私はずっと、和雄を独占して居たかった。和雄はいつも表情を変えないから、私と居て楽しいのかどうかわからないけれど、私は彼のそばに居たかった。
たとえ和雄が何も感じていなくても。
夢のまた夢
オールバックの柔らかい髪に触れ、指を通す。
悲しくなったのなら泣けばいいと言った桐山は、今は黙って本を読んでいた。
悲しいのだから構って欲しいとが泣いた後に、彼は一度目を細めた後、そっと口付けた。
和らいだ胸の痛みにそっと彼が触れる。
「、は一体、何を望んでいる?俺にはそれがよくわからない。」
「何も望んでなんかいないよ。」
は背を伸ばし桐山に口づけた。
「ただ、傍にいて欲しい。私の話を聞いて欲しいだけ」
が言うと桐山はそっとの髪を撫でた。
「聞いているよ。」
やわやわとした空気が流れる中、は桐山の手を撫ぜた。
「どうして、聞いてくれているのに、こんなに悲しいんだろう…」
「それは、俺にもよくわからないな。」
桐山はの髪を再び撫ぜた。哀しい。どうしてこんなに。
「和雄が、わからないから、かな」
ぽろぽろと涙がこぼれた。桐山は黙ってを見詰めた。冷えたその黒い瞳に映る光が少しだけ揺らいでいた。
数日前、桐山はある検査の結果を受け取った。
脳の断面図。そこにある傷。過去に受けたその傷のせいで―彼は生涯、感情を得ることは叶わないのだと医師に告げられた。
どこでどうして出来た傷なのかはわからないが、それはきっと生まれつきのもので、治すことはできないし、桐山は今までそれを知らずに生きてきた。
調べようと思ったきっかけは、に「和雄の笑った顔が見たい」と言われたことだった。
笑顔の練習をしてみた。引きつる口元。感じる違和感。こめかみの鈍い疼き。桐山は今まで何度か考えることがあった疑問を解き明かすために、検査を受けた。
自分には何か障害があるのではないか―。
結果をに話したとき、はひどく動揺し―それから、「ごめん」と言った。
なぜ、謝る必要がある、桐山の問いに「無理させちゃったから」は俯いて言った。
「…治らないんだよね」
「ああ、そうだ」
桐山は特に表情を変えなかったが、は桐山の胸に顔を埋めて、声を殺して泣いた。
こめかみに鈍痛が走った以外、桐山は何も感じることが出来なかった。
あれから暫く、は不安定だ。
「もし、辛いのなら何も話さなくてもいい」
あやすようにそっと言う。ぱたんと読んでいた本を閉じ、桐山はを抱きしめた。
「なぜ、が辛いのか。…俺はもう少し、よく考えてみようと思う」
「和雄。」
「何だ?」
「考えなくてもいいから、もう少し、こうしてて」
「…わかった」
桐山はさして低くも無いのに、良く耳に通る声で言ってを抱きしめた。
「…ねえ。和雄」
「何だ」
「私ね、和雄が何も感じられてなくても、和雄のこと嫌いになったりしないよ。だから、そばにいて。私のこと―少しは特別に思ってくれてるんだったら。」
「…そうか」
桐山はを抱きしめる腕に力を込めた。
「…ありがとう」
が見上げると、桐山は、僅かに口元を歪ませた。
「和雄、無理しなくていいのに」
「…いつかは」
の髪を撫でながら、桐山は静かな声で言った。
「の前で、笑って見せるよ」
「…和雄。」
は泣き腫らした目をこすった。桐山のオールバックの髪をそっと撫ぜた。
桐山和雄は不思議な男だった。
優しいようで冷たく、温かいようで寒く、そして完璧なようで酷く脆い、儚い存在。
彼が「彼」であることは、覆すことなど出来ない、そうして「生まれてきた」彼は、こうしての傍に居てくれる彼は。
どうしようもなく愛しい「彼」は。
「どうした?。」
「大好き、だよ」
はふわりと笑って桐山の頭を撫ぜた。桐山は僅かに心地よさそうに目を細めたあと、左のこめかみを触った。
どくん、心臓の音がする。
それが桐山のものなのか自分のものなのか、よくわからなくなった。ぴたりと寄せ合った肌と肌で互いの体温を感じながら、二人はやがて眠りに落ちた。
完璧な人なんてどこにもいない。
だからこそ、きっとこんなにも愛しい。
おわり
戻る