「今回のプログラムの対象となっていたクラスは香川県城岩町立城岩中学校三年B組でした。
発表されていなかった実施会場は高松沖10キロの沖木島で―」
興奮したようなアナウンサーの声。
毎年この時期になると決まって流れるこのニュース。
「優勝者は男子六番、桐山和雄くん」
カメラは群がる報道関係者の隙間から覗いた少年の顔をクローズアップした。

「よかった...桐山くん...生きててよかった...」
テレビ画面を食い入る様に見つめていた、城岩中学校三年C組のは、
画面に映し出された少年の顔を認めると、こみ上げる安堵感に
耐え切れず、ぽろぽろと涙をこぼした。


優勝者の少年―桐山和雄の顔は、まるで能面の様に無表情だった。
色白の肌には返り血と思しき紅い痕。
こうして「プログラム」に選ばれ、その死闘を潜り抜けて、生を勝ち取った者の中には、
あまりの恐怖の為か、あるいはお互い楽しい時間を共有して来た筈のクラスメイト達を
手にかけた罪深さに耐えかねてか、狂気に支配される者も少なくなかった。

しかし、この桐山和雄の瞳には、そんな狂気の色など微塵も浮かんではいなかった。

桐山のどこまでも澄んだ、しかし新月の夜を思わせる様に深く暗い瞳は、ただ虚ろに開かれたまま、
自分を取り囲んで喚き立てる大人達の姿を映していた。

周囲のざわめきも、彼にとってはまるで別の世界で起こっている出来事であるかのように。
桐山だけが静かだった。
彼の姿は、押し寄せた人混みに飲み込まれると同時に、画面から消え失せた。


は次の日、一人電車に揺られていた。
平日の昼下がり。
通勤ラッシュを過ぎた車内はがらがらだった。
は窓の外に視線をやり、溜息を吐いた。
大丈夫かな...桐山くん。
ほんの数瞬映し出されただけの画面からは、桐山の負傷の程度を窺い知る事は叶わなかった。
けれど、ひどく疲れている事は、確か。
は胸の花束を大切そうにそっと抱きしめた。

桐山の入院している病院の最寄り駅を告げるアナウンスが響いた。

病院は駅から歩いていける距離にあった。
交番で道を教えて貰い、病院に向かうまでの間、は桐山に想いを馳せた。
は桐山と一年の時、クラスが一緒だった。
入学式の日、親とはぐれてしまい、教室へ行くのにも迷ってしまっていたは、
偶然前を歩いていた桐山を呼び止めたのだった。
「あの、すみません」
は振り向いた桐山の顔を初めて見た時、思わず目を見張った。

とても美しい顔をしていた。
眉にかかるほど伸びた、艶やかな黒髪の下、長い睫に縁取られた切れ長の瞳が
じっとを見詰めた。
「何か?」
形良い唇が紡いだ声はどこか冷たかったが、良く通って耳に心地良かった。
「あ、あの...一年D組の教室って...どう行けばいいでしょうか...」
は緊張のあまり思わずどもってしまいそうになりながらも、何とかそう訊いた。
彼はほんの少し、眉を持ち上げた。
そうして、呟いた。
「...俺と同じクラスだな」
はまた目を見張る。
上級生だとばかり、思って居たのに。

それから、一緒にD組まで歩いた。
教室に着くまでの間、桐山はほとんど話さなかった。
ただ最初に「名前は?」とに尋ね、
がおずおずと答えると、桐山は「そうか」と返した。
その後すぐ、自分も「桐山和雄」と名乗った。

席につき、担任に指示されて一人ずつ行った簡単な自己紹介の中で、
桐山が中学入学の直前に県外から越して来た生徒だと言う事が、わかった。
自身も同時期に城岩に越してきたので、似た境遇の桐山に親しみを覚えた。
何しろこちらに来て初めて話した生徒が、桐山だったのだから。

