6月に入ると間もなく、梅雨に相応しい雨が降る日が続いた。
 は毎日学校に来るのが億劫になってきた。雨が降ると、何となく憂鬱な気分になる。
 クラスメイトたちもみんなどこか元気がない。

 いや、あの七原秋也とその周りの人たちは別だった。いつ見ても変わらぬ熱血野郎ぶりである。
 「梅雨だけどっ!盛り上がっていこうぜっ、ベイベッ?」
 その証拠に今日も教室の後ろのほうでギターを弾いていた。彼に心酔する女の子たちが群がっていた。
 幸枝は「七原君から私、元気をもらうのよねっ」などと言っていたが、七原のノリにどうしてもついていけないはパワー負けしてしまっていた。ちっとも元気になれない。むしろ、うっとうしい。静かにして欲しい。ああ、私もだいぶ病んでるなあ、七原くん、もうちょっと、静かにしてよ。

 桐山ファミリーのみんなも元気がなかった。
 月岡はアンニュイな表情で窓の外を見つめていて、黒長は授業中なのにがつがつとメロンパンを食べている。その眼鏡は湿気ですっかりくもっていた。
 笹川は競馬新聞をくしゃくしゃ丸めながら貧乏ゆすりをしている。

 みんな、中学生らしくないよ…
 そんな彼らの姿は、の憂鬱さに拍車をかけた。

 彼らのボス、桐山は一見すると普段と何ら変わらぬ様子だった。教科書を広げずにいつもの無表情で座っている。何を考えているのかは、相変わらず読み取れない。彼の視線はが貸した恋愛小説に注がれている。
 しかしひとつ、見逃せないところがあった。

 桐山くん…前髪変。

 桐山の例の前髪は湿気に弱いらしく、信じられないくらいうねっている。なまじ彼が美少年なだけに何とも奇妙な姿であった。
 隣の沼井が直してやればいいのにと思う。その沼井は朝から机に突っ伏して寝ている。六月病というやつらしい。なんだか元気がない。

 …他の誰も直さないなら、私が直すしかないじゃない。
 はこういうことには黙っていられないたちである。
 1時間目が終わった休み時間、とうとう耐えられなくなって桐山の席まで行った。

 「桐山くん」
 「…どうしたっ…?」
 「…その前髪さ、直そうよ」
 「…直らないんだ」
 「…直そうとしてないでしょ」
 「…ああ」
 「…しょうがないなあ…」

 面倒見のいい母親と、だらしない子どものようなやりとりをしたあと、は自分が持っていたコームで、彼の前髪をそっと梳かした。オールバックにするための、ポマードの匂いがする。一度、全ての前髪を前に下ろしてみた。オールフロントというやつだ。

 「…どうしたっ…」

 こみあげる笑いを抑えながら、は鼻まで前髪で隠れた桐山に頷くのでせいいっぱいだった。桐山で遊べる自分の身分をありがたいと思った。この人は、顔は怖いけど、天然で、面白い。
 かわいそうなので直してあげた。飛び出した前髪は、やっぱり一本だけどうしても直らなかった。


 ***


 雨は止むことを知らずに振り続けた。
 頭を素通りして行った授業の内容。
 4時間目終了の鐘の音を、は心待ちにしていた。やる気のない生徒たちに苦笑しつつ教科書を閉じ、「今日はここまで」と言い放った教師の言葉を聞くや否や、教科書を机にしまいこんで、鞄をまさぐった。
 そこには、憂鬱な一日をいっぺんでハッピーに変えるものが入っている。それを取り出した。

 顔がにやけるのが自分でもわかる。それを持って、早速幸枝たちのところへ行こうとした。
 と、そこでいきなり呼び止められた。

 「、それはなんだ?」

 授業終了と同時にこちらへ向かってきたらしい桐山和雄の、無表情の顔がを覗きこんできた。あいかわらずちょろんと飛び出した前髪がちらちらと揺れている。
 
 「お弁当だよ。」

 今は桐山の前髪のことなんてどうでもよくなっていた。母親に頼んで作ってもらった、お気に入りのおかずが入っている弁当を開ける楽しみが、それに勝っている。今日は寝坊したために朝ごはんをろくに食べずに登校してきていた。おなかがすいて仕方がない。

