―帰りたいと、思った。
初めて、そう思った。
身体中を撃たれて、車ごと転がっても。
激しい痛みを感じても。
帰りたいと、思った。
の所に。
腹を撃たれた時、 の声が聞こえた様な気がした。
内臓が破裂する様な、激しい痛みに思わず気を失いかけたけれど。の呼ぶ声で、―意識が戻った。
一度は倒れたが、
すぐに上半身を起こして、川田を、撃った。
ああ、
あと、二人、だ。
重い腕を持ち上げた。
その途端。
桐山はばん、という音を、間近に聞いた。
「桐山くん!」
また、 に呼ばれた気がした。
―。
の顔が、見たかったんだ。
の名前を。
…の名前を。
一度でいい。
呼んでみたかった。
「桐山くん!」
は、目の前で一瞬のうちに起こった出来事を、俄かには理解する事が出来なかった。
撃たれて倒れた桐山を助けようと、近づいた。
途端に桐山が起き上がって、また銃を撃った。
川田が倒れた。
その次の瞬間、ばん、という銃声が響いて。
桐山が、再びゆっくりと崩れ落ちるのを、 は見た。
の目の前で。
桐山は倒れた。
とても静かに。
撃ったのは、典子だ。
拳銃を持った手が、がたがたと震えている。
「桐山くんっ…!」
は泣きながら倒れた桐山に駆け寄った。
は桐山を抱き起こした。
桐山の顔は、真っ白だった。
虚ろな目は開けたまま。
ただ、
鼻の横に、赤い穴がひとつだけ、ぽつりと空いていた。
「桐山くん、桐山くん、しっかりしてよ!桐山くん!」
は必死に桐山を揺さぶった。
何度も、呼んだ。
返事は無かった。
涙がぽろぽろと零れた。
まだ、温かいのに。
さっき抱きしめてくれた時と同じで、まだ、温かいのに。
桐山と、一緒に集落で休んで居た時、桐山は「 は家に帰りたいのだろう?」と聞いてきた。
もう帰れない、はそう言った。
強がりだった。
本当は、不安でいっぱいだった。
それが、桐山に伝わったのだろうか。
桐山は何も言わずに、そっとを抱きしめてくれた。
そうして抱きしめられるのは、何回目だっただろうか。
それでも、その時が、一番安心した。
桐山の腕の中で、 は桐山の、少しだけ早い鼓動を聴いた。
桐山の手は、冷たかったけれど。
―腕の中はとても、温かかった。
はほとんど夢中で、動かない桐山の胸に、耳を当てた。
ひどく弱々しい音ではあったが、まだかすかに鼓動が聞こえた。
それでも、もう意識が戻る事は、無いだろう。
「桐山くん……」
嘘でしょう?
迎えに来るって。
そう書いてくれたじゃない。
「今はどうでもいいとは思わない。生きていれば を見ていられる」
そう、言ってくれたじゃない。
ねえ、桐山くん。
起きてよー。
は、桐山を抱きしめた。
なんだか、どんどんその身体が硬くなっていく気がした。
駄目だよ。
死なないで。
死なないで。
桐山の言葉を思い出した。
「生き残る事に、特に興味は無いんだ。俺にとっては、生きる事も死ぬ事も、大した違いがあるようには思えない」
そう言った桐山。
「毎日、変わり映えのしない毎日を、ただ過ごして生きて来たような気がするよ」
その時の桐山の顔は、無表情なのに、何故かとても哀しそうに見えた。
「ただ、 の事を見ていると、俺の中の何か変わっていく様な気がした。それが何なのかはわからないが…何と言えばいいのかな…」
ねえ、
どうして、そう思ったの?
桐山くんは私の事を、どう思ってたの?
は、桐山の手をとった。
やはり冷たいままだった。
桐山くんー。
の瞳から、あとからあとから涙が零れ落ちる。
その時。
桐山の冷たい手が。
ぎゅっと の手を、握った。
伴創膏の貼られた、あの日を助けてくれた手が。
は、はっとして桐山を見た。
薄く目を開けて、桐山は を見ていた。
やはり、なんの感情も篭もっていない、虚ろな瞳。
「桐山くん!」
が呼ぶと、桐山は一度だけ瞬きをして、反応した。
桐山の、乾いた唇が、そっと動き出していた。
「……」
杉村が、琴弾に想いを伝えた様子を、桐山は無意識のうちに思い出していたのだろうか。
恐らくは、彼がその無感動な一生の中で、最も惹かれ、多分に生まれて初めて恋愛感情に近いものを抱いた、
その相手である の名を。
聞き取れなくなりそうな位小さな声で、呼んだ。
―え?
桐山くん、今、「」って……
桐山くん?
ねえ、
今私の事、「」って呼んだよね?
は思わず、桐山の顔を見た。
桐山の手を、ぎゅっと握り返しながら。
桐山は少し目を細め、穏やかな表情で を見つめていた。
やはり、笑顔ではなかったけれど。
「桐山くん…?」
は全身から血の気が引くのを、感じた。
桐山は、もう息をしていなかった。
ほんの少しだけ、
桐山の、の手を握りしめる手に、再び力が篭もった気がした。
すぐに、緩んでしまった。
「桐山くん?」
それが最後だった。
桐山はの手を握り締めたまま、二度と目覚めない眠りに就いた。
「桐山くん…!」
涙でよく前が見えなかった。
桐山の手を握り締めたけれど、もう握り返して来る事はなかった。
「桐山くん、桐山くん」
は、何度も何度も、桐山を呼んだ。
桐山は、応えてくれない。
もう、いくら呼んでも、応えてはくれなかった。
桐山くん……
はぽろぽろと涙を零した。
徐々に体温を失いつつある桐山の身体を、 は大切そうに抱きしめた。
桐山の亡骸からは、血と硝煙の匂いがした。
たった一人で、何人もの生徒を手にかけた、桐山。
最初は、ただコインの結果に従った、それだけのために。
途中からは、を無事に家に帰すために。
桐山はクラスメイトを殺した。
そして、ついに、命を落としてしまった。
は桐山の、開かれたままの目をそっと閉じた。
きっと、ただ悲しいだけだった桐山の命は、終わってしまった。
涙は留まる事を知らなかった。
ねえ、桐山くん。
怖くなかった?
