Healing

私のクラスには、城岩町のみならず県内でも恐れられている不良集団のボス、
桐山和雄くんがいる。

とは言っても学校での桐山くんはとても静かで、一見しただけでは全然そんな風には
見えない。
つい最近席替えがあって、隣の席になったんだけど、授業中もノートをとらずにただじっと聞いている、と言う感じ。
それで成績は常に学年トップから外れたことがないのだから、羨ましい限りだ。
一体どんな勉強をしているんだろう?

隣の席であるにも関わらず、 は桐山とまだ一度も話したことが無かった。
ただ、よく目が合った。
が何気なく桐山の方を見ているとき(見ているのは他のものだったけど)
不思議な視線を感じてそちらに目をやると、桐山がじっとこちらを見ていることがあった。

何を考えているのか全くわからない、硝子玉がはめ込まれたみたいな、
桐山の真っ黒な瞳が、 は苦手だった。
だから、目が合ったらすぐに逸らしてしまっていた。
別に、怖いというわけではないのだけど。
―不思議な人。
それが の持つ桐山へのイメージだった。

その日は朝から酷い雨が降っていた。
傘を差しても意味が無い位凄い雨で、クラスのほとんどの生徒がびしょ濡れで教室に入って来た。
もちろん、桐山も例外では無かった。
彼のオールバックの髪は雨に濡れてやや乱れていた。
白い額に降りた前髪が数本張り付いている。
無言で椅子に座る桐山の方を はちらりと見た。
ほんの一瞬見ただけだったのだが、 には桐山の顔色が、酷く青ざめているように見えた。
―どうしたんだろう?
少し気になったが、声をかける程の勇気も無かったので、 はそのまま何も言わなかった。


一時間目。古典の時間。
大して面白くない授業を、あくびを噛み殺しつつ聞く。
ノートはしっかりとっていたけど。

はさっき桐山の顔色が悪かったのを思い出して、もう一度ちらりと桐山の方を見た。
桐山はいつもと変わらず静かに授業を聞いていた。
―気のせいだったのかな?

そうして、授業が始まってから二十分が過ぎようとしていた。
が必死に眠気と闘っていた時だった。
「…う…」
どこか押し殺したような、か細い、苦しそうな声がした。
一気に眠気が覚めた。
は驚いて声のした方を見る。そこには、肩で息をしながら、
辛そうに眉をしかめている桐山の姿があった。
「ど、どうしたの?桐山くん!」
思わず がそう叫ぶと、クラス中が騒然となった。
「どうしたんだ、 ?」
古典の教師が慌てたように に聞く。
「桐山くん、気分悪いみたいなんです。私保健委員なんで、ちょっと保健室連れていっていいですか?」
「ああ、そうか。頼んだぞ。」
は桐山の肩に手を置いて、「行こう。」と言った。
桐山はまだ辛そうだったが、顔を上げて の方を見て、それからふらふらと椅子から立ち上がった。
は一人で立っているのがやっとという感じの桐山に肩を貸してやりながら、保健室に向かった。

保健室には誰もいなかった。
こういう肝心な時に限って、先生はいない。
はとりあえず桐山をベッドに寝かせてあげることにした。
「平気?桐山くん」
桐山は頷いたが、どう見ても平気そうには見えなかった。
は桐山がみぞおちのあたりを押さえているのに気がついた。
「痛いの?お腹。」
「…いや」
小さな声で桐山は言ったが、その顔は既に蒼白を通り越して真っ白だった。
少し横になって休んでいた方が良いだろうと思い、 は桐山が上着を脱ぐのを手伝ってやろうとした。
は上着を脱いだ桐山の、シャツからのぞいた肌を見て一瞬言葉を失った。
「桐山くん!どうしたの、これ…?」
桐山の首筋には何かで絞められたような痕があり、肌には無数の痣が刻まれていた。
「…訓練を」
「え?」
「訓練を、していたんだよ。…急所に攻撃を受けて…どれだけ耐えられるかの…」
「訓練て…そんな辛そうになるまで」
一体何のために?
桐山には、何か複雑な事情があるようだった。
桐山の呼吸は、酷く乱れていた。
まるでこのまま死んでしまいそうに見えて、 は見ているだけで辛くなって来た。
桐山はずっとお腹を押さえている。さっき見たような痣が、きっとお腹にもあるのだろう。
「どうしよう…おうちの人に電話して、迎えに来てもらった方がいいね。」
桐山の様子からして、相当な重傷だ。
よくこんな状態で学校に来れたものだ。
「いい…少し休んでいれば…落ち着く」
「駄目だよ!そんなに苦しそうなのに!ちゃんと病院に行かないと…」
にはとても処置出来ないような傷に思えた。
心配そうに自分を見ている を、桐山は熱に浮かされたような目でじっと見つめた。
にはどうやら、桐山が家に電話したくないのだという事が、何となくわかった。

