二月十三日の夜。

家では一人娘の がキッチンに立ち、なにやら一生懸命湯煎で
チョコレートを溶かしていた。

そのすぐ横のリビングでは の母親が趣味の編物に勤しみ、
その斜め横には彼女の甥で の従姉弟の桐山和雄が、何をするでもなく
ぼんやりとテレビ画面に目を向けている。

ファイナルアンサー?、という声が聞こえると、和雄はぼそりと呟いた。
「…二番」

「残念―!」
かなり勿体つけてからどこか嬉しそうに告げる芸能人M。
画面で和雄と同じ答えを選んだ熟年の挑戦者が嘆きつつ顔を伏せる。

ちょっとだけ、和雄は不機嫌そうな表情を浮かべた。

の母親が思いついた様に言った。
「あら、そう言えば明日はバレンタインデーね、和雄くん楽しみでしょう?」

和雄はゆっくりと の母親の方を向くと、こくりと頷いた。

Who…

二月十四日。バレンタインデー。
毎年その日はなんだかよくわからないがチョコをたくさん貰うのだ。

和雄は甘党なのでありがたく全部いただく事にしている(ただし誰から貰ったかは覚えていない)。
タダでチョコレートが貰える、ありがたい日だとしか思っていなかったのだが。

ももう年頃だものね、誰か好きな人にあげるんでしょうね」
「…!?」
のほうを見てしみじみ言った の母親に、びっくりして問いただし、
バレンタインデーの本当の意味を知った桐山和雄十四才の冬。

、そのチョコ、俺にくれ」
「何よ急に、バレンタインは明日でしょ、楽しみなくなっちゃうでしょ」
「じゃあそれは俺のなんだな」
「秘密だよ。何も和雄一人にあげるって言ってないでしょ」
「………」(泣きそうな顔)

は再び楽しそうにチョコレート作りを再開する。
和雄の大好きな甘い香りがたちこめる。

「………」
「和雄、邪魔だよ。あっち行っててよ」

の後ろから和雄が物欲しげな様子で見ていると、 にそう怒られてしまった。
しょんぼりとして台所を出て行く。

でも、今ちょっと見えた中に、確か「かずお」って書いてあった気がする。
じゃあ はやっぱり俺にくれるんだな。

そう考えて、ちょっと和雄は思い留まる。
―待てよ。
「和雄」っていうのは、もう一人いるじゃないか。

あのオールバックの、無表情男。
を気安く「 」と呼んでいる、何だか気に入らないあいつ。

はあいつに作ってるのか…?

和雄は悩んだ。傍から見れば無表情で黙っているだけに見えるが、頭の中ではかなり深刻に、悩んでいた。
…一体どっちなのかわからないじゃないか。

結局悩みすぎてその夜眠れなくなってしまったのだった。

次の朝。
寝坊してしまい、 に置いていかれてしまった和雄は少し不機嫌そうに
登校して来た。
寝不足で更に鋭くなった眼光は迫力満点で、行き合う生徒達はこそこそと道を
空けた。

教室に入り、自分の席に着くと、案の定チョコレートの箱らしきものが山積みに
なっていた。
和雄は無言でそれを漁り、 からのものがないとわかると、少しだけ残念そうな顔で
顔を伏せた。

もう四時間目のチャイムが鳴る直前。
和雄は には昼休み会いに行く事にし、とりあえず四時間目の授業は体力回復のための
休養時間(早い話が居眠り)に当てる事にしたのだった。

昼休み、
和雄は少し不機嫌になりながら、 ともう一人の桐山和雄が居るクラス
ーB組へと急いだ。

B組は城岩中でも人気の男子が多いためか、華やかな雰囲気だった。
「やっぱ三村多いなー」
「何言ってるんだよ、お前だって多いだろ?」
和やかに話し合う三村信史、七原秋也。

寂しそうにぼんやりとしているのは織田や赤松、元淵と言った面々。
しかし、そんな生徒達にとって天使の様な存在がいた。
「はい、これみんなひとつづつあるから、良かったら食べてね」
笑顔で小さなチョコを配る
もてない三人衆(失礼)はますます に惚れ直す。
例え義理であっても。

このクラスの桐山和雄は、そんな の様子を無表情で見ていた。

桐山は前日、沼井に「ボス、明日は…バレンタインっすね」
と切り出され、話しているうちに、
、絶対ボスに作ってきますよ」と言われて、
生まれて初めてバレンタインが来るのを待ち遠しく感じた。

ー俺には、くれないのかな。 は。
は、桐山ファミリーの他のメンバーにもチョコを配っていたが、
桐山の方には来てくれなかった。

ひとりぽつんと自分の席に座りながら桐山は、こめかみが
疼くのを感じていた。

その時、教室の後ろの扉が音を立てて開かれた。
一番後ろの席の桐山は、そっとそちらへと視線を動かした。

「………」
そこに居るのはもう一人の桐山和雄。
和雄は黙って教室に入って来た。
周りは和雄が入って来たのに気付いている様子は無かった。
和雄はゆっくりと桐山の席まで近づき、そして、訊いた。
「…おい、もう貰ったのか」
「何の話だ?」

桐山は無表情で訊き返す。
和雄はちょっとだけ言葉に詰まり、決まり悪そうに、言った。
「… の、チョコだ」

桐山はほんの僅かに眉を持ち上げた後、静かに首を振り、
「いや、貰っていない」
そう淡々と答えた。

「…そうか」
「それがどうかしたのかい?」

和雄はちょっと安心したような顔をして、
「お前には、関係無い。 は俺にチョコをくれるって事だ。
はチョコに俺の名前を書いてたから」

桐山は少しだけ驚いた様な顔をした。
それから、言った。
「それは、かずお、と書いてあったと言う事かな?」
「そうだ」
得意そうにそう言う和雄、その後しまった、という顔をする。

「俺の名前も…和雄、だ」

桐山は独り言の様に言った。

そうして、 の居る方に視線を移した。
はもうだいたいチョコを配り終わったようで、
自分の席に戻って行った。
そして、机の中を探り、可愛らしい袋を取り出した。

桐山も、それに和雄も、その の様子をじっと見ていた。

、俺の方に来てくれ。
二人とも、同じ思いで を見ていた。

は袋を胸に抱えて、椅子から立ち上がった。
そして、此方を向き、驚いた様な顔をした。

はゆっくりと近づいて来た。
二人の桐山和雄の心臓が高鳴った。

「なんだー、和雄も来てたんだ、ちょうどよかった」
は桐山の席の前まで来て、微笑んで、言った。
それから、自分の持っていた袋を探った。

「はい、これ」
二人は目を丸くした。
が取り出した袋は二つ。

「こっちのピンクが和雄、白いのが和雄、って、わかんないね」
はちょっといたずらっぽく笑い、ピンク色の袋を和雄に、
白い袋を桐山にそれぞれ渡した。

「二人のだけ、特別に作ったんだよ?」
笑顔でそう言う に、二人は、

「…ありがとう」
ほぼ同時に、そう言った。
感情表現の希薄さならどちらも負けず劣らずの二人だったが、
その時だけは不思議と、
本当に、嬉しそうな顔をしていた。

その夜二人はそれぞれの家で、 の作った、
「かずおいつもありがとう」とデコレーションされた甘いチョコを
食べて、暫しの幸福を味わったのだった。


おわり


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