桜
桐山和雄の住む広大な屋敷の敷地内には、一本の桜があった。
その桜は毎年、城岩町のどの桜よりも早く花をつけた。
それを心待ちにする者が、たとえ誰も居なくても。
きちんと毎年、美しい花を咲かせ続けた。
「和雄ー」
「なんだ」
二人で並んで歩いている時、は桐山を見上げるようにして、言った。
「春なのに、なかなかあったかくならないね」
「ああ」
春休みになってから、桐山とは頻繁に会っていた。
学年末のテストに追われていた時は、桐山につききりで勉強を教えてもらったりもしたが、
そんな時期も過ぎて、今は休みの解放感に思い切り浸っていられた。
春休みが明けると、も桐山もいよいよ受験生になってしまう。それまでの束の間の休息。
「お花見とか、したかったのにな」
は残念そうに、どんよりと曇った空を見上げた。
三月も半ばを過ぎたというのに、肌寒い日ばかりが続いていた。
時折雨まで降った。外に出るのも憂鬱になってしまう天気。
桜の開花時期も、例年より遅くなってしまいそうだった。
「…桜が見たいのか」
吹き付ける風に晒され、冷えてしまったの手を暖めるように、そっと自分の手で包み込んでから、
桐山はに尋ねた。
「うん。あのね、桜が咲く頃になるとね、たくさん夜店とか出るんだよ。わたあめとかさくらんぼとか…夏祭りの時みたいに。毎年楽しみにしてたんだ」
目を輝かせながらそこまで言って、ははっとしたように頬を染めた。
「…今、色気より食い気だな、とか思った?」
「いや」
桐山は軽く首を振り、僅かに目を細めて、言った。
「が楽しみにしていることなら、そういうのも悪くないんじゃないか」
見慣れた無表情に、どこか優しいものが含まれているように感じて、はどきりとした。
桐山と付き合うようになってから大分経つけれど、最初に比べて随分と彼は感情表現豊かになったように思う。
はっきりとした表情の変化こそ見せないが、雰囲気でそれは十分に伝わってきた。
彼はに心を許しているようだった。
「でも、私ちゃんと桜も好きだよ。何か見てると嬉しくなる」
は桐山の手を握り返して、言った。
「そういうものなのかい?」
「うん、私はそう思う。綺麗だし…和雄はそう思ったことない?」
「俺には……よく、わからないな」
桐山は顎を持ち上げて、呟いた。
美しく整った顔立ちに、どこか哀しそうな、憂いの影がさしたように見えた。
は、そんな桐山の顔を見て、ずきんと胸が痛むのを感じた。
「で、でもさ。感じ方とか人それぞれだしさ」
慌ててそう言うと、桐山はじっとを見詰めた。
はまたどきりとした。
「…そうだな」
桐山は静かな声で言い、そっとの頭に手を乗せた。
「…桜」
桐山が、思いついたように言った。
「俺の家の桜は、もう咲いている」
「ほんと?」
は、びっくりしたように桐山を見上げた。
桐山はそれに頷いた。
「毎年…早く咲くんだ。良かったら観に来ないか?」
「え?…でも、私が行っていいの?家…」
「構わない。父は暫く留守にしているから」
はぱっと目を輝かせた。
桐山はそのを、相変わらず静かな、しかしとても優しそうな顔で見詰めた。
まるでが喜んでくれるのが何よりも嬉しい、とでもいうふうに。
その日、二人は並んで桐山家の門をくぐった。
父親の居ない間、桐山が自由で居られる、僅かな時。
広大な庭園の中、は桐山に連れられて歩いた。
手入れの行き届いた庭木、素晴らしい彫刻が、通路の脇に並んでいた。
「すごいねえ…」
はそれらを見るたび、驚いたり見とれたりしたのだが、桐山のほうは全くの無関心で、ただただ道を進んでいくだけだった。
見慣れてしまっているせいだろうか。
俺には……よく、わからないな。
ふと、先ほど桐山が口にした言葉が脳裏によみがえった。
ー和雄。
こういうの観て、やっぱり綺麗だとか、思わないのかな。…少しも。
そういうのって、何だか寂しくない?
は桐山のほうを見上げようとして、しかしすぐに戻した。
の思惑など全く知らぬかのように、桐山は相変わらずの無表情で歩いていた。
「ここだ」
庭園の外れ、その木は一本だけ、ぽつんと寂しげに立っていた。
かなりの樹齢らしく、幹の表面はごつごつとして、苔むしていた。
けれど長く伸びた枝の先には、零れそうなくらい、たくさんの薄桃色の花がついていた。
「すっごい、もうこんなに咲いてる!」
は感嘆の声を上げた。
人工的な印象を受けた他の木々とは異なり、この木だけは自然の姿を保っているように見えた。
言い換えれば、この木だけが手付かずで放置されているともとれるのだが。
脇にあった木製のベンチに二人で腰を下ろした。
花弁が、ふわりと落ちてきた。
「綺麗…」
てのひらに、それをそっと載せては言った。
とても嬉しそうなその様子に、桐山もどこか安心したような顔をした。
「なんかさ、この木だけ他の木より古いみたいだね」
「…あぁ」
の言葉に頷き、桐山は桜の木を見上げた。
「俺がここに来る前…この屋敷を建てる時に、以前生えていた他の木は全て切ったらしい。だが、この木だけはまだ寒いうちから花をつけていて、力強く根を張っていた。だから、この木だけは残しておいたようだ」
「…ふうん」
「良く分からないが…昔から、この木の傍に来ると落ちつける気がした」
そっと目を伏せて、桐山は言った。
桐山の方に身を寄せて、も桜を見上げた。
…少し、安心した。
ちゃんと桐山にも、特別な何かを想う気持ちが備わっているのだと解釈して。
「この木、和雄のこと小さいうちからずっと見てきたんだね」
「そういうことになるな」
桐山の方に視線を移し、彼の肩に頬を寄せると、そのまま抱き寄せられて、何だか気恥ずかしい気持ちになる。
こんな庭の外れまで、誰もやっては来ないだろうけれど。
「和雄の家の、守り神みたいだね」
はそう言ってから、再び桜を見上げた。
満開の花。生命に満ち溢れた木は、自分の知らない桐山のことも見てきたのだ。
「この桜を…に見せたいと、思ったんだ」
桐山は、呟くように言った。
はほんの少し目を丸くし、それから優しく微笑んだ。
「ありがとう、和雄」
桐山が、きっと彼にとって大切な場所に、自分を連れてきてくれたことが、何だかとても嬉しかった。
「また、和雄とこんなふうにこの桜観たいな。来年も、その次の年も。ずっと」
桐山に身を寄せて言うと、強く抱きしめられた。
「…そうだな」
ようやく出てきた日差しの下、暖かい風が吹き抜けて、花弁がまたはらはらと舞い落ちた。
本当の春は、もうすぐそこまでやって来ているようだった。
おわり
後書き
桐山夢、三ヶ月振りに更新。
リハビリ中ですが、甘めで。一応付き合ってるということで。
桐山が桜見て落ち着くとか、ありえないんですけど。
「Castle Imitation」の設定みたく、桐山が今住んでいる屋敷がある場所は元は彼の本当の両親が住んでいた場所ということにしてあります。
桜は唯一残っている、桐山の両親の思い出の木とか…。
書きたかったんですけど上手く書けませんでした。
戻る