「やるべき事がある。終わらせたら、戻って来る」
桐山くん…。
何度も玄関から外に出ては、は桐山の帰りを心待ちにしていた。
颯爽とここを立った桐山からは以前の危うげな雰囲気はすっかり消え、元通りの頼もしさを
取り戻したようにも、見えたのだけれど。
ー不安で仕方がなかった。
血が繋がっていないとはいえ、形の上での父親に、桐山は命を狙われているのだ。しかも、ここ一帯では知らぬものなど居ないほどの、
大企業の経営者に。
この気持ちは、プログラムに桐山のクラスが参加させられたと聞いたときに味わった気持ちと似ていた。
もしかしたらーもう?
そう考えて、必死に否定した。
桐山くんは、ちゃんと帰ってきてくれる。約束したもん。
だからどうか。お願い。無事でいて。
本当なら、ついて行きたいくらいだったのだけれど、桐山ははっきりと口にしないにしろ、それを拒んでいる風だった。
だから、こうして待っている。
彼が、何の変わりもない姿で戻ってきてくれるのを。
彼が姿を現したのは、が最初に外に出てから二時間あまりも経ってからのことだった。
特に急いだ風もなく、彼は近づいてきた。
「桐山くん!」
桐山の姿を目にするとーは我を忘れて、彼に駆け寄った。
何よりも待ち望んだ帰還だった。
「よかった…ちゃんと帰って来て、よかった」
「約束したからな」
が泣きそうな声で言うと、桐山は穏やかに返した。
心なしか、桐山の顔にも安堵した様子が見えるようだった。
ここを出る前と、ほとんど様子は変わっていないけれど。
それでも、何か肩の荷が下りたようなー。
「…終わったの?」
「ああ。全部」
桐山はそっと目を閉じて、言った。
何が終わったのかは、桐山のどこか寂しげな顔が表しているような気がして。
は無言でそんな桐山を抱きしめた。
桐山もまた黙って、の背中に手を回した。
「…」
の頭をそっと撫でてから、桐山は言葉を切り出した。
「俺は、この街を去ることになるだろう。そういう決まりだ」
「ーえ?」
衝撃を受けるに、桐山はあくまで淡々とした声で言った。
「プログラムで生き残ったものは、強制的に他の県の中学校に転校させられる」
「…そんな」
はまた泣きそうになった。
どうしても、別れなくてはいけないのか。
桐山くんと一緒に居たい。
そして多分。桐山も。そう思ってくれているのに。
桐山は静かな表情のまま、そんなを見詰めているだけだったが、やがて、穏やかな声で言った。
「だが。…高校はこちらの高校を受験するつもりだ」
は目を丸くした。
「…それ以外に、考え付かないんだ。…俺の行くべき場所が。どうしてなのかな」
「…桐山くん」
そっと目を閉じた後、桐山はの背中に手を回し、抱きしめた。
「俺は、の居るところに帰って来たい」
はもう胸がいっぱいになって、何と言えばいいか、わからなくなった。
桐山の背中に手を回して、ぎゅっと抱きしめた。
暫くして身を離したあと、桐山はいつになく優しい、綺麗な顔をして、言った。
何の迷いもない声で。
「。…またな」
「行ってらっしゃい。…気をつけてね」
送り出すにも、笑顔が戻っていた。
「将来を約束された」プログラム優勝者である桐山に向けて政府が用意したアパートは、以前の生活水準を考えるならばひどく粗末なものであったけれど、
特に不都合はなかった。
わずかばかりの荷物を解きながら、桐山は今後のことに思考を巡らせた。
義父は自分を取り戻すことを諦めたようだった。監視の目が置かれている事は確かだが。
養子縁組を解除されても、苗字が変わらぬままだと言うことは、本当の父親の姓も桐山だったと言うことか。
どうした偶然だろう。…どうでもいいことなのかも知れないが。
いろいろと手を尽くして調べてみたが、母親は自分が生まれたその日に事故死しており、父親は、未だ「消息不明」とされていた。
義父の口振りから察するに、もはや生きては居ないのだろうけれど。
親類縁者はほとんど早世していて、文字通り自分は天涯孤独の身であった。
頼る必要性もないと判断した。「本当の父」が形式的に生存している状態となっている今は、強制的に施設に
入れられるということもないだろう。中学の卒業を待って、奨学金を取って高校に通えば良い。
生計を立てる手段はいくらでもある。政府からの保障も。
そこまで機械的に考えた後、桐山はぽつりと独り言を言った。
