冬休みももうじき終わる頃。城岩町に何年か振りの雪が降った。
雪が降り始めたのは、ちょうど昼下がり。
正月中休んでいた店の多くが再開し始めていた。
中川典子は、母親に買い物を頼まれて、駅に隣接する商店街に来ていた。
買い物を終えて外に出ると、来た時はまばらだった雪の降りが、一段と激しくなっていた。
「どうしよう…やっぱり傘持って来るんだったな」
軽く溜息をついた。
吐息が白く立ち昇っていった。
せっかく買った商品を濡らさないよう、典子は買い物袋の口をしっかりと締めた。
雪は降り続けた。
典子の買ったばかりのコートにも、肩に漸くつく位の長さの黒髪にも、たっぷりと雪が降り積もった。
典子はぶるっと肩を震わせた。
寒い…。
スニーカーを履いた足のつま先の感覚がほとんど無くなる程に、寒かった。
雪の上を歩くのに慣れていない、その足元も覚束ない。
左足を踏み出した途端、その足がずるっと滑った。
「あっ…」
遅かった。
どうにか荷物を投げ出す事は避けたが、バランスを失った典子は後ろにひっくり返るような姿勢で、倒れてしまった。
粉雪が舞い上がった。
「いたた…」
腰を強く打ってしまい、典子は痛みに顔を顰めた。
「大丈夫か?」
聞き覚えのある声が上から聞こえた。
「―え?」
典子はびっくりして顔を上げた。
「桐山くん…」
そこには、クラスメイトの桐山和雄がいた。
一瞬、誰なのか典子にはわからなかった。
彼はトレードマークのオールバックを下ろしていて、しかも私服だったから。
一見すると別人の様にも見える。
ただ、その冴え冴えと冷え切った目だけはいつもと変わらなかった。
典子は顔を紅くした。
こんな格好悪い姿を桐山に見られてしまったので。
桐山はすっと腰を屈め、典子の方に手を差し出した。
「立てるかい?」
「あ、うん。ありがとう」
典子は桐山の手を取った。
ひやっと冷たかった。
典子はびっくりして、一瞬手を引っ込めかける。
「どうした?」
「桐山くん、手、すごい冷たい...寒くない?」
典子は起き上がりながら桐山に訊く。
「いや」
桐山はそう一言だけ言った。
それから、雪まみれの典子の姿を見て、少しだけ驚いた様に眉を持ち上げた。
「傘を持っていないのかい?」
「あ…うん。すぐ止むと思ったんだけど」
典子はまた顔を紅くした。
雪の降りが激しくなって来ている。
典子の黒髪にも白い雪が積もっていた。
桐山は暫くの間、そんな典子を見ていた。
感情を宿さない冷たい瞳で。
どうしたのだろう、と典子が思っている時。
桐山が、すっと傘を差しかけた。
「家はどこだったかな」
「え?」
「このままでは濡れてしまうんじゃないか」
典子は驚いた。
桐山はじっと典子を見つめたまま、言った。
「家につくまで、入っていっても構わない」
瞼にかかってしまう位長い、桐山の艶やかな前髪が風に煽られて揺れた。
どうしてか、典子の胸が高鳴った。
「…いいの?」
桐山は無言で頷いた。
桐山が典子より少し先を歩く。
さくっと雪を踏みしめる音。
降りたての粉雪はきらきらと舞い上がった。
典子は目の前の桐山を見た。
少し長めに伸ばした後ろ髪を揺らして歩く、桐山の後姿。
典子はそれを眺めながら歩いた。
初めて桐山を一人の男子として意識し始めながら。
暫く歩き、典子の家のすぐそばの公園まで差し掛かった時、段々と小降りになりつつあった雪が、止んだ。
「桐山くん、ちょっといい?」
雪が止んだのに気付き、傘をたたもうとした桐山は、典子にそう言われて、視線を典子の方に動かした。
典子は自分の持っていた買い物袋を探っていた。
少しして、典子はその中から何かを取り出し、桐山の方に差し出した。
桐山はそれを見て、ちょっとだけ眉を持ち上げる。
「入れてくれたお礼に」
典子ははにかんで言った。
桐山は不思議そうに典子の手に乗ったものを見つめている。
典子は桐山の反応を不思議に思い、訊いた。
「雪見大福…嫌い?」
「いや、食べた事がないんだ」
すっと手を差し出し、桐山は典子からそれを受け取った。
「食べた事ないの?」
無言で頷く桐山に、典子は少し驚いたが、
やがて微笑して、言った。
「すごく、おいしいよ」
桐山はそんな典子の顔を少しの間見ていた後、視線を公園の隅にあるベンチへと移した。
「中川」
「え?」
桐山は典子の方をもう一度見て、言った。
「ここで食べてもいいかな」
「あ、どうぞ」
桐山は丁寧に雪見大福の包装紙を剥がすと、雪見大福の片方を典子に差し出した。
「え?」
「中川も食べればいい」
桐山は淡々と言った。
「二つある」
「うん、じゃあ…もらう、ね」
二人はベンチに座って居た。
桐山の隣で、典子は雪見大福をそっと口に含む。
普段より少し小さい口の開け方になってしまうのは、桐山の目の前で食べる事への僅かなはじらいから。
「冷たいね」
舌先が冷たくなる。
けれど、ゆっくりと広がっていく甘味がその不快感を和らげてくれた。
「悪くないな」
桐山がぽつりと言った。
「こういうのは夏に食べるものだと思って居たんだが」
桐山は典子の方を見て言った。
「冬に食べるのも悪くない」
「…うん。そうだね」
典子はそんな桐山に微笑みかけた。
「桐山くん、今日はありがとね」
桐山の硝子玉の様に澄んだ瞳は、ほんの少し頬を紅潮させてはにかむ典子だけを映していた。
桐山は静かに頷いた。
典子と別れて桐山が家に帰る途中、再び雪が降り出した。
今度は大分小降りだった。
桐山は傘を広げずに歩き続けた。
何も感じなかった。
雪が降っても。
ただ、寒いだけ。
冷たいだけと思って居た、雪。
だが、思い出した。
真白い雪。
冷たい雪。
同じ様に白いのに、
冷たくなかった。
とても、温かかった。
典子の自分より一回り小さな手。
その手で渡された、甘い食べ物の味を。
「悪く、ないな」
そう呟いた、
桐山の吐息も白かった。
おわり
久々に甘い桐典話を書きました。でも雪見大福ってどうなんでしょう(笑)。
どうやら私は典子サンが桐山を餌付けするというイメージを持っているようです。
幸せになれそうでなれない二人だな、と思います。
地元で年明け早々雪が降った時に思いつきました。
2003年1月
戻
|
|