それからクラスで仲の良い友達が出来始めてからも、は桐山に挨拶をした。
桐山はきちんと返した。

ただ、五月に入ってすぐの事だっただろうか。
「桐山くん...!どうしたの、その髪...!」
「充が、こうした方がいいと言ったから」
は驚きを隠せなかった。
桐山はやや長めだった髪をオールバックにして登校して来た。
一風変わった髪型。
元々眼光が鋭かったのに加えて、さらに威圧的な雰囲気を持つその髪型。
「何か、おかしかったかな」
「...ううん...そうじゃない、けど」
似合っているけれど、は複雑だった。
桐山は沼井を始めとする不良グループと付き会う事が多い様だった。
、よく桐山君と話せるね、怖くない?」
「あんまし関わんない方が良くない?相当やばいらしいよ、桐山」
一部の女子などは意味ありげににそう囁いた。
桐山に関する穏やかでない噂も良く耳にする様になった。
けれどは、そんな噂で人を判断するのは間違っていると思ったし、
実際話して、桐山は怖い人ではない、と言う事はわかり切っていた。
「そんな事ないよ、桐山くん、いい人だよ」
そう言っても相手にして貰えない事を、は歯痒く思って居た。
桐山本人は、全く気にも留めて居ない様だったけれど。
は、気にしていた。
思えばその頃から少しづつ、は桐山の事が好きだったのかもしれない。

ただ、桐山が不良グループの中にあって、どんどんとその強さが知れ渡っていくのに
比例して、は桐山との間に距離が出来てしまったように思えた。
がごく普通の女子グループに属していた事や、桐山が頻繁に学校を休む様になって
しまった所為もあるかもしれない。
すれ違った時、挨拶を交わすだけ。
クラス替えが行われる頃には、桐山との関係はそんな些細なものになってしまっていた。
それでもたまには会話もする。
は少し寂しいと思いながらも、今のところはその関係に満足していた。
いつか、もっとちゃんと話せるようになれたらいい。
そんな曖昧な期待を胸に秘めて。

目の前に病院が見えた。
はまたぎゅっと花束を抱きしめた。

桐山のクラスがプログラムに選ばれたと知らされた時の事を思い出した。
は言葉に表せないほどの衝撃を受けた。

桐山と最後に話したのはバスに乗り込む直前。
「楽しみだね」
そう言って笑いかけると、桐山は頷き、「そうだな」と呟いた。
こういう行事に参加するのは初めてだ、と桐山は言った。

「ひどいよ...初めての修学旅行なのに...こんな事って...」
は涙を流した。
最悪の場合も覚悟したけれど、どうにか桐山には生きて帰って来て欲しいと思った。
例え、桐山が誰を殺す事になっても。
生きて帰って来て欲しい。
は三日間、ろくに夜も眠らずに願い続けた。
そして、その願いは叶えられたのだ。

桐山は、帰って来てくれた。

受付で桐山の病室を訊いた。
少し詳しく自分と桐山との関係について尋ねられたが、
「友達です」としか言えなかった。
相手はちょっと訝しげに眉を顰めた後、「305号室です」と答えた。
「ありがとうございました」
は軽く頭を下げて、踵を返した。

―桐山くん、びっくりするかな。
の階段を上る足取りも軽かった。
桐山に会える嬉しさで、胸がいっぱいになっていた。
桐山の居る三階の病室に着くのにも、さして時間はかからなかった。

305号室は、階段から右にまっすぐ歩いた所にあった。
綺麗な白い扉に貼られた「桐山和雄」の名前を確認する。
どうやら、個室のようだった。

この扉の向こうに、桐山くんが、居るんだ。
は一度深呼吸して、気持ちを落ち着けてから―、
軽くドアを叩いた。
「どうぞ」

すぐに返って来た、聴き慣れた声。
間違いは無かった。
その声は確かに、桐山の声。
聴きたくて仕方なかった、桐山の声。

は引き寄せられるようにドアを開いた。

病室の中は真っ白だった。
遮光カーテンの隙間から光が差し込んでいる。
の目に最初に飛び込んできた、大きなベッド。
その上のほんの少し盛り上がっていた布団が動いて。
見慣れた顔が覗いた。
会いたくて、仕方なかった顔が。
は思わず声を上げた。
「桐山くん!」

「...
の声に驚いた様に、数回、瞬きをして。
桐山はそうの名を呼び、上半身を持ち上げた。
ベッドの脇から、点滴の管が伸びていて、布団の中に潜っていた。

「どうしてここが?」
抑揚の無い声で桐山はに訊いた。
その顔はいつもと変わらない無表情だったが、
少し、やつれている様に見えた。
普段のオールバックも下ろしていた。
どこか一年生の時の彼を彷彿とさせる髪型だった。
は開きっぱなしだったドアを出来るだけ静かに閉めて、桐山の方へと歩み寄りながら、答えた。
「桐山くんの家に、電話して聞いたの」
「そうか」