「あちらには、どんな高校があったかな」
普通の受験生なら真っ青になるところだが、桐山はこれまでほとんど受験を意識して生活してきたことはなかった。
今度、に聞いてみることにしよう。
桐山は作業を再開した。
蝉の声もいよいよ勢いを増す七月の終わり。
終業式帰りに、は迷った末にある場所を訪ねることを決意した。
余計な真似かもしれないし、追い返されても文句は言えないけれど。
場所は小学校からこの土地に居る友達に聞いた。僅かに訝しげな顔をされたけれど、
足を運ぶのは自分ひとりなのだから、問題はなかった。
築数十年はあろうというアパート。
錆の目立つ階段を上って、二階。
ドアをノックしようとしたところで、は人の気配に気づいて振り返った。
黒いランドセルを背負った男の子が立っていた。
「姉ちゃん。…誰」
気の強そうな目元。
どこかに、笹川の面影があるように感じられた。
「あの、私…一年生のとき竜平さんと同じクラスで」
がどもったように言うと、男の子のつり上がった眉が、ほんの少し下がった。
「…兄貴に?」
かびの匂いが鼻につく、ひっそりとした佇まいの部屋。
まだ新しい位牌と、勝気に笑った笹川の遺影に、は手を合わせた。
言葉を交わしたことも、一年生のときに数回の相手だけれど。
「兄貴のボスでさ、俺を助けてくれた桐山さん。…あの人なら生き残るんじゃないかって思ってた」
後ろから笹川の弟がぽつりと言った。
誰が優勝したのか。
知ったとき、この子はどんな気持ちだったのだろう。
「恨んでないよ。…兄貴があんなに尊敬してたんだから」
の思惑を察したように、笹川の弟は、ちょっと潤んだような声で言った。
は振り返って、少し頭を下げた。
「辛いこと、思い出させちゃってごめんね」
「…いいよ。ここ来てくれたのなんて、姉ちゃんと、兄貴の彼女くらいなんだからさ」
次にが目指した先は、おそらく桐山ともっとも親しかったー沼井充の家だった。
「あの子。…ずいぶん悪いこともしたみたいですけれど」
出迎えた充の母親は、痩せ気味の、気の弱そうな女性だった。
けれどやはり充と血のつながりを感じさせる顔立ち。
「中学に入ってからは、とても幸せそうな感じでした。私にも優しくしてくれました」
満面の笑みを浮かべた充が、生きていたそのときの姿のまま、額縁に収まっていた。
「何がきっかけだったんでしょうね。…でも少なくとも、家の中じゃなくて、外で大切な何かを見つけたんでしょうね」
充の母親はごめんなさいね、と言って、嗚咽を漏らした。
の目元も、じわりと熱くなった。
黒長と月岡の家は留守だった。
特に月岡の家は人が住んでいる気配すらしなかった。
失ってしまったものは返らない。
わかってはいるけれどー何て寂しいんだろう。
四人とはほとんど話したことはなかったけれど。
そのですらーこんなに寂しいのだから。
勝手かもしれないけれど。
桐山の分まで、四人に祈った。
桐山くんはきっと、みんなと居られて、幸せでした。
だって、あんなに寂しそうなんだもの。
澄み切った快晴の空の下、は歩いた。
三年B組の生徒たちの家族は、これから新盆を迎えることになる。
永遠に帰らない子供たちの残した空虚は、そうすぐに埋められることはないのだろう。
「ここ、どうしてこうなるんだろう。」
夏休みを利用して、桐山が暮らすアパートにやって来たは気難しそうな顔をして言った。
桐山は少し首を傾げてから、の答案を指差す。
「ここの公式に間違いがある。ここまでは、合っているよ」
「はあ、ほんとどうしよう…」
「僅かなミスだ。克服するのはたやすい」
落ち込むを慰めるかのように、桐山は静かな声で言った。
「そっちは…どんなところ?」
「特にこちらと変わらない」
桐山は淡々と言った。
口にしているものに夢中らしく、どこか曖昧な返事。
「…ふうん」
もまたそれを頬張りながら頷いた。
勉強の合間の間食は、二人決まってバニラアイスだった。
塾に通う。一日一日をただ過ごしていく桐山。
それでも三日に一度は電話をして。直接会うのは、稀にしか出来なかったが。
二人の交流は途切れることなく続いた。
桐山の転校先は、城岩とは比べ物にならない都会の中学校だった。
二学期が始まる日。桐山は新品の制服を身に纏って登校した。
誰ひとり知るもののない学校に。
