「桐山くん」
に呼ばれた気がして、桐山は足を止めた。
きりきりと張り詰めた空気の中、痛む腹を手でさすり、それでもまた歩き出した。
止まることは出来ない。
に、会うまでは。
最上級の愛を
「桐山くんて不思議な人だよね」
「なぜそう思うんだ」
「なぜって…話していてそう思うんだよ」
「そうか」
との会話は、いつもがひとしきり話すのを、ひたすら聴くという形になってしまう。桐山は語るべき自分を持っていなかったので。
いつものように、の話が聴きたかった。
自分にとっては同じことの繰り返しにしか思えない学校が、にとっては楽しいらしいこと。
もっとに会って色々な話を聴きたいのだ。
このゲームに巻き込まれる前のことが、鮮明に思い出される。
は、いつもよく笑った。
ころころと表情が変わるのが、見ていて飽きなかった。
「意外だな。俺、ボスだったら相馬かと思ってたけど」
「てめぇ、ボスに失礼なこと言ってんじゃねぇ」
笹川が、「まあ、可愛いっていえば可愛いけどなあ」、不思議な顔をしながらを見た。
充は少しだけ怒って、それから、「まあ、悪い奴じゃないと思うな、俺も」ぷいと横を見て言った。
雰囲気はどこか、充が可愛いと言っていた金井泉に似ていたから、彼としてもOKサインを出したのかもしれなかった。
その彼らを殺めた今、にそのことを語ることはできないが。
コイントスの結果はいたってシンプルだった。
表ならを探し出して、このゲームを進めている坂持たちを倒す。
裏ならば、を残して、自分を含めたすべてのクラスメイトを殺す。
コインは、裏だったのだ。
いろいろな戦闘を経験した。
充は自分を信頼し切っていたようだったが、自分はそれに応えてやれなかった。
罪悪感、そもそもそう言った感情を抱くことは不可能であった彼ではあったけれども、充の死には小さく体が反応した。
それも一瞬のこと。殺人マシンとなり果てた桐山は遭遇し次第次々とクラスメイトを手にかけて行った。
同時に、を探していた。この小さな島のどこかで、恐らくは人を殺すことなどできずに脅えて隠れているのだろうと思った。
に会えないまま、もう二日目の夜を迎えてしまった。
特殊教育を受けた自分とはいえ、生身の人間であることに変わりはない。一瞬の隙を突かれ銃で腹部を撃たれた。狙撃手をマシンガンで葬った後、
桐山は小さく呻き、口元から血を零した。弾は貫通していた。内臓に、穴が空いたのだ。
傷は深い。
もう一度腹に手で触れてみた。ねっとりと血液が固まって指についた。応急処置で傷は塞がりかけていたが、それでも痛みは感じる。
自分にはもうあまり時間がない、そう思った。
誰と闘っても、全力を掛けて倒す。
自分は死ぬわけにはいけない。
…に会うまでは。
生まれおちて今日この日まで、こんなにも何かを望んだことはなかった。
もう少し、あと少しでいいから、持ってほしかった。自分の体だ、いくら鍛え上げられていた肉体とはいえ限界があった。
に会う、それしか頭に無かった。
想い人は、とうとう桐山が残りの生徒ほとんどを手にかけてから、やっと見つかった。
禁止エリアをよくぞ潜り抜けてきたと思った。それで、ほんの僅か安堵の溜息が洩れた。
腹部がずきりと痛んだが、桐山は絞り出すように声を出した。
「…」
は、肩を震わせて泣いていた。
「…桐山くん、…私、私…」
桐山は目を丸くした。
の傍らには、ひとりの男子生徒が倒れていた。十分すぎるくらいの血糊を残した彼はすでに絶命していた。
の手には、スミスアンドウェスンが握られていた。しかしそれを、桐山の方にむけることはせず、ただただ震えていた。
彼女の顔からいつもの朗らかな笑顔が消えていた。それを認めると、桐山のこめかみは僅かに疼いた。
「…見ない方がいい」
腰を屈め、彼女の頬を挟んで軽く撫でてから、目を閉じさせた。がぶるっと体を震わせるのが分かった。
も人を殺めざるを得なかったのだ。…そしてそれに深い罪悪感を抱いている。一目でそうとわかった。
「。…頼みがある」
桐山は、を大事そうに抱きしめながら、囁いた。
「―え」
「暫らく、…こうしていても、いいかな」
は返答の代わりに桐山の身体をぎゅっと抱きしめた。
柔らかくて、温かくて、落ち着く。
の腕の中は居心地が良かった。
薄れてゆく意識。
桐山はそっと手を伸ばし、の頬に触れた。
「。…泣いているのか」
「…泣いて何か、ないよ。」
ごしごしと目をこすり、は言った。桐山の容体が悪化したことに気づいたらしい。
「…ねえ、桐山くん。ずっと聞きたかったんだ。お願い、教えて」
「…なんだ?」
「私といて…楽しかった?…少しでも、楽しいって思ってくれた?」
桐山は目を細めた。視界が急にぐらぐらと揺れてきたような気がした。
「分からない。…ただ俺は…に会えて…に会えて…よかったんだと…っ…」
「桐山くん!」
ずっと分らなかった気持ち。
金井泉を目で追っていた充の気持ち。
人を、こんなにも大切に思う気持ち。
最後の最後で、俺は「取り戻す」ことが、できたのかも、しれない。
が何か言ったようだったが、桐山はもう聞きとることができず、の頬に触れた手で、優しく撫でて。
腕が急に制御を失った機械みたいに重くなって、どさりと、力なく落ちた。
はすぐには状況を飲み込むことができず、動かなくなった桐山を抱きしめたまま、じっと宙を見つめていた。
「さん!」
背後から声がした。
は力なく振り返った。クラスメイトの七原秋也だと分かった。
すぐ後ろから、中川典子と川田章吾がやってきた。
血まみれの桐山が、絶命していることを三人は一目で察した。
「…限りなく空虚なタイプの人間」
川田が呟くように言った。
「俺はそう思ってたし、実際、『そうだった』んだろう。だが、今は違ったんだな」
「川田…」
「見てみろよ、その顔。…感情が何も無かったら出来ない顔だろ。…とんだ計算違いだった」
川田が拳を握りしめ、静かに怒っていることが誰にも分った。
「…本当に、よくできてるよ。この幸せゲームってやつは。人の『こころ』ってやつを、平気で踏みにじる」
は、虚ろな目で自分の腕の中の桐山を見詰めた。
いつもとてもよくできた人形のように端正ではあったけれど、表情のなかった顔が、…ほんの僅かだけ、「笑み」の形になっているように見えた。
「さん。言っておくが自殺なんて考えるんじゃねえぞ。生きているやつは、背負っていかなくちゃいけないことだ」
はその川田の言葉を聞いて、やっと理解したかのように声を殺して泣いた。
おわり
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