まっすぐな彼の視線に笑顔で応える。
自分に近づこうとしてくれている桐山の気持ちが嬉しくて―
はそっと桐山に身を寄せた。
もう少しも怖くない。何時の間にか、大好きになっていた彼に。
おわり
後書き+++++
1周年記念リク、最後を飾るのは桐山夢で、艶紅雅様より「主人公は3年B組の図書委員、という設定で。
不良のボスである桐山を主人公は怖がっていたんだけど、ある日の放課後図書室で二人きりになって、主人公が返却された本を元の棚に戻そうとしたら、桐山が手伝ってくれて、桐山に対する考えが変わった…」というシチュエーションでのリクエストでした。…ちょっとリク内容からずれている気がしなくもない(汗。
桐山と図書館って合いますよね。静かだし知的だし…。しかし不良登場させてしまった…。
久し振りに恋人になる前の桐山と主人公の短編を書いた気がします。
艶紅様、リクありがとうございました。これからもよろしくお願い致します。
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