そう一言だけ言うと、桐山はから視線を外した。
もう興味は無くなった、と言わんばかりの様子で。

の方は、まだ心配そうな表情を崩さなかった。
桐山のベッドの脇で腰を屈めて、問い掛けた。

「怪我...どんな」
「骨が折れていた。あと、何箇所か打撲がある」
桐山はの問いに、機械的に返した。
まるで他人事の様な口調だった。
「...大丈夫?」
「命に別状は無い」
「...」

暫しの沈黙が訪れた。

が黙ったままなので、不思議に感じたらしく、桐山はつと伏せていた視線をの方に
向けた。
そうして、少し目を丸くした。
「...。どうして、泣くんだ?」

の大きな瞳には、涙がいっぱい溜まっていた。
「あっ...ごめん...」
は慌てて目を擦った。
桐山に言われて初めて気がついたらしい。
「別に、謝る必要はないんじゃないか」
桐山はの様子に動じた風もなく、淡々と言った。

の涙が止まるまでには、また少しの時間が必要だった。
桐山はそんなを、いつも通りの無表情で、静かに見詰めていた。

は、まだ少し掠れたままの声で、言った。
「あのね、私...すごく、嬉しくて」
「...嬉しい?」
不思議そうに首を傾げる桐山に、は頷いて見せながら、続けた。
「すごく、心配してたんだ。桐山くんに...もう会えないんじゃないか...って」
はそう言うと、潤んだままの瞳で、じっと桐山を見詰めた。
「でも桐山くん、ちゃんとこうして帰って来てくれたから...」
「...」
桐山は静かにの話を聞いていたが、やがて、
数回瞬きをした後、すっと左こめかみのあたりに手を当てた。
「そうか」
そう言った桐山の声は、どこか弱々しかった。

はその桐山の顔を見て、胸をつかれる様な気がした。
桐山は、ひどく辛そうな顔をしている様に、見えた。
額には汗が滲み、色白の肌は普段より更に血の気を失っていた。
「桐山くん...大丈夫?」

桐山はの問いに、力無く頷いた。
そうして、上半身を再びゆっくりと倒した。
。すまない...もうすぐ検診の時間だ」
少し詰まった様な声だった。


「あ、ごめん、私...帰るね」
は少しだけ名残惜しそうに言った。
「ああ。...済まないな。せっかく来て貰ったのに」

桐山は静かに言った。

錯覚だろうか。
桐山の顔はどこか寂しげなものに見えた。

は、思わず言った。
「また...来るから」
「ああ」

はまだもう少し桐山と話していたかったが、今日は仕方ないと諦めた。
また、次に来ればいい。
だが、その前に。
は持っていた花束を差し出した。
「あ、桐山くん、これ」
。これは?」
「...お見舞いに持って来たんだけど...花、嫌い?」
「いや」

桐山はありがとう、と言ってから、
から花を受け取った。
「後で飾らせてもらうよ」

そう言った桐山は喜んだ様子も無かったが、嫌そうな様子でもなかったので、はほっとした。

「じゃあ、またね!」
は軽く桐山に手を振ってから、病室を後にした。
途中で背の高い医師とすれ違った。
どんな顔か、はっきりと見る事は出来なかったけれど。


「今度は、もっと早く来ようかな。ゆっくりできるし」
帰り道、はそんな事を考えながら歩いた。

桐山はやっぱり、すごく怖かったのだろう。
痛い思いや、悲しい思いも、たくさんしたに違いない。
は桐山の心中を察して胸を痛めた。

桐山が元気になるまで、は何度でもお見舞いに来ようと思った。
自分に出来ることなら、桐山をプログラムのショックから立ち直らせてあげたいと。

しかしは気が付かなかった。
桐山は罪悪感など持った事が無いのだと言う事を。
いや、罪悪感のみならず、
桐山和雄は今まで生きて来た中で、何かを「感じた」ためしなど一度も無かったのだと言う事を。
そして、皮肉にもそれが、桐山にプログラム優勝という幸運をもたらしたであろう事を。


つづく



++++後書き++++
新連載。これは大分以前から書きたかった話だったりします。
最初全然甘くないので、読んで下さる方いるか不安なのですが。
「桐山がもしプログラムから帰って来たら」を想定して書いていきます。
よろしければお付き合いください。