は、ベッドに横たわった桐山の背中をさすってやった。
気休めにしかならないだろうけど、何かをしてあげたいと思ったのだ。

桐山はまだ辛そうにしていたが、 がそうしてやっていると、幾らか楽になるらしく
そっと目を閉じて言った。
「悪くないな…」
「え?」

唐突に言われ、 は驚いて桐山を見た。
にこうしてもらうのは悪くない…」
桐山はそう言うと、再びゆっくりと目を開けて、 を見た。
は一瞬硬直してしまった。そう言えば、こんな風に桐山の顔を正面から見たのは、初めてだった気がする。
―とても綺麗な顔だ。
造作の一つ一つが、完璧なまでに整っている。
冷たい印象の強い、無感情な瞳も、間近で見ると、吸い込まれそうに深い、美しいものに見える。
普段はあんなに近くに居ても、意識する事など無かったのに。

は思わず顔を赤くして俯いてしまった。
桐山の背に当てた手も止まっている。
「…
「え、な、何?」
「…もう、続けてくれないのか?」
「あ、う、うん。ごめん」
「謝ることは無い。」
「………」
どうしよう、なんかどきどきして来た…。

はまた、桐山の背中を撫で始めたが、ずっと心音が高鳴りっぱなしだった。
桐山の方は、至極心地良さそうに目を閉じていた。


「ねえ、桐山くん、どうしてこんな無理してまで学校来たの...?」
しばらくして、沈黙に耐えかねた は思わずそう聞いた。

桐山は、ゆっくりと、眠たそうに目を開け、 の目を見て言った。
「……学校に来ないと」
は早くなる鼓動を感じながら、桐山の答えを待った。
「… に会えないからだ…」
その声は小さく、いつものように淡々としていたが、一気に の熱を上げるのには充分だった。


そのまま、桐山は眠ってしまった。

既に一時間目終了を告げる鐘の音が響いたにも関わらず、 は暫くの間、その眠った桐山を見つめたまま、ぼんやりと座っていた。
「ボス!倒れたって本当ですか?大丈夫ですか?」
バタンと豪快な音を立ててドアが開き、威勢のいい声が響いてきた。
それでやっと は我に返る。
やって来たのは、同じクラスで、桐山を「ボス」と呼んで慕っている沼井充だ。
「あ…今、眠ってるから、桐山くん…」
は慌ててそう言った。
「あ、そっか、すまねえ。…て、ボス!?」
「…充か。」
「桐山くん!」
桐山は起き上がり、先程まで苦しんでいたのが嘘の様に、いつも通りの無表情で平然としてベッドに座っている。
「もう大丈夫なの?」
「ああ。」
さっき「少し休めば落ち着く」と言っていたのは、強がりでは無かったのだ。
「そろそろ行くよ。すまなかったな、 。」
「あ、ううん。平気…」
は桐山の顔を見た。
さっきのは、まるで夢だったのではと思えて来た。
そこにいるのは、いつも通り無表情の、近寄り難い雰囲気を持つ、不良のボス。

「行こうぜ、ボス。」
「ああ。」
沼井に促されて保健室を出て行く桐山を、 はもう一度見た。
その次の瞬間。
桐山と、目が合った。

あ…。

はまた顔を赤くした。
目が合っていたのはほんの一瞬に過ぎなかったが、 にはその桐山の目が、
いつものように冷たいものでは無かったように見えた。




後書き  はい。偽桐でした。彼がよく学校を休むのはひどい特殊教育が原因なんじゃ、と思ったので書きましたが、偽。こんな弱いボス、ボスじゃない。しかも中途半端。最悪。すみません。

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