「さよなら」
 「ありがとう」


 最期に言いたかったのは、どっちの言葉だっただろう。

 「

 桐山はの手を取り、自分の頬に押し当てた。

 「どうしたの、和雄」

 は目を丸くしてそれに応じる。
 
 「…いや」

 桐山はそのの手にそっと口づけた。


 永遠に続かない、今日。
 永遠に訪れない、明日。
 それを切望するのは、我儘だろうか。

 

 日と今日の下





 12月24日、クリスマスイブ。

 せわしなく動く街の人々。
 赤い衣装に身を包んだ老人が、贈り物を子どもたちに笑顔で配って回る。

 恋人たちが身を寄せ合って、幸せを確かめながら繋いだ手の温かさを分かち合う。

 そんな日。

 一年の中で、敵国の習慣と禁じられなかった数少ない日。

 は、白いダッフルコートに身を包み、寒さがいよいよ増す城岩町の商店街を歩いていた。
 一人、彷徨うかのように。

 

 守られなかった約束のことを、彼女は想った。
 付き合い始めの2月。今年のクリスマスは二人きりで過ごそう。
 それに頷いてくれた恋人は、桐山和雄は、もうこの世にいなかった。

 5月の修学旅行に出掛けたまま、二度と戻ってきてくれなかった。

 ひとりぼっちになった。あの日から。
 寂しかった。ずっと。あの日から。

 手袋に包まれた手を、頬に押し当てる。

 あの人の手は冷たかったけれど、抱きしめてくれるその腕は頼もしくて、腕の中はとても温かかった。
 もう二度と戻れない、自分だけの場所。
 こうして一人、過ごしていくんだろう。今年も。次の年も。その次の年も。

 白い塊が、ぽつり、ぽつりと降り注ぎ始めた。


 冷たくて。
 寒くて。

 悲しくて。

 行き場のない想いを抱えながら、は涙を零した。

 人通りが段々と少なくなっていく道を、それでも彼女は歩き続けた。

 ムートンブーツがずぶりと音を立て、舗装されていない道路の窪みに嵌った。



 「和雄…」

 
 想い人の名前を口にした。したところで、彼はもう戻らないことが分かっていたのに。



 『泣くな』


 さして低くないのに、よく通る声が、凛との耳に届いた。

 ―え?

 は目をこすった。

 勢いを増した雪の降り積もる中。

 黒い学生服に身を包んだ少年が、目の前に佇んでいた。




 
 「―和雄…?」
 

 少年は頷いた。
 オールバックに撫でつけられた、艶やかな黒髪。
 新月の夜を思わせる、深い漆黒の双眸。
 白く、滑らかな肌。

 思い出は、ぼやけてなんていなかった。
 その人の記憶は、ぽっと灯が燃え上がるようにして、の中によみがえってきた。


 桐山は、桐山和雄はそっと手を差し出した。「辛かっただろう。すまなかった」

 は、その伸ばされた手に自分の手を重ね、…彼の胸に顔を埋めた。
 涙がとめどなくこぼれた。


 「会いたかったよ」
 「知っている」
 「大好きだよ」
 「…分かっている」

 どうして、ここに来てくれたの?
 それをは聞かなかった。

 それを聞いたら、桐山が瞬く間に姿を消してしまうような、そんな気がしたから。
 聖夜が見せた、一時の夢であっても構わなかった。

 彼がここに来てくれたことが、それくらい、嬉しかった。


 「。」
 「どうしたの、和雄…」

 ふわりと柔らかな感触が唇に下りた。
 綺麗な顔が、すぐ目の前にあった。

 「…ずっと。会いたかった。俺も、のことが。」
 

 雪が。
 粉雪だった雪が、いつの間にか本降りになっていた。


「和雄」
 「…なんだ」
 「行かないで」
 「行かないよ」


 は桐山の顔を見上げた。
 降りたての雪に溶けいりそうに、真白い彼の頬。

 そっと手を伸ばして、その頬を両の手で挟んだ。

 「和雄…」

 涙が零れた。
 桐山は、「生きていた」その時のまま、何の感情もその顔に表さなかった。

 けれど。彼は。

 「。俺はもう、どこへも行かない」

 とても、温かかった。

 影のない彼の身体を抱きしめた。
 不思議だった。

 の影も、いつのまにかなくなっていた。


 の腕から、午前0時を示した時計が、音もなく雪の中へと外れて消えた。




 帰ろう。

 帰ろう。和雄。

 あったかくて、誰も知らない世界へ。
 二度と来ない、昨日へ。

 一緒に帰ろう。



 12月25日、早朝。



 午前0時を示して、止まった時計が雪に埋もれていた。

 積もり積もった白い雪の中に、四肢を投げだして少女が倒れていた。
 とても、幸せそうな顔をして。

 降り積もる白い雪。
 は最期に夢を見た。

 「さようなら」
 「ありがとう」

 両方の言葉を彼が言った。

 口数が少なかった彼が紡いだ言葉がそれはそれは嬉しくて。

 は、幸せだった。


 



 ねえ、和雄。

 どうした?

 生まれ変わってもまた会おう。
 それからできたらまた。恋人同士になれたら、嬉しいな。


 …そうだな。
 では、約束を守るために、また生まれ変わるのも、悪くないかもしれないな。

 約束、だよ。

 あぁ。約束だ。





 雪が全てを包む夜。

 起こった不思議な出来事を、今は誰も知らない。…





 おわり


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