眠りによせて

壊れてしまった私は、夢に眠る。

中川典子の放った銃弾を顔に受けてから、桐山和雄が息絶えるまで、ほんの数瞬の間があった。
ひとは死ぬとき、自分が最も大切だと思っていたものを思い出すことがある、と桐山は以前何かの本で読んだことがあった。

桐山には、特に大切だと思えるものは無かった。
そもそもそう思うこと自体が出来なかったのが、彼の不幸だったのかも知れない。

ただ、桐山の記憶中枢を、ほんの一瞬、掠めたものがあった。
それはいつも桐山を「ボス」と呼んで慕っていた沼井充や、笹川竜平、黒長博、月岡彰たちの姿だった。

いつもの屋上で、沼井たちは笑っていた。

彼ら四人を、桐山はこのゲームの序盤に全て殺した。
桐山は何の躊躇も後悔も、罪悪感も無く、彼らを殺したのだ。

それなのに思い出したということは、桐山にとって彼らの存在が、少なくとも「どうでもよかった」わけでは無いという事を表していたのかも知れない。
本人は、気づいていなかったが。

そして、いよいよ桐山が事切れる寸前。

桐山の目が、倒れる直前に焼き付けた少女の姿が、彼の瀕死の脳裏に鮮やかに蘇った。

銃を構えたその手は震え、瞳は今にも泣きそうに揺れていた。

―中川。

確かに、中川典子は、桐山を撃ったのだけれど。


それを理解した桐山が抱いたのは、怒りでも憎悪でも無く。

桐山には、何かを感じることなど不可能だったはずだった。

それは桐山自身のせいでは無く、生まれつきのもので、彼にはどうする事もできないことだったのだが。
ただ、そう、自分に銃を向けていた中川典子の姿を見た、桐山和雄は生まれて初めて、

温かい「何か」を感じていたのだ。

桐山は、朦朧とする意識の中で、自分でも無意識に、その生まれて初めて感じた中川典子に対する気持ちを、言葉として発しようとしていた。

もう、体を起こすことは出来ない。
典子の顔も、もう見ることが出来ない。

桐山の口が、僅かに動いた。
しかし、声になる事は無かった。

そこで、桐山の脳の活動は停止してしまった。
桐山が死ぬ前何を思ったのかは、誰にもわからないままになってしまった。


典子に人殺しの重罪を負わせることを厭い、川田章吾は、既に瀕死の状態の桐山にとどめを刺すべく、倒れた彼に銃を向けた。

桐山とは違い、人としての温かい感情を持ち合わせている川田は、いかに自分たちを殺そうと狙ってきた恐ろしい殺人鬼とは言え、その命を奪うことに抵抗を感じた。

その迷いが、倒れている桐山の顔に視線を向けさせた。

桐山の目は開いたままだった。
鼻の横の銃創から流れ出した鮮血が、彼の白く透き通った肌と好対照を成し、
凄絶なまでに美しい彼の容貌を引き立てていた。
桐山の瞳孔は既に開きかけていたが、その目はいつもの虚ろな目では無く、少しだけ、感情が篭っているように、川田には見えた。

桐山の目元に、涙が溜まっていたせいで、そう見えたのかもしれない。

それは、撃たれた時に流した、生理的な涙だったのか。

それとも。

口元も、何か言いたげに開きかけていた。
薄い唇が、やはり血で染められていた。

いくら撃っても死なない彼と戦っている時、もはや彼は人間で無いような錯覚を起こしかけていたが、
―やはり、人だったのだ。

血も流すし、痛みだって感じていただろう。

防弾チョッキごしとはいえ、ショットガンで撃たれて、平然としているように見えても、
本当は、痛かったのかもしれない。

―今も?

川田はすっと、銃口を桐山に向けた。
頭に向けて。

―やったのは、俺だよ、桐山。典子サンを恨むなよ。

もっとも、そんな事、お前は感じないだろうがな。

そう心の中で呟き、一瞬川田は目を閉じた。
次に開いた時にはもう、ためらいは無かった。

ショットガンが火を噴いた。

桐山の頭に、紅い大きな花が咲いた。


中川典子は震えたまま、川田が桐山を撃つのを見ていた。
無惨に砕け散ったであろう桐山の頭は、ここからはよく見えない。

―撃たないで。

川田が桐山にとどめを刺そうとしているとわかった時、典子はそう言おうとしたが、震えて声がうまく出せなかった。

もう自分の一撃で、桐山に助からないほどの傷を負わせてしまったのはわかっていたけれど。
何かを、言いたかったのだ。

何か。
―何を、言おうとしていた?

本当なら、もっと早くに。

あたしは、桐山くんを、殺したかった訳じゃない。
言い訳になるかも知れないけど、目的は、そうじゃない。

ただ、
生きたかった。

あたしの大切な人たちと一緒に、生きたかっただけ。
ちゃんと話せていたら。

助かる方法はあるのだと、ちゃんとあなたに伝えられていたら、
桐山くんを、殺さずに済んだかもしれないのに。

典子はもう一度、倒れた桐山の方を見た。

―言い訳だよね。

あたしは桐山くんの命を奪ってしまった。
それは、消すことの出来ない事実。

川田くん、桐山くんを殺したのは、やっぱりあたしだよ。
ごめんね、せっかく、辛い役に回ろうとしてくれたのに。

あたしは、背負っていくしかないと思う。
桐山くんを殺した罪を。
きっと一生。

背負い続ける。

桐山が最後に典子に抱いた気持ちを、典子は知らない。

桐山が典子のことを思って死んだことを、川田は知らない。

川田が自分の死を悼んだことを、桐山は知らない。

典子が桐山を殺した罪を背負う決意をしたことを、川田は知らない。

自分の死について、典子が重い罪悪感を抱いていることを、桐山は知らない。

一人の人間の「死」を通し、死んだ本人を含む三人が思ったことは、お互いに明かされること無く、闇に消えた。



おわり