こんなゲームに選ばれて、
桐山の、防弾チョッキに守られていない腕や足にはいくつもの銃弾が食い込み、血が流れ出していた。
痛くなかった?
は、ぎゅっと桐山の亡骸を抱きしめた。
もう、命を失ってしまった、
魂の入っていない、桐山の亡骸を。
は愛しいと感じた。
もう、聞けないね。
一度は桐山に撃たれて倒れた川田と、それに七原、典子は半ば夢でも見ている様な気持ちで、二人を見ていた。
容赦無く、自分達を殺そうと向かって来た、桐山。
それに理由はない、そう川田は分析したし、七原も典子も、とても恐ろしい事としてその事実をを受け止めた。
けれど。
本当は、違ったのだろうか。
桐山も、大切な人― を守る為に、戦っていたのだろうか。
それに何となく気付いた三人は、とてもやりきれない気持ちになっていた。
「さん、俺たちと一緒に、脱出しよう」
七原が、悲しそうな顔で、 に声をかけた。
「脱出……?」
は半ば放心した様な様子で、虚ろに七原の顔を見上げて、訊いた。
七原は頷いた。
「ああ、川田が、脱出の方法を、知ってるんだ。だから、 さんもー」
桐山の分まで、と言い掛けて、七原は押し黙った。
が静かに首を振っていたからだ。
「 さん?」
「私は、行けない」
は既に涙も枯れ果てたのか、ただ悲しげな瞳を七原に向けていた。
は、大切そうに桐山の頬を撫でながら、視線をそっと伏せた。
「私は、桐山くんと一緒にいる。そう約束したの」
このゲームに参加させられる前、はほんの少しだけ、七原の事が好きだった。
典子をはじめ、ほかの多くの女子がそうであったように。
けれど、今は。
の心を占めているのは桐山の事だけで。
他には何も考えられなかった。
だから、桐山を置いてまで生き延びる気は無かった。
ここに来る直前までは、はまだ脱出する希望を、少しではあるが持っていたのだけれど。
桐山が、目の前で死んでしまって、もうそれも消えてしまった。
私が、自分の手を汚さないで生き残るなんて、
そんなのずるいよね。
「やめるんだ、さん!」
すっと銃を拾い上げる に気付き、七原は怒鳴るように言ったが、
もうその言葉は には聞こえていなかった。
だから私も死ぬよ。
桐山くんがみんなを殺した銃で。
私も死ぬよ。
桐山くんは私に、生き残って欲しいって言ったけど。
ごめんね、できない。
私、側にいたい。
―桐山くんと一緒にいたい。
はもう一度、そっと桐山の手を握った。
気のせいだったのだろうが、僅かにその手が握り返されたような気がした。
「許してね、桐山くん」
震える手で、 は桐山を抱いたまま、桐山が最後に持っていた銃を、自分の方に向けた。
重いね。
これ持って、桐山くんは、戦ってたんだね。
ぱん。
火薬が弾ける音が響き渡った。
「さんっ!」
七原が悲痛な声を上げた。
「桐山くん、私…ね、怖く、ないんだ。どうして…だろ…ね……」
うなされる様にそう言う の口の端から、血が零れた。
赤黒い、底知れぬ深い穴がセーラーの胸に空いていた。
まだ喋れたのは、奇蹟に近かった。
は、桐山の冷たくなりかけた頬を優しく撫でた。
桐山の胸に顔を寄せた。
もう何の音も聞こえなかった。
一番最初に、自分の目の前で、さくらと山本が共に海に飛び込んだ様子を、は思い出していた。
―さくらと山本くんも、こんな気持ちだったのかな?
「私…きり…や…まく…の…こ…」
好きになってたのかな?いつのまにか。
多分そうだよね。
だって、怖くないもん。
全然、怖くない。
今は、一人じゃないから。
桐山くん……
おやすみなさい。
はそのまま、ゆっくりと倒れた。
桐山と、一緒に。
四十人目の命が絶えた。
「どうしてだよ……」
七原は、ぎゅっと唇を噛んだ。
彼の拳は、震えていた。
川田もまた、一年前の自分と慶子の事を思い出して、深い悲しみに包まれた瞳で、倒れた二人を見ていた。
典子はただ、泣いていた。自分が引いた引き金の重さを噛み締めながら。
戦いは終わった。
を守ろうとした桐山の戦いは。
桐山の願いは、叶う事はなかった。
そしてその後間もなく、この殺人ゲームは終わりを告げた。
二人の逃亡者を出して。
島に転がっている四十人の死体。
様々な死に方で。
中にはかなり損傷の酷い遺体もあった。
農家の前、
黒い学生服の少年とセーラー服の少女が、寄り添うようにして死んでいた。
少女の口元は少し赤く血で汚れていたけれど、
まるで眠っているような穏やかな顔をしていた。
少年の鼻の横には痛々しい銃創があった。
しかしやはり少女と同じ様に、とても安らかな死に顔だった。
目は閉じられていた。
二人の手はしっかりと繋がれていた。
おわり
2007/09/28
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