「お前は私の本当の子供ではない。だがお前は私のたったひとりの後継ぎだ。お前が私の期待を裏切る事は許されない。私の言う事に従え。お前はそのために生きているんだ」

最初の記憶。
「父」は自分にそう言った。

本当の親はどうなったのか。
父はそのことに関しては何も教えてくれなかったし、自分も聞かなかった。
どうでも良い事だと思って居たからだ。

自分はここに居る。
桐山家の後継者、桐山和雄として。
父の言う事だけを聞いていればそれで良かった。
自分で考える必要はなかった。何も。

プログラムに巻き込まれた。
答えをくれる父は居なかった。
自分で決める事が出来なかった。
コインは父の代わりだった。

自分の選択は正しかったのだろうか。

父なら、何と言っただろうか。

「お前は良くない連中と付き合っているようだな」
中学に上がって暫くした頃だっただろうか。
桐山は父の部屋に呼び出されてそう言われた。
「良くない連中」というのは充たちのことだろうか。
どう言う部分が「良くない」のか、桐山には良くわからなかった。充たちの勧める事は悪くないと思っていた。少なくとも、父の命ずるまま受けた特殊教育の数々より、ずっと新鮮なものに思えた。
無頓着だった髪型を変えたのもそのためだった。
ああ、は、驚いていたけれど。

しかし、桐山はその疑問は口にせず、ただ黙って父親が口を開くのを待った。

「まあ、そういうのもたまにはいいだろう。しかしあんな汚い連中を家に近づけることだけはしないでくれよ」
父は特に感情の篭もらない声で言った。
ずっと父はこんな調子だったし、家の使用人達もさして変わらない口調で話していたので、
充たちや、そう、入学式の日初めて話した女子のの表情豊かな様子に最初戸惑いを覚えたものだ。
最近はそちらに慣れてしまっていたけれど。
汚い連中?
汚いとは?
父の真意を測りかね、桐山は怪訝そうに眉を寄せ、父を見上げた。
ごく薄く皺の刻まれたその顔には表情がまるで無かった。
桐山が極端に感情表現が希薄な少年に育ったのも、あるいはそんな父の顔に慣れてしまっていた所為もあるのかも知れない。
もう一つ、大きな理由があったが、それについて桐山自身は全く知らなかった。
「もし近づけたら、その時はそいつらにこの街から消えてもらうかも知れない」
父は相変わらず安定したトーンの声で、続けた。
しかし最後の「消えてもらう」という部分を話す時、意識的に父の声が低められたのがわかった。
「消えてもらう」
それ以上詳しく父は話さず、「もう行きなさい」と命じられたので桐山は自室に戻ったのだが、
父の言わんとする事は何となく理解できた。

それ以来、桐山は自宅に知り合いを近づけた事は決して無かった。
いや、親しいと呼べる人間はごく限られていたし、特に問題は無かったのかも知れないが。

そう言えば、充たちを除けば、自分が学校でまともに話していたのはくらいだ。
それもすれちがいざま挨拶を交わし、時折ほんのささやかな会話をする程度の仲にすぎなかったのだが。

親しいわけでもないと思って居た。
クラスが離れてしまった今、自分との間の繋がりはほとんど切れてしまっていたと思って居た。
それに対し特に思うこともなかったのだが。

プログラムから帰って来て、自分の帰還を喜び、涙を流してくれたのはだけだった。
がなぜ泣いたのか、どうして自分が帰って来た事が嬉しいのか、桐山には良く分からなかったのだが、自分の中の何かが満たされたような気持ちになった。

何時の間にかの存在は、桐山の中でかけがえの無いものとなっていた。
桐山は自覚こそないものの、が見舞いにやって来るのを心待ちにする様になった。

が居なければ、日がな一日真っ白な天井を眺めて過ごすのみだ。
他に訪ねてくる者と言えば担当医か看護婦くらい。

そう言えば父は一度も面会に来ていない。

桐山はちらりと時計を見た。
そろそろいつもがやってくる時間だった。



「こんにちは」
ドアを開けるとすぐそう言って、明るい微笑を零す。
もうすっかり見慣れた、の笑顔。
のその顔を見ると、何だか温かい気持ちになるのだ。

もう随分と増えた、見舞いの品。
は来る度に様々なものを桐山にくれた。
寂しくないようにと小さなぬいぐるみ。
退屈をしのぐための本。
他にも、いろいろ。
そして、今日は。

