あの女―――真理子は、親父が死んだとき心から涙してくれた。
「とっても、優しい方でした」
まるで運命は俺だけをまっさかさまに蹴落として行くようだった。親父が死んだ翌年、後を追うように母親が肺炎で死んだ。
「真理子。…もう、俺を坊ちゃんとは呼ばせねぇ」
喪服を着たまま涙をこらえる真理子に、俺は立ち上がって、言った。
「喪が明けたら、結婚しよう、いいな」
真理子は頷いた。
式は挙げず、籍だけを入れたその日の夜、俺は真理子を抱いた。 泣いているような、喜んでいるような、不思議な彼女の反応を俺は愛しく感じた。
女を抱いたのはこれが初めてではなかったけれど―心から幸せだと思った。
「圭吾さんっ…」
名前を呼ばれて、俺は真理子を強く抱きしめた。
ふと、こんなことを思った。 ―俺は来年の桜を見られるだろうか。
両親が死んでから、頻繁に桐山家の人間が訪れるようになった。 勢いに任せて追い返していたのは最初のうち、工場の人間が次々と辞職願を出して姿を消すようになって、初めて俺は桐山家の恐ろしさを知った。
工場は潰された。
俺は真理子だけを連れて、ほかには何も持たずに、その場から逃げだした。
つづく
2008/04/29
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