「事情は聞いている。クラスの皆には黙っておこう。君も、残り僅かだけれど、ここの生活を楽しんで欲しい。
悩みがあったらいつでも来なさい」
桐山を迎えた担任教師はそう言って、人懐っこそうな笑みを浮かべ、桐山の肩をぽんと叩いた。
桐山は頷いた。
どことなく、以前居た城岩中の、三年B組を受け持っていた林田先生の面影があるように感じた。
二学期最初のテスト。掲示板に張り出されたランキングのトップに桐山は名を連ねた。
以前のトップの座から引きずり下ろされる形となった優等生たちは歯軋りした。
もう学校を休むような用事のない桐山は、それからほとんど欠かさず出席したが、特に親しい友人は作らなかった。
意図的にではなく。どうでもいいと思ったのだ。
秋が過ぎ、冬が来て。受験がいよいよ近づいてくる。
さすがに桐山とはお互いに会うことも控えねばならなくなった。
十二月二十五日。
生まれてから十五回目の誕生日を、桐山はひとりで迎えた。
その日、久々に長い夢を見た。
十二月の、とても、とても寒い日のことだった。
ホワイトクリスマス。
子供たちはプレゼントを心待ちに眠りにつく。
初めてのプレゼントに、父親と母親から生命を貰った。
けれど、その代わりに奪われた。
与えられるはずだった何かを。
教えてもらえるはずだった何かを。
備わっていたはずの何かを。
残されたのはただ、空虚。
誰も助けてくれない。
未来への希望も、何一つ持つことなど出来ない。
用意されたレールの上を、ただ命じられるまま、人形のように歩いていた。
傷ついても、立ち止まることを許されずに。休むことを知らずに。
「どうか、生きて」
わけがわからないまま生きていた。
「幸せになって」
俺にはよくわからないんだ。
暗闇の中、前方に長い黒髪の女が立っていた。
どこか見覚えのある面影。
…誰だ?
女は、微笑んだ。
ほんの少し、こめかみが疼いた。
「でも、今はわかるでしょう?」
いつも、聴いていた声だった。
いつも俺に。
ー生きていろと。幸せになれと言っていた。
「…やはりよくわからない。…今の俺は幸せなのかな?」
尋ねた。
「それは、お前が決めることだよ」
女の隣に、今度は男が現れた。
若い男だった。ほんの少しやつれた顔をしている。
けれど多分ーとても、優しい顔。
「わからないなら、これからわかればいいじゃないか」
男は、やはり微笑んだ。
「私たちは、ずっと見ているわ」
女が言った。
「お前に幸せになって欲しい。それだけが望みだ」
男が、続けた。
若い男の顔はよくわからなかったけれど。
女の顔は…そうだ。
鏡で見る、俺の顔に、とてもよく似ていた。
二人は微笑んだ。
「幸せになってね」
こめかみがちりっと疼いた。
まさかー。
手を伸ばした。
けれどもう、そこには誰も居なかった。
闇が広がる。
「ボス」
背後から、聞き覚えのある声がした。
驚いて、振り返る。
「幸せに、なってな」
そこにあったのは、懐かしい笑顔だった。
こめかみがちりちりした。
「充…」
城岩中学の学生服を身に纏った四人の笑顔。
ー月岡。笹川。黒長。
少しだけ、寂しそうな。
「さよなら、ボス」
「………」
こめかみの痛みで目を覚ました。
心臓が、少し苦しい。
…夢。
桐山は身を起した。
こめかみをそっと撫ぜた。
…この気持ちは、いったい何だろう。
あの二人も、充たちも。もう既にこの世にいない者たち。
いったい、どうして自分のもとに来たのか。
それとも自分の想像の産物に過ぎないのか。
答えを導く術はなかった。
ただ言えるのは、それらの者たちを、自分は忘れていないということ。
…さよならか。
桐山は瞬きした。
急に目が冴えてしまった。
なんとも言えない気分だった。…胸が詰まって…苦しい。
その時、滅多に鳴らない携帯電話が着信を告げた。
からだった。
「ごめん。寝てたかな」
「いいや」
…今一番聞きたかったのは、多分このの声。
以前、電話をかけずにはいられなかった、それと同じ気持ち。
「今日…誕生日だったよね。どうしても言いたくて」
少しの間の後、が少し潤んだような声で言った。
「…お誕生日、おめでとう」
「ああ。…ありがとう」
何もなかったのではなくて。
気がつけていなかっただけなのだろうか。ー俺は。
俺は愛されていた。
…今もきっと。
こめかみが、鈍い疼きを持って、自分の中に確かに息づく何かの存在を訴えかけてくる。
桐山はそっと視線を持ち上げ、カーテンの隙間から覗く外の風景を見詰めた。
雪が降っているようだ。
「桐山くん」
「なんだ?」
「雪、そっちも降ってるかな?」
「…ああ」
「風邪、引かないようにね。あったかくして寝て…」
「…ああ」
…俺は愛されている。
「…も」
桐山は、妙に詰まったような声が出るのを感じた。
風邪をひいた覚えもないのに。
俺も…愛することはできるのだろうか。
桐山は電話をぎゅっと握り締めた。
年も明けて、二月。
と桐山は入試会場で再会した。
「…久しぶり」
「ああ。…元気にやっているかい?」
「うん」
今は、桐山は違う制服を着ていた。
城岩中学校の生徒ではなくなったから。
心なしか、以前会った時よりも大人びて見えた。
は僅かに不安げな顔で、桐山を見上げた。
合格圏には入っている高校。けれど、心臓は高鳴っている。不安でないと言えば嘘になる。
そんなに気づいてか、桐山は少し目を細めて、穏やかな声で言った。
「あまり、緊張することはない。覚えていることを、ただ書けばいいんだ」
そうしてそっとの肩に手を置いた。
「…うん」
桐山の言葉は、の迷いを断ち切ってくれた。
以前が、桐山の迷いを断ち切ったときのように。
桜の舞う季節。
桐山とは、同じ高校の門をくぐった。
相変わらずの、襟足が長めの、特徴的なオールバック。桐山は、まだこの髪型を変えては居なかった。
以前は充に学校でセットして貰っていたようで、最初はどこか決まらない感じだったのを、が直
してあげていた。
「和雄と同じ高校来てるなんて、嘘みたい。和雄だったらもっとすごいとこ行きそうなのに」
は感慨深げな声で言った。
コースこそ違うものの、初めて桐山から志望校を聞かされたときは、とても驚いたものだ。
桐山はそっと目を伏せてから、静かな声で言った。
「これからのことは、まだ、決めていないから」
そう言えば、中学校の入学式の日も。
こんな風に桐山と二人並んで歩いたことをは思い出した。桜が舞い散る、その日に。
「もう、会社を継ぐ必要はないから。俺がやりたいことを探してみようと思うんだ」
あれから、いろいろなことがあって。
にも。ー桐山にはもっと。
「…そう」
は少し寂しそうに微笑んで、桐山に身を寄せた。
それでも、今こうしていられることはーとても幸せなことで。
「私はよかったよ。…和雄と一緒の高校来れて」
桐山はそんなの髪を、そっと撫でた。
「ああ。…俺も」
生きていてよかったと。
ちゃんと感じられる日は、そう遠くはないのかもしれない。
どうか生きて。幸せになって。
今はただ、生きていようと思うんだ。
今はよく分からなくても。いろいろな、ことが。
生きていれば、…いつかきっと。
おわり
後書き:
2003年3月に開始した連載ですが、どうにかここに終結を迎えることが出来ました。
その間に二転三転した設定、展開ですが、結局訴えたいことはひとつ。
「桐山に生きていたいと言う希望を持って欲しい」でした。
主人公に出会うことで、桐山は自分が持っていた大切なものについての自覚を持って欲しかった。
「幸せ」については何度も本編に出てきますが。
こればかりは私が決められることではないので。
この話の中での桐山には、生きていく中で彼なりの「幸せ」を見つけて欲しいと思います。
主人公と桐山がどういう関係かは、ご想像にお任せいたします。
原作での設定を無視して「桐山生還」というパラレル設定で書いてきたこの話。
管理人の自己満足ではありますが。
読んだ方に少しでも希望と救いの気持ちを持っていただけたら幸いです。
話を書く上で、意見を下さった方々。
直接的ではないにしろ、展開上のヒントを与えてくださった方々。
最後までこの話を読んでくださった方々、ありがとうございました。
詳しい解説と、設定は後日掲載したいと思います。
この連載終了をもって、バトルロワイアルの夢小説の更新は暫く休止させていただきます。
意外と早く戻ってくるかもしれないし、戻ってこないかもしれない。
管理人の今後の状況によりますが(汗)。
長い間、本当にありがとうございました。
2003年12月31日 月乃宮 玲
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