飛び散る破片、襲い掛かる衝撃。
広がる赤い闇。
あの日を境に、和雄様は変わってしまいました―
あの日を境に、姿を消した大切な人。
絶望的な日々が、幕を開けたあの日。
「桐山くんっ…」
は目の前で起こった出来事を、俄かには認識することが出来なかった。
口元から血を流した桐山が、ゆっくりとこちらを振り返り―、そして、崩れ落ちた。
桐山の家に行ってから、一週間後のことだった。
その日は一時間目から体育の授業だった。
は体操着を持って、教室を出た。
その日は当番で教師の手伝いをすることになっていたので、他の生徒より少し早めに。
途中で、桐山ファミリーの面々とすれ違った。
「桐山くん…」
「か」
桐山を始め、桐山ファミリーは柔道着で身を固めていた。桐山はいつものオールバックを下ろしていた。その姿がとても格好よかったので、は思わず見とれてしまった。
―どうもこの間から…意識しちゃうなあ…
桐山の家で彼に抱きしめられたことを思い出すと頬が熱くなった。桐山を見つめると、彼はククッ、と首を傾げた後、言った。
「、そろそろ行かないと、遅れてしまうんじゃないか」
「…あ、そ、そうだね。またね。桐山くん」
「ああ」
桐山はいつもとまるで変わらない様子だった。意識しているのほうがおかしいくらいに。
体育の授業は楽しくもなくつまらなくもなかった。
その日の内容は短距離走だった。運動神経が良いとは言いがたいは多少苦戦したが、どうにか乗り切り、幸枝たちの喝采を浴びた。
「、お疲れ様」
「ふう、やっと終わったよ」
運動神経抜群の幸枝の見事な走りの後だったので、多少の劣等感を抱いてしまった。
桐山くんだったら、こんなの簡単なんだろうな…
―って私、なんでまた桐山くんのこと考えてるんだろ…
ぶんぶんと首を横に振り、は桐山への想いを打ち消そうとした。
そのころ、桐山和雄はひとり「柔術入門」を読んでいた。
杉村弘樹と体育教師坂口健一郎との柔道勝負、七原秋也の乱闘騒ぎ、三村信史のちょっとしたユーモアのあるパフォーマンス。クラスメイトたちが慌てふためいたり大爆笑したりしている間にも、桐山はそれらの出来事にまったく無関心だった。―何も感じない。どうでもいいことだったので。そこで暇つぶしに本を読んでいた。
しかしその態度は坂口の機嫌を損ねたらしい。
「桐山あー!次はお前だっ!!」
「………」
ぱたんと本を閉じ、桐山は坂口を見据えた。本は傍らに居る笹川に渡した。
「ボ…ボス」
「だいたいのことは理解した…」
桐山の頭の中には既に柔道のノウハウが完璧に詰め込まれていた。
「」
体育の授業が終わった後、は教師に呼び止められた。
「はい。何ですか?」
「男子のほうの坂口先生、体育館にいるんだけどな。ちょっと届ける書類があるから持っていってくれないか。着替え終わってからでいいから」
「分かりました」
当番とはいえ、雑用に使われることに僅かな不満を抱きながら、は書類を受け取った。
―でもまあ、いいか。もしかすると柔道の試合見れるかもしれないし。もう終わっちゃってるか。
は着替えを取りに急いだ。
一瞬の出来事だった。
華麗に投げられ、倒れ伏した坂口。ただそこに佇む桐山和雄。
その場に居た誰もが沈黙した。
「ボスッ」
ぐっと拳を握り締める沼井充。
「おい坂口ってオリンピックの選抜まで行ったんだよな?」
「ハッタリじゃねえの?」
「所詮豹柄パンツなんてあんなもんよ」
続いて男子たちの罵声が浴びせられる。坂口はこの上なくプライドを傷つけられたらしく、再び桐山に向かっていった。
「………」
桐山はただ無表情にその坂口の腕を掴み取った。…しかし。
ガッ…
坂口はその拳で桐山の顔を殴りつけた。一瞬昏迷した桐山を、坂口はあっさりと投げて見せた。
卑怯な手口であった。
「ふっはっはっは、わかったか桐山あ〜真の実力ってヤツがー!」
「…………」
桐山は自分の手を見つめた。口元から滴り落ちる血液が、彼の白い手の上に紅い水溜りを作った。
「…………」
桐山の目に、さっと冷たい光が差した。
それを見た沼井充は思った。―坂口のヤツ、ただじゃすまねえぞ。なんたってこの目をしたボスは―ヤクザの目ん玉抉り出したんだからな!
一触即発のその状況を、しかし打ち破ったものが居た。
「桐山くん!?」
黒いセーラー服に身を包んだ少女―が。
は手にした荷物を取り落とし、桐山に向かって来た。ひどく心配そうな顔をして。
「……」
桐山は血で汚れた唇を動かし、彼女の名を呟いた。そして、その場に倒れ伏した。
「ボスっ!!」
「桐山くんっ!」
慌てて駆け寄る充と。坂口は決まりの悪そうな顔をして、言った。
「フン…少々やりすぎたようだな…財閥のお坊ちゃん相手に。誰かそいつを保健室に連れていけ」
「坂口、てめえっ!」
「沼井くん!それより桐山くんを早く保健室へ連れて行かなくちゃ!」
「…っ…ちくしょうっ…」
意識を失った桐山の容態のほうが、充にとっては気がかりだったらしい。悔しそうに舌打ちして坂口をにらみつけた後、桐山のほうへ向かった。
桐山を二人がかりで抱きかかえ、充とは保健室へ向かった。
保健医は不在だった。用意されていた脱脂綿に消毒液を含ませ、は丁寧に桐山の口元を拭ってやった。彼は軽いショックで気を失っているだけらしい。すやすやと寝息を立てている。
「…よお、」
「なあに、沼井くん」
「最近よ、ボス、変わったと思うんだ」
「変わった?」
「ああ。前はすげえ冷たい目をしてたんだ。もちろん格好よかったけど…たまによ、ぞっとするくらい怖くもなってたんだ。…でも…」
充は眠る桐山と、を見比べて、言った。
「といるボス、なんだかすげえ優しそうなんだ」
はびっくりして充を見つめた。
「ボスは、に惚れてるんだと思う…」
は改めて、眠る桐山の顔を見つめた。
美しい顔。端正に整った、顔。
けれどどこかもの哀しさを感じさせるその顔。
「沼井くん…そんなんじゃ…」
「ボスが目覚めたら呼んでくれよ。…それまで、ついててもらえねえか?俺の大切なボスなんだ…」
すっと立ち上がり、充は「頼んだぜ」と言い残して保健室を後にした。
…そんなんじゃ…ないのに…
は桐山の顔を再び見つめた。胸がずきんと痛んだ。
彼が寂しい―冷たい目をするわけは、いったい何なのだろうか。
彼が目覚めたら、聞いてみようか。
はしかし、うとうととして、いつのまにか桐山の隣で眠ってしまっていた。
つづく
あとがき:
久々更新。急展開です。次回をお楽しみに。