 「そうかっ…」
 「お弁当の時間だけが楽しみだよ、ホント」

 この言葉で、食い意地がはっていると思われてしまったかと少し不安になったが、桐山は特に気にしていない様子であった。
 少しの間、じいっとの手元のお弁当を見つめていた。

「…それは、そんなに美味いのか?」
 「うん。私がお母さんに頼んで作ってもらったやつだもん。最高だよ」
 「…そうかっ…」

 桐山は首をククッと傾げた。ほんの僅かに渋い顔をしたように見えた。

 「桐山くんは、お弁当持ってこないんだね、そういえば」
 「…あぁ」

 桐山はいつも充や黒長の差し入れの、コンビニ弁当や調理パンを食べていた。母親が弁当を作ってくれないのだろうか?
 

 「少し、見せてもらってもいいかな」
 「…?いいよ」
 
 桐山が生真面目に聞いてきたので、は不思議に思いながらも、弁当箱を開けて見せた。
 中に入っているのはの大好きなを含んだおかずとごはんである。
 桐山は暫くじいっとそれを見つめていたがー、やがて、何の前触れもなく、の箸を手に取った。
 
 「ちょっと桐山くん…?」

 止める間もなかった。優雅な手つきで彼はそれを自分の口へと運んだ。

 「ああー!!」

 が楽しみにしていたを、彼はいともあっさり食べてしまったのである。

 「…悪くない」
 「桐山くんの馬鹿っ…!」

 無表情でを平らげた桐山を、は頬を膨らませて睨み付けた。

 「楽しみにしてたのにっ…」

 桐山が切れ長の目を丸くした。が怒る理由が理解できない、といったふうに。ククッ、と首を傾げながら、
 「すまない。」と言った。「が美味いというものを、食べてみたかったんだ」

 は暫く恨めしげに桐山を睨んでみたが、やがてそれも詮無いこととため息をついた。桐山が食べてしまったおかずはもう、帰ってこない。

…すまなかったっ…」
「…もういいよ、別に。」

 あきらめて残りのお弁当を持って、幸枝たちのところへ向かう。桐山は立ち止まったまま、しばらくこちらを見ているようだった。
 悪気はないらしい。今回は許してあげよう、と思った。


 ***

 翌日は、雨はやっと上がったものの、じっとり湿った空気のこもる、曇りの天気だった。
 はこの日も何となく憂鬱な気分で一日を過ごした。ああ、早く梅雨なんて明ければいいのに。
 そんな気分でいたところに、彼はひょっこりやって来た。

