「ずっと、一緒にいて」
 「ああ、わかっている」

 桐山はいつも、と交わした約束を破ったことはなかった。

 銀の指輪をの左薬指にはめて、桐山は誓いを立てた。

 ―を愛す。…永遠に。



 


 中学三年生に進級してから、と桐山は一緒に過ごす時間が増えた。
 
 以前ならよく学校を休んでいた桐山が、欠かさず登校してくるようになったのだ。

 
 「…喧嘩じゃないなら、どこでこんな怪我してくるんだろうね、和雄」

 桐山の奇麗な、長い指に細く刻まれた傷。はそれを塞ぐように絆創膏を貼った。
 昼休みの屋上は二人の逢瀬の場だった。邪魔する者は誰もいない。
 
 桐山ファミリーの面々も、二人の間に割って入るような真似はしなかった。
 沼井充は、自分だけの桐山を取られたようで、ほんの少し寂しい気持ちを味わったけれど、同じクラスの金井泉に自分が抱いているような、
 温かい情を、彼が持ってくれたのならそれ以上の幸せはなかった。

 桐山は、丸二年付き合いのある充にすら、生の感情を見せたことがなかったから。

 「―
 「え?」
 
 呼ばれて、顔を上げたの頬に、桐山はそっと口づけた。
 はほんの少し顔を紅く染めてから、お返しのように桐山の額に口づけた。

 幸せそうに笑うを見詰める、桐山の無表情の顔もどこか穏やかだった。

 二人は手を繋いで、夕焼けの帰り道を歩いた。
 その両の左手の薬指には、銀の指輪が光っている。

 二人の「約束」のあかし。





 桐山は五月二十三日の夕方、一人きりで立ち上って行く煙を見上げていた。

 地平線に、紅い夕日が沈みかけていた。

 火にあたっていた桐山は、すっと立ち上がった。

 途端に、腹部にずしりと重い痛みが走った。桐山は目を閉じて、そこをさすった。
 再び空を仰ぐ。彼の顔は、とても綺麗だったけれど、どこか哀しそうだった。

 


 同じ時刻、は三年C組の他の女子と土産物屋を回っていた。

 「、その指輪どうしたの?すごくきれい」
 「…もらったんだ」
 「桐山くんからでしょ。今頃どうしてるかねぇ」
 「……うん」

 は桐山が、どこか遠くへ行ってしまうような、そんな悲しい予感がしていた。
 彼は、ここ九州でない別の場所にいるような気がして。

 
 がしゃん。ばん。どぉん。

 銃声がして、桐山の乗ったライトバンは穴だらけになった。





 「…。約束だ。ずっと、一緒にいる」




 桐山は血まみれになった左手を、ぎゅっと握りしめた。
 との約束のあかしの指輪もまた、紅く染まっていた。


 ―

 待っていてくれ。もう少し、あと少し、だから。

 
 

 は夕焼けの空を見上げた。いつかの帰り道、桐山と一緒に見た空と同じように、それはとてもとても綺麗な夕日だった。



 ばん。


 銃を構えた桐山は、自分の顔のほぼ中央に近い部分を捉えた(そう、高く通った鼻の横のあたり)銃弾の存在に、気がつかなかった。
 否、気付けなかった。

 最後に、彼は左手をぎゅっと握りしめた。



 「…和雄」

 は不安そうな顔で空を見ていた。


 




 ***






 「典子、お前、何してんだよ!」

 七原秋也は斃された桐山の亡骸の近くで蹲っている中川典子を見て、声を上げた。

 典子は涙を流し、悲しそうに首を振った。

 桐山の美しい顔は原型を留めていなかった。川田が撃ち込んだ「とどめ」の所為だろう。
 典子は桐山の投げだされた両の手を、胸の上で組ませ、手を合わせた。彼の血まみれの左薬指には、綺麗な銀の輪が光っていた。

 


 ***


 「あれ」から十年。

 喪われた命の存在はあまりに大きすぎて、まだ幼い精神を宿したの心をひどく傷つけた。「それ」を受け入れることができず、
 ただぽろぽろと涙をこぼし続ける日が続いた。

 行き先は、一体どれ位遠く、遠い所にあるだろう。

 あの日以来姿を消した彼と、月日を追うごとに輝きを失っていく銀の指輪。

 は段々と大人になった。


 「ねぇ、和雄。約束したじゃない。…ずっと一緒にいてくれるって」

 守られることのなかった大切な約束。

 の心に留まって、離れようのない追憶の想い。


 「和雄…」


 桐山の寝床は、無骨な石の下だった。

 雪が降り積もる日。彼の、二十五歳の誕生日…もし、生きていたら。
 それを祝うために、は彼の墓を訪れた。


 毎年そこに、桐山の存在を感じた。

 魂とか、死後の世界なんて馬鹿らしいと一蹴に付されても、は信じて疑わなかった。
 
 「お前、そんなんでいつまでも幸せ逃すのかよ。…死んだ男のために」

 が交際を断った男の一人が、負け惜しみのように言った。

 幸せになんて、なれなくていい。

 「彼」を忘れるくらいなら。



 「…
 「…和雄?」


 彼の姿が見えた。あわてて目を擦ったけれど、そこに黒い学生服を着た、オールバックの少年が佇んでいた。それは、取り消しようのない事実だった。

 「ありがとう」

 桐山は手を伸ばして、の頬に触れた。

 「―これで、最後、だ」

 「―え?」

 雪が降り積もる。

 彼の姿を、覆い隠してしまうかのように。

 「嫌だ、和雄!行かないでよ」

 桐山はどこか哀しそうな顔をして首を振った。

 「約束だ。消えてなくなっても、…俺のこの気持ちだけは、との約束を忘れないから」

 ―ずっと、いつまでも、傍にいる。

 彼の声が聞こえたような気がした。


 ***


 幸せでいて。

 俺が消えてなくなっても、いつまでも。いつまでも。



 は声を殺して泣いた。



 過去形になんてしたくない想いを抱えながら。

 けれど、胸にどこか温かい何かが残った。

 悲しく、短かった彼の命は、最後にの心を温めた。


 おわり