お菓子

Trick or Treat?
それは、いつもの気まぐれから始まった。


十月の最後の日。
放課後、充たちと一緒に他校の生徒と久し振りに一戦交えた、その後の事。

桐山和雄は家へと通ずる道をひとり歩いていた。充達に打ち上げをするから来ないかと誘われたのだが、今日は遠慮しておいた。何となく。
あたりはもうすっかり暗くなっていた。頬に当たる風も、大分冷たい。

ふと、桐山は足を止めた。

向い側からやってくる少女がひとり。見覚えのある、顔。
視覚が彼女の姿を捉え―脳が冷静に彼女に関する情報を引き出す。
―中川。中川典子。クラスメイト。

「―中川」
「あれ、桐山くん」
典子は軽く手を振りながら、こちらに歩み寄って来た。彼女は、クラスでも唯一、自分を恐れずに接して来る女子だった。そう言う意味では、桐山にとって彼女は「特別」だった。
典子は桐山のすぐ目の前までやって来た。
制服姿でない彼女に会うのはこれが初めての事かも知れない。
どこか気合の入った装いに、重たげな荷物。桐山は興味を引かれた。
「…中川は、どこかへ行くのか?」
「秋也くんの家―慈恵館でね、ハロウィンパーテイするから、そのお手伝いに」
典子はほんの少し、嬉しそうに頬を染めて答えた。特に、秋也の名前を口にする時に。
いったい、どんな意味があるのだろう。しかし。
「…そうか」
自分には関わりのないことだ。そう頭の中で判断し、彼女に訊ねる事はやめた。
桐山が黙っていると、典子が逆に尋ねてきた。
「桐山くんは、どこかに行くの?」
「いや。俺は特に用がないから、帰るだけだ」
そう言って、学生鞄を持ち直す。これ以上彼女を引き止めるつもりもなかったので。
しかし典子はまだ何か言いたげな顔をしていた。
「…どうした?」
不思議に思い、訊ねると、典子は僅かに恥ずかしそうな顔をして、言った。
「ねえ、良かったら桐山くんも来ない?」


ぼんやりと、薄い月明かりがあたりを照らす。
晩秋へと向かう気候。冷たい風が、静かな街をゆっくりと吹き抜けていく。

桐山は典子と並んで、自分が住む、城岩町の高級住宅街とは全く正反対の方向に位置する慈恵館を目指して歩いていた。
「この頃、急に寒くなったよね」
「ああ」
厚手の白いコートを身に纏った典子が、寒さからか、ほんのりと薄紅に染まった頬を押さえながら言ったのに、桐山は静かに答えた。―そろそろ、コートが必要な時期かも知れない。彼女の姿を見てぼんやりとそう考えた。

典子が一体どんな意図で自分を誘ったのかはわからない。
けれど、彼女の誘いを受けてみるのも、悪くない事だと思った。
家に帰っても、何もする事はない。義父が自分に用がない日には、何時に帰ろうがうるさく言ってくる者もいない。
―七原と国信が住んでいると言う施設、本来ならば近づきもしないであろうその場所で行われるパーティ。典子がしきりに楽しいと勧めるそれ。―ハロウィン。確か、米国で行われている年中行事のひとつだった。わが国とは敵対関係にあるその国の行事を行っていると表に知れたら、それなりに問題になるのだろうが。
「三村くんと瀬戸くんも来てると思う。みんな、仮装するって張り切ってたの」
「…そうか」
どうでも良いと思った。
中川が勧める事ならば―参加してみるのも悪くない。
そんな結論を、自分が出すに至った理由を知りもせずに。
桐山は隣を歩く典子を見詰めた。
なんだかその姿が、とても眩しいものに見えて、桐山は僅かに目を細めた。
頬に当たる風は―いつのまにか冷たくなくなっていた。





その頃、慈恵館では、一時間後に開始するパーティ―のために、七原秋也、国信慶時、三村信史、瀬戸豊の四人が最終準備に取り掛かっていた。

「―どう?シンジ」
「杉村が来られないってさ」
携帯をぱちんと閉じて、三村は残念そうに首を振った。豊もがっかりしたように肩を落とす。
子どもたちを楽しませる為に、彼らは色々と計画を立てていたのだが、そのひとつが仮装だった。
秋也は杉村弘樹にも応援を頼んでいたのだが、どうしても外せない用事が出来てしまったようだ。
義理堅い彼は、受話器の向こうでひたすら謝っていたと、三村は言った。
用意していた衣装に、一人分空きができてしまった。
「さて、どうしますか」
三村は考え込む様な表情になる。
秋也たちも同様であった。


「秋也くん」
そこに、典子がやって来た。秋也は安堵の笑みを浮かべ、国信は見る見る頬を紅く染めた。
「―典子サン」
あいにく職員の都合が悪く、女ひとりでパーティの料理係を引き受けることになってしまった良子先生の助っ人を快く引き受けてくれたのが、典子であった。
「ありがとう、来てくれて。助かるよ」
「ううん。それにね、もう一人、来てもらったのよ」
「―もうひとり?」
目を丸くする秋也に微笑みかけ、典子は後ろを振り返って、言った。
「こっちよ。桐山くん」
「―え!?」
典子の出した名前に―そこにいた四人全員が驚きの声を上げた。
―まさか。

「………」
典子に促されるまま、桐山和雄は無表情で四人の前に姿を現した。教室で見せる、あの冴え冴えと冷えた視線で―彼はじっと、四人を見詰めた。
「典子さん…どうして…」
「来る途中で会ったの。…パーティはたくさんいた方が楽しいと思って」
そう言って、無表情の桐山に典子は優しく微笑みかけた。それに