An eternal question

あたしには勝てない人が居ました。
どうやっても、絶対に。
そう思っていました。


 あれはいつのことだったかな。
 確か。
 三年生になって最初の実力テストの結果が貼り出された時。
 今にして思えば、あたしが受けた最後のテスト。

 覚えている。
 あの驚きと。
 ―その後に続く、思い出を。



 あたしは幸枝達と一緒に掲示板を見に行った。

「今回自信ないなあ」
「またまたあ」
 ぽつりと言った幸枝に、有香がすかさず反論する。
「幸枝はまた十番代行ってるんじゃない」

 いつものメンバーでテストや通知表の結果を見せ合う事も珍しくなかったのだけれど、幸枝と聡美はいつも学年トップ十番代から外れた事がない。
 羨ましいなあ、とは思うけど、またあたしには無理な事だとも思う。
 数学はどうしても好きになれなかったし、理科も苦手だった。
 社会も頑張ってやっと人並み程度。英語は嫌いじゃないけど好きでもない。

 そんなあたしが唯一二人と張り合える教科が、国語だった。
「典子って作文上手いよね。あたしだったらあんなにすごい文章書けないな」
 いつだったか、幸枝がそう言って褒めてくれた事があった。
 幸枝だけじゃなくて、先生とか―秋也くんも。
 だからあたしは、少しだけだけど、自信を持っていた。
 これがあたしの取り柄なのだと。

「ちょっとちょっと、あれ見てよ」
「―え?」
 有香が興奮したように指差して言うので、あたしは少しびっくりして掲示板を見詰めた。
「信じらんない。全教科満点だなんて。―あいつ絶対人間じゃないよ!」

 ―信じられない。
 それは、あたしも同じだった。
 全教科満点。文句無しの学年トップ。
 その生徒は―あたしと同じ3年B組に居た。

 桐山和雄。―不良グループのリーダー。



 いつか、先生が言っていた。
「国語で満点を取れた奴は先生が今まで教えてきた奴の中には居ないな。…どうしてかわかるか?」
 答えられる人は居なかった。あたしも、わからなかった。
「…つまりだ。余計な私情を入れちゃうんだよな。ああいうのは、自分の意見を書くんじゃなくて、作者の気持ちになり切らないといけないから。これがまた、難しい」
 ぽりぽりと頭を掻きながら、先生は恥ずかしそうに言った。
「先生だってきっと間違える。…満点取るのは無理なのかもな」
 あたしはその答えに、妙に納得したのを覚えている。
 絶対に正しいと思って書いた回答に×を貰った時、何度も浮かんだ疑問の答えを得られたような気がして。

 桐山くんは、そんなあたしの常識を簡単に覆してしまった。

 少し落ち込んだ気分のまま教室に戻り、席につくと、後ろから突然声をかけられた。
 高くも低くもない、けれど不思議な威圧感を持ったー静かな声。
「中川」
「わっ…」
 びっくりして、思わず叫んでしまった。
 振り向いた先に居たのは、ついさっき話題に出た人。
「き、桐山くん…」
 自分でもかなり大げさに驚いてしまった事に気付き、少し恥ずかしくなりながら、あたしは彼―桐山くんを見上げた。彼と話したのは、きっとあれが初めて。
 彼は無表情でじっとあたしを見詰めていた。
「どうしたの?なにかあたしに…用?」
 緊張して、思わずどもる。
 だって彼は不良グループのリーダーなのだ。他の男の子とは違って―、少し、怖い。
 それに先ほどの満点の事もあって、彼に関する畏怖心は随分と増していた。
 有香の様に「人間じゃない」とまでは言わないけれど…。
 何か気に食わない事でもあったのかな?

「少し、聞きたい事があって。…構わないかな」
 あたしの心配をよそに、彼は尋ねて来た。
 彼の声に全く棘は含まれて居なかった。あたしが想像していたのとは違って。
「う、うん」
 間近で見たら、とても綺麗なその顔も―それほど怖くなくて。


 あたしは彼と交わした会話を今でもきちんと覚えている。
 彼がどうしてあたしに聞く気になったのか―それはもうわからないけれど。

「中川は、作文を書くときはどんな事を考えるんだ?」
「え?それは…自分の気持ちを書くだけよ。思ったとおりに」
「ではテストの時はどうだ?」
「…書いた人の事、考えて書くわ。この人ならこう思うんじゃないかなって…」
「…そうか」

 彼はそれだけ聞くと、満足したようで、背中を向けてしまった。あたしは慌てて引きとめた。

「あ、待って」
「何だ?」
「…桐山くんは、桐山くんは何て考えて書くの?どうやったら、満点が取れるの」


 あたしはあなたに勝てないと思った。
 あたしはあなたみたいに満点は取れない。
 ―きっと。

 あの時桐山くんはこう言った。
「特に何も」

 あたしは何も考えずに書く事なんて出来ないもの。
 自分の気持ちに置き換えて―考えてしまうもの。


 あたしはあなたに勝てないと思って居た。
 何もかも完璧なあなたには。
 欠点だらけのあたしは勝てる筈がないと思って居た。
 あたしはあなたみたいに満点は取れない。

 でも、あたしは勝ってしまった。
 ―生死を賭けた戦い。
 あたしと桐山くんの。

 やっぱり桐山くんは何も考えていなかったの?

 ―あたしには、やっぱり無理だよ。
 考えてしまう。
 たとえあなたが何も考えていなかった。
 それが正しいのだとしても。

 痛かった?
 怖かった?
 たったひとりで戦うのはー寂しかった?


 考えてしまう。
 でももうわからない。

 あたしの考えが間違っている事を証明する手段は何もないから。
 桐山くんの答えを聞く前に―あたしが桐山くんを殺してしまったから。

 永遠に答えの出ない問いは、あたしの中に今も息づいている。

あたしが生きている限り―ずっと。



おわり