ずっと、君の傍にいられたら。
俺はそれだけを願っていたのかもしれない。
ラスト・クリスマス
―今年一番の雪が、恐らく香川県全域に降るでしょう。
そんな予想を裏切り、雪は降らなかった。
午後から急に冷え込むのだと伝えていたニュースキャスターの声がぼんやりと頭に響いてくる。
「彼女」と約束を交わしたのは、十二月二十三日、午後三時頃。
桐山和雄は、ちらりと腕の時計に目を落とした。午後二時五十八分。
きっかり時間通りに彼女が現れることは稀だった。
おっとりとした性格のせいか、遅刻魔というほどではないが―彼女はいつも五分程度約束に遅れた。
そんな彼女を、桐山は咎めたことはなかった。彼女を待つ時間も、悪くない。
桐山が、「彼女」―と付き合いだしたのはつい先月のことだ。
天真爛漫で、およそ人を疑るということを知らない彼女は、二学期に転校してくると間もなく隣の席に
座った桐山に声をかけてきた。
2年B組で、桐山と対等に話せる女子は、恐らくくらいであったろう。
桐山は、彼女に興味を抱いた。
そして、十一月の終わり、桐山からの告白で、二人は付き合うことになった。
もっとも、「告白」というにはあまりに淡白な桐山の言葉であった。
「と―と一緒にいるのも、悪くないと思う。それが、『好き』という気持ちなのかな。教えてくれないか」
***
クリスマスは、桐山がこの世に生を受けた日だった。
だからといって、特別何かをした記憶はない。
充たちにも誕生日のことを伝えたことはなかったし、唯一家族と呼べる義父も、大抵は財閥の主催するクリスマスパーティに
出席し、桐山もその集いに招かれ、各著名人に挨拶をして回ることになっていた。
そのことをに打ち明けると、「じゃあ、イヴにお祝いしようよ」目を輝かせて言った。
桐山はほんの僅か首を傾げながら、頷いた。そんな反応を、が見せるとは思わなかったので。
桐山はすっかり寒くなった、駅前の商店街の入り口―との約束の場所で、ひとつ息をついた。
白い煙が、ゆっくりと空へと立ち上って行った。
***
は、恋人である桐山和雄の待つ商店街へと急いでいた。
慣れない化粧をしてみたり、滅多に着ないワンピースを引っ張り出してみたり、
とかく女は支度に時間がかかると思われても仕方なかった。
白いダッフルコートを身にまとい、家を飛び出した。胸に抱えているのは二つのプレゼント。ひとつはクリスマスの、
もうひとつは、大事な桐山の誕生日のためのプレゼント。
「…急がなくちゃ」
は靴を鳴らして、駅への道を急いだ。
***
桐山は、頬に当たった冷たい感覚に、僅か目を細め、空を見上げた。
白い塊が、空から無数に降ってきていた。―雪。
雪の結晶が―
舞い落ちる雪が。
一人の女の姿を桐山に見せた。
「―誰だ?」
桐山は、想い人でない、見慣れぬその女の顔を見て、はっと目を見開いた。
その女は、鏡に映したように自分とうり二つの顔を持っていたから。
女は悲しげに首を振った。そして、消え入りそうな声で、言った。
「貴方は、来年の誕生日を、迎えられない」
雪が、一瞬だけ、降りやんだような気がした。
いつの間にか女の姿は消え、桐山はそこに立ち尽くした。
女の言葉の意味を、頭の中で反芻しながら。
僅か、こめかみが疼いた。
桐山はきょろきょろとあたりを見回した。
そして、その目を細めた。
「和雄ー!遅れてごめんね!」
駆け寄ってくる「彼女」の姿を、認めたから。
「―」
桐山はを呼んだ。
「何、和雄」
は笑顔で桐山に応える。
「…ありがとう」
「…急にどうし…和雄?」
は目を丸くした。
桐山はを包み込むように抱きしめていた。
「…温かいな」
桐山は呟いた。
「私も、すごく、あったかいよ。和雄」
は桐山の胸に顔を埋め、両手を彼の背に回して撫でた。
とても、とても幸せそうな顔をして。
「…」
「何?和雄」
桐山は答えなかった。
ただを大切そうに抱きしめていた。
「和雄、ずっとこうして一緒にいられたらいいね」
「…そうだな」
雪が舞い落ちた。
その白い塊の降り注ぐ中、またあの女が悲しそうな顔でこちらを見ているのを、桐山は見た。
「、…俺は」
桐山はしかし、その先を口にすることを躊躇った。…どうしてかはわからなかった。
「和雄、ずっと一緒にいよう。ね?」
を―、この腕の中にいるを、決して離したくはなかった。
「あぁ」
全てに平等に終りが訪れるとしても。
それでも。
こうして冷たいだけだった、自分の「生」を温めてくれる存在が。
きっと、どうしようもなく、愛おしくて。
「…」
もう一度、彼女の名を呼び、その唇に自分のそれを重ねた。
―このまま、時が止まればいい。
普段なら考えられないくらい非合理的なことを、ぼんやりと考えて。
「和雄。」
は何も知らない。
一年後も。その先もずっと。
桐山が自分の傍にいてくれるものだと、信じてうたがわぬような、無垢な目で彼を見つめていた。
「プレゼント、家で開けようか。寒くなっちゃった」
「…あぁ」
桐山はもう一度、空を見上げた。
雪はいつの間にか止み、あの美しくも儚げだった女性の姿はもうどこにもなかった。
おわり
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