風化風葬

珍しく放課後まで、授業を受けた日のことだった。
桐山和雄は学校から出て少し行った所にある電柱の前で、不思議なものを見つけた。
どうしてこんな所に、こんなものが置いてあるんだ?
腰を屈めて、それをじっと見詰める。

「あれ、桐山くん、どうしたの?」
突然上から声をかけられた。
見上げると、同じクラスの中川典子が居た。
彼女は自分の疑問に答えてくれるだろうか。

「中川。これは、何なのかな」
見ていた方向に視線を戻して、典子に問い掛ける。
それを見ると、典子は僅かに眉を寄せた。
「これは…」
そこにあったのは、花瓶。
萎れ掛けた花が数本生けられていた。
「ここで誰か、亡くなったのね」
典子は少し悲しそうな顔をして、言った。

そう言えば、数日前。
学校のそばで交通事故があったと、充が話していた様な気がする。
「ひどい事故だったみたいっすよ。…子供が轢かれて」
特に気に留めていなかった。
雨が降った所為もあって、綺麗に血痕は洗い流されていたし。
桐山の興味を引いたのは、別の事だった。

「なぜ花を飾るんだ?それに意味などあるのか?」
「―え?」
「死んだ人間は、花なんて見ないんじゃないか?」
浮かんだ疑問をそのまま口に出した。
典子は一瞬驚いた様に目を見張り、それからゆっくりと花に視線を移した。
数瞬の後、口を開く。
「そうね…死んだ人は、見れないかも知れない。でも」
澄んだ目でこちらを見ている桐山に、典子は静かに言った。
「生きてる人は、その人を忘れたくないと思ってる人は、花を飾りたいって思う」
典子はどこか悲しそうな顔をして、花瓶に生けられた花を見つめていた。
「その忘れたくない、って気持ちは目に見えないから。だから、形にして、残すのよ。花を飾る事で」
「中川も、そうなのか?」
「うん」
典子は俯いた。
そんな典子の顔を見て、桐山はふと思い出した。
いつだったか、典子が学校に居なかった時。
「中川は忌引きだな」
そう、林田が言っていた事を。
典子もまた、誰かを亡くしたのだろう。「忘れたくない」誰かを。
―忘れたくない?
だから、花を飾る?
よくわからなかった。
今まで身近な人間が死んだ事が無かった訳ではない。
けれど。
忘れたくない思った事はなかった。

花を飾る意味がわからなかった。
人はいずれ死ぬ。
死んだ人間は土に還る。

ただ、それだけの事。
それの繰り返し。
勿論、自分もいずれは。
何を悲しむ必要があるんだ?

桐山がそんな事を考えていると、典子はすっと腰を上げた。
「どうした?」
桐山が尋ねると、典子は微笑んで言った。
「花、持って来る。―もう枯れちゃってるもの。その花」
「何故だ」
「そのままになってるのは、悲しいでしょう?誰にも覚えててもらえてないなんて」

典子は真剣な表情をしていた。
桐山にはやはり、典子の言葉の意味は良く分からなかった。
俺には、よくわからないよ。
悲しいなんて思った事がない。―俺は。
そう言おうとした時には、傍らに典子の姿はなかった。
かすかに足音が反響しただけだった。
「………」
小さくなっていく典子の後ろ姿を見送り、桐山はつと視線を足元の花瓶へと移した。
萎れた花が首を垂れていた。
典子が新しい花を補充したとしても、いずれ枯れる。
―わからなかった。
そうする意味が。
自分もいつか。
誰かが死んで、その人間を忘れたくないと思う時が来たら。
あるいは、わかるのだろうか。





銃声が響いた。
回想を止め、目の前のトラックに神経を集中させる。
狙いを定めて引き金を引く。
ぱん、と音がして。
典子のすぐ横のサイドミラーが粉々に砕け散った。
容赦はしなかった。

中川を殺す。
俺は、このゲームに乗ったから。

撃ち続けた。
目の前のトラックに向けて。
マガジンが切れた。
入れ替えようとした。
銃声が響いた。
銃弾が頬を掠った。
俺の命を絶つために放たれる弾が。

「死んだ人を忘れたくない、って気持ちは目に見えないから。だから、形にして、残すのよ。花を飾る事で」
辺りを軽く見回した。
花はどこにも咲いていなかった。

花を飾らないと。
俺は中川を、忘れてしまうのだ。

―忘れたくないという気持ち。
あの時はこんな形で感じる事になるとは思いもしなかったのだけれど。

覚えていたいと、思った。
花がなくても。
中川のことを。

中川が、死んでも。
俺は中川を覚えていたい。





ばん、という音を聞いた。
鼓膜が破れそうな位大きな音だった。

鼻の横に鋭い痛みを感じた。
正面を見た。
銃口が俺の方を向いていた。

中川も、俺の方を向いていた。
いつか見た、悲しそうな顔で、俺を見ている。
萎れた花を見つめていたのと同じ顔で。

ああ、俺はこれで死ぬのだと。
中川の顔を見て、そう思った。

身体に力が入らない。
思うように動けない。

身体が後ろに傾いた。
花は咲いていない。

中川は俺が死んでも、花は飾れない。
だからきっと、中川は俺の事を忘れるのだろう。

―「悲しい」ことなのかな、それは。

壊れていく記憶。
たくさん蓄えたと思った知識も。あっけないものだった。
簡単に、壊れてしまう。
なぜ壊れてしまうんだろう。
わからない。

中川の顔。
忘れない様に、もう一度見ておきたいと思った。
けれど、動けなかった。

もう、動けなかった。

壊れていく、記憶。
忘れてしまう。

中川の事。

中川も…きっと。



おわり