ぞっとするくらい、その顔がきれいで、消えてしまいそうに儚かったのを、覚えている。
あさきゆめみし
「」
桐山が手を伸ばした。人ごみの中で、その声は凛と響いた。
「行こう、。」
はその手に触れた。
ひやりと冷たかった。
思わず手を引っ込めかけた。その手を桐山はぎゅっと握った。強い力で。
夏祭りの日、初デートにしては些か大胆すぎる行動に出た桐山を、は息をひそめて見ていた。
中学二年生の夏の出来事。
数多くある思い出の中でも、もっとも大切な、思い出。
高校三年生の夏休みに入ったばかりのその日、は高熱に襲われていた。
母親が蒼い顔をして病院の先生を訪ねたが、原因は不明だという。
…この熱だと、…私死んじゃうかもなぁ…
洒落にならない事を考えたりもした。
下がらない熱。がんがんと痛む頭。体中がだるかった。
―。
自分を呼ぶ声に、熱に浮かされたはうっすらと目を開けて反応した。
額に冷たい感覚があった。
「…和雄…迎えにきた、の?……」
自分の額に手を当てているのが、三年前に「プログラム」で死んだ恋人、桐山和雄であることをはぼんやりとだが理解した。
「………」
桐山は答えず、黙っていた。
彼の手はひやりと冷たかった。
「……いいよ、和雄。…連れて行って…」
三年前、涙が枯れ果てるんじゃないかというくらい泣いた事を思い出した。
喪失感に襲われて、いっそ後を追ってやろうかと思ったくらい。
桐山はいつだって、を支えてくれた。
その支えを失って、は壊れてしまいそうになった。いや、実際に壊れていたのかもしれない。
…何度も命を断とうと思ったことがあった。
ひたひたと迫りくる「死」の影、しかしそれは怖いものではなかった。いつのまにか、そうなっていた。
「和雄ー、何か言ってよ…どうして、黙ってるの?」
…。はまだ生きなくてはならない。
桐山が、僅かに聞き取れるほど小さな声で、そう言ったのを、は聞いた。
和雄。…
いつしかは桐山の頭―こめかみのあたりを優しく撫でていた。
桐山はどこか心地よさそうな顔をしていた。
いつも、はこうしてあげるのが好きだったし、桐山も悪くないようだった。
冷たいね、と言いかけたは、そこで言葉を失った。
指先に紅い液体が付着していた。
桐山の息が上がっていた、…いつの間にか。
綺麗な顔の半分が、紅く染まっていた。
「いやっ…いやああっ…」
思わず声を上げたに、桐山は身を起こして、そのまま、その左手で自分の顔左半分を覆った。
…すまない。
小さな声がした。
この世のものならざる桐山は、もうの手の届かない所へ行ってしまって、帰ってこられないのだ。
それを理解したとき、は途方もない恐怖と、さびしさとを同時に感じた。
荒く息をついて、自分の手を見詰めると、付着していた紅い血液は消えていた。
目の前に、相変わらず静かな表情を崩さない桐山が居た。
血に塗れていた左半分の顔も、神の造形のように美しい姿を取り戻していた。
―本当は、連れて行ってしまいたかった。だが、やはり、は生きていなければいけないんだ。
「…え?」
その綺麗な顔がすぐ目の前まで迫っていたのに、は気がつかなかった。
冷たい唇が、のそれに重なった。
その瞬間に目が覚めた。けだるい自分のベッドの中で。
額には冷たいタオルが置かれていた。はあっとは溜息をついた。
ベッド横のカレンダーに目を移す。
「お盆だったね。…そういえば」
頬を伝う涙を、は拭くこともなく、ただただ泣いた。
そっちはどう?…沼井くんたちとうまくやってる?
ねえ、心配したから、来てくれたの?
この空を越えて、いつか、越えて行ける日が来たら、そうしたらまた会える?貴方に?
夏の空は、限りなく青かった。
手を伸ばしても届かない。遠く、遠い空。
―和雄。
あと何回の季節を廻れば、私は貴方に会えるだろう。
あなたが言ったように、ちゃんと、生きていればまた、会えるかなぁ?
おわり
戻る