 「、これを」

 4時間目終了と共に現れた桐山に、突然「それ」を差し出され、ぎょっとした。
 
 「えっ?」

 桐山が持っているのは、高級そうな弁当箱である。
 相変わらずの無表情で、彼はポツリと言った。
 
 「昨日の弁当を食べてしまったことは、反省している。だから、昨日食べたものを再現して、持って来た。」
 
 渡された弁当箱を受け取り、そっと開くと、昨日のの弁当箱の中身と、寸分違わぬおかずとご飯がきちんと収まっていた。

 「これ、桐山くんが作ったの…?」
 「そうだ。」
 
 の母が作ったタコさんウィンナーまでも、正確に再現されている。
 桐山が一生懸命料理している様子を思い浮かべると、ぷっと笑いがこみ上げた。

 「…どうかしたのか、
 「…別に」

 桐山がククッと首を傾げる。が「ありがと。」と言うと、彼は長い睫で縁取られた目をしばたいた。彼から貰ったお弁当を大切に抱え、幸枝たちの元に行った。


 「、なんか今日嬉しそうだね」
 「そう?」

 幸枝たちに不思議がられても、は顔が緩むのを抑えられなかった。
 桐山の作ったお弁当は、とても美味しかった。母親が作ったものに負けないくらい。

 ***


 「

 放課後、下駄箱に向かう途中で、また桐山に呼び止められた。

 「なあに、桐山くん」
 「一緒に帰らないか」
 「えっ?突然どうしたの?」
 「…そうしてみようと、思ったんだ」

 このところ、やけに桐山はについていろいろと知りたがって、構ってきた。
 お弁当の件もそうだし、恋愛小説を貸して欲しい、と言った事もそう。もう少し遡れば、瑞穂から自分を助けてくれたことも。

 「…ふうん。変なの」
 「……は、嫌か?」
 「ううん。いいよ。一緒にかえろ、桐山くん」

 ニコッと笑って、は桐山を見上げた。桐山はククッと首をかしげた。
 嫌ではなかった。むしろ、嬉しかった。

 二人で一緒に帰るのは、初めてだった。

 背がすらりと高い桐山と並ぶと、自分がひどく小さく思えた。

 幸枝たちは部活に行ってしまって、ひとり寂しく帰るはずだった道。桐山と並んで歩いている。改めて桐山の顔を見て、はため息をついた。前髪と、奇妙な行動をとるところを抜かせば、桐山は端正に整った顔立ちの、美しい少年である。これで中身がもう少し何とかなれば完璧もててるよ、頭の中でそんなことを考えていると、桐山と目が合った。
 お人形のように、冷たい目ー。こんな目を持つ人を、は今まで見たことがなかった。幸枝たちや、他の女子たちが桐山を怖がるのも、不良であることだけでなく、この無愛想さがひとつにあるのだろうと思う。

 …話してみるとけっこう、おもしろい人なのになあ。みんな、知らないだけで。

 「沼井くんたちは、今日一緒じゃないの?」
 「他校のやつと喧嘩しに行くと言っていた」
 「…はは。相変わらずだね。桐山くんは、今日は行かないんだ?」
 「ああ。と帰ると、決めていたから。」

 最後の一言にどきっとした。桐山は表情を変えなかった。それがひどくこっけいに思えた。この人、…どこまで本気なんだろう。

 「…ふうん。」

 桐山はきっと、何も考えていないのだろうと思った。ただ、一緒に帰りたいことは…本当。

 

 の家に向かうには、城岩町の高級住宅街を抜けて行く必要があった。クラスの中でもお金持ちな織田敏憲や、金井泉が住んでいる一角である。ここには、確か…

 「あ、桐山くんの家ってこのへんなの?」
 「あそこだ。」

 突然そういって指差されたので、ぎょっとしてしまった。

 あまりに大きすぎて、却って素通りしてしまいそうな家…いや、屋敷、と言ったほうが正しいー、が桐山の住まいであった。
 のいつも通る道とは一本隔てて向こう側にある。
 
 「桐山くんの家、もうちょっと近くで見てみたいなあ」
 「構わない。」

 桐山についていくと、遠目に見ても相当広かった家を、近くで見ることが出来た。
 全国的に有名な大企業の社長の御曹司である彼の家は、城岩町一の豪邸だと聞いていたが、実際こうして目にしてみて、は噂が間違っていなかったことを知った。

 「すごいね、桐山くんの家…」
 
 よく手入れされた低木が配されている、広い庭。三階建ての白い洋館。絵に描いたような屋敷。見ているだけでため息が出てきそうだ。
 見とれているを見て、桐山はククッと首を傾げた後、ぽつりと言った。
 
 「…よければ、寄って行くといい」
 「えっ…?」

 彼がなんだかそのとき、とても寂しそうな顔をしているように見えた。
 急に鼓動が早まるのを感じた。


 つづく




 後書き:
 お久しぶりの更新です。お決まりのお家にお邪魔するの回です。
 次回はちょっと進みますよ〜。


 
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