桜 最終話

 香川県城岩町のとある屋敷では、今年も満開の桜が咲いている。

和雄ははらはらと、舞い落ちる花びらを無心に追った。この屋敷に来て一年。この屋敷からは一歩も外に出たことはない。

五歳になるまで、和雄は普通の子どもとはちがった訓練を受けなければならなかった。

自発的に何かをしようとする意欲が、彼には欠けていた。食事もとらず、たとえば片手を持ち上げればそのままなすがままになっている。目は限りなくうつろで、子どもらしいあどけなさに欠けていた。そして、人間として備えるべき何かが、決定的に足りなかった。

時に痛めつけられながら、和雄は「調教」された。「生きる」意思は「父親に従う」という命令条件のもとに生まれた。

和雄は、花びらをひとしきり集めると、ぱっと手から離した。興味を無くしたのだ。
美しい幼児は、近寄って来たダーク・グレーのスーツの男にぺこりと会釈した。

「お帰りなさい。お父さん」

子どもの割にははっきりとした発音だった。

和雄に父と呼ばれた男はその和雄を冷たく一瞥すると、和雄の足元に散らばった花びらをなぜか足でぐしゃりと踏みにじった。

父の機嫌を損ねたのかと子供心に(それも、限りなく希薄ではあったが)不安に思って、和雄はこめかみをいじった。

和雄の父は銀縁の眼鏡をくいっと手で持ち上げると、「家に入りなさい」とだけ言った。和雄はもう一度会釈し、父の後を小走りに追った。


血のつながらない父―桐山隆裕。桐山家の現総帥に。


桜がはらはらと舞っている。

「あれ」から数年たった今も、そして和雄が14歳になっても、桜は毎年変わらず花を結び続けた。
まるで和雄を見守るかのように、おごそかにそこに立っていた。…

 おわり



 2008/04/29