「次は何が欲しい?桐山くん」
前回来た時、は桐山にそう尋ねた。
「...そうだな」
桐山は少しだけ俯き、何か真剣に考えている様な素振りを見せた後、
まっすぐを見て、答えた。
「バニラアイスがいい」

はそんな桐山の答えに、随分と驚いた様だった。
「え...?そんなのでいいの?」
の問いに、桐山はこくりと真顔で頷いた。
「お腹に悪そうだけど...」
「もう食べ物は大丈夫だと許可を貰った」
桐山は淡々と言った。
はそう言われて初めて、桐山の点滴がはずされていた事に気付いた。
「...もうお腹治ったの...?」
「ああ。もうほとんどは」

「ほんと?良かった...!」
はとても嬉しそうな顔をして、言った。
まるで自分の事であるかのように、は桐山の回復を喜んでくれた。
次来る時買ってくるから、はそう言って帰っていったのだった。


「はい。これ。適当に選んじゃったけど」
は手にしていた袋の中からバニラアイスを取り出した。
「ああ、すまない」
「桐山くんって、もしかしてバニラ好きなの?」
「...悪くない香りだと、思うんだが」
桐山は自分がその香りが好きなのかどうかは分からなかった。
ただ、最初にに貰ったリップの香りと、
それに、去年の夏の思い出が重なって、
気にかかった。どうしても。

「そっか、私も好きだな。バニラ」
は微笑んでそう言い、アイスの蓋を開ける。
「...もう自分で食べられる...よね?」

桐山はにそう問われても、黙ったままだった。
じっとの顔を見詰めた。
もう、自分で食べられる。点滴は外れているのだから。
それでも、桐山は前ににリップを塗ってもらった感覚が忘れられなかったのだ。
だから。

桐山の無言の訴えかけに気付いたのか、は少しだけ顔を紅く染めた。


は木で出来た小さなスプーンでアイスをそっとすくい、桐山の口元に持って行ってやった。
桐山は相変わらずの無表情で口を開き、落ち着いた動作でアイスを食べた。
こうして「何かをしてもらう」のは桐山にとってとても新鮮な事だった。
今まではほとんど誰に頼る事無く、一人で何でもこなしていたのだから。
それでも、こういうのも悪くないと思った。
も嫌がっては居ない様だった。

それからは、いつもの様に桐山に学校の話などをして聞かせた。
桐山がこうして入院するようになって、既に一ヶ月は経っている。
学校の様子はやはり桐山も多少興味があるので、静かにの話に聞き入っていた。

「今年受験だから、みんな前より頑張ってるよ」
桐山はにそう言われて初めて、自分も受験生だった事を思い出した。
もっとも自分は義務教育程度の学習はとっくに終えてしまっていたから、特に何もする必要はないのだが。
「普通」の中学三年生ならば、今まで以上に力を入れて勉強に取り組むものなのだろう。
もうすぐも塾に通う事になるのだという。
「そうしたら、あんまりしょっちゅう来れなくなっちゃうかもしれないけどね」
「そうか」

桐山は少しだけ目を細めて、言った。
「受験までには治る。きっと」


「何かあったのかい?この前よりもすごく良くなっているよ。もしかしたら、予定よりずっと早く退院できるかも知れない」
数日前の検診の時、担当医は驚いた様にそう言っていた。
自分でも以前よりずっと体の調子が良くなった気がした。
痛みももうほとんどない。
回復が早まった理由は良く分からないけれど。
強いて言うならば―。

「そっか、そうだよね。もうだいぶ良くなってるもんね」
は桐山の言葉にまた嬉しそうに笑って、言った。
桐山はそんなの顔を見て、自分の中にまた何か温かいものが広がるのを感じた。
―きっと、が来てくれていたから。


時間が経つのは早いもので、気がつけばもう夕方になっていた。
日も大分のびていたから、まだ外は随分と明るかったけれど。
「桐山くん、じゃあ私、そろそろ帰るね」

は名残惜しそうに言い、椅子から立ち上がった。
これは、毎度の事だ。
は帰っていく。
そうして自分は一人取り残される。
当たり前の事。
それなのに。
桐山はこめかみが酷く疼くのを感じた。
―何かが足らないという感じ。

最後の戦いを思い出す。
相手は三人組だった。
かなりの苦戦を強いられた。
それでもそのうちの一人を倒した後はあっけなかった。
二人はほとんど抵抗する事無く、自分に殺された。

最後の生徒が崩れ落ちるのとほぼ同時に、桐山も膝をついた。
―終わった。
入ったままだったスイッチが漸く止まる。
目的は達成された。
自分はプログラムに優勝したのだ。

だが少しも嬉しいとは感じなかった。
生き残る事が目的だった訳では無かったのだから。
ただ、ゲームを終わらせようとしていた、それだけ。
目的を失った後に残ったのは、果てしない虚無感だけだった。
もう誰も居ない。
自分以外に、誰も。

何かが足りない感じがした。

少なくとも、ほんの二日前バスに乗り込んだ直後までは満たされていた何かが。
綺麗さっぱり無くなってしまった様な。
そんな感じが。

桐山はそっと手を伸ばして、の腕を掴んだ。
「桐山くん?」
は驚いた様に瞬きをして、そんな桐山を見詰めた。

行くな。
が居なくなったら、俺は。
「どうしたの?桐山くん」
が心配そうな顔で此方を見ていた。

―また一人になってしまう。
どうしていいか、分からなくなるんだ。



「ええ、ですから桐山くん、彼女が来たら急に元気になるみたいで。いつも無口なのは変わらないですけど、何だか嬉しそうなんですよ」
「良い事じゃないか。やはり気持ちの問題、と言う事だね」
桐山の担当医と看護婦は、その頃、桐山の話題で盛り上がっていた。
ここに運び込まれて来た時はまるで生気の無かった桐山が、今では見違えるほど回復した事に二人は驚いていた。それに喜んでも居た。
ここは桐山家のかかりつけの病院だった。
桐山はほんの幼い頃からここで治療を受けて来た。


突然、部屋の電話が鳴り出した。
医師がそれを取ると、今ちょうど話していた桐山の父親からのものだった。
「今周りに人が居たら、席を外して貰ってくれ」
桐山の父の言葉に、医師はその場に居た看護婦に頭を下げて、部屋から出て行ってもらった。
何か大事な話があるような口振りだった。
「和雄の状態はどうだね?」
「ええ、大分良くなってきていますよ。傷もほとんど治ってきていますし。一時はどうなる事かと思いましたが」
医師は桐山の父が息子の容態を気にかけているのだろうと思い、そう言った。
彼が喜んでくれる事を期待して。
しかし桐山の父はそれ以上尋ねようとはせずに、冷ややかな声で言った。

「ここの事を使用人が余計な人間に教えたみたいだが」
「余計な...?」
「誰か和雄を見舞いにきているやつがいるだろう」
「ああ、あの女の子ですか?...和雄君のお友達と聞いていますが」
「まあ、単なる一般人なら問題はない、か」
少し間があった。
医師は少しそんな桐山の父の態度をおかしく思った。
どうして面会に来る人間の事まで気にするのだろうか。

「厄介な事になったな...」
「といいますと?」
「養子候補の中で、和雄は身体能力、頭脳共に群を抜いていた。あれほどの逸材はそう手に入るものでもない。だが」

電話ごしに聞こえる桐山の父の声は相変わらず冷え切っていた。
「和雄を桐山家の次期当主に据える事はできなくなった。非常に残念なことだが」
「何故です?彼はプログラムに巻き込まれはしましたが、ああしてちゃんと優勝して帰って来たのに」
「表向きには大変名誉な事だろう。だが、世間的にはどうだ?プログラムでクラスメイトを殺して帰って来た者が、会社を率いる事が出来るか?」

医師はそう言われて、返す言葉が見つからなかった。
確かに、それはそうかも知れない。けれど。
「和雄は優秀だ。実にな。私の最高傑作と言っても良いかも知れない。あいつは生まれたばかりの赤子の頃から私が丹精込めて作り上げてきた作品。プログラムで優勝したのもある意味当然といえば当然だ」
まるで物を扱うような口調だった。
「だがそう、後継者候補から外れてしまった今となっては、もはや桐山家ではあいつを養育する必然性は何も無いと言う事になる」
血が繋がっていないとはいえ、仮にも十数年育ててきた息子の事なのに。
医師は何ともやり切れない気持ちになった。
そんな医師の思惑に気付いているのかいないのか、桐山の父は無機質な声で続けた。
「しかしあいつを手放すのにも色々と不都合がある。あれは優秀すぎて、他の企業や研究家に目を付けられる可能性もある」
そして最後に、彼はとてつもなく冷酷な言葉を吐いた。
「いっそ、プログラムで死んでくれていたら」



つづく




後書き+++
暗っ!
重っ!
しかしこの話は桐山の過去を書きたくて始めたので。
文章まとまってなくてすいません。
短編で明るいの書きたいと思います。

最後は救いあるので、どうか見捨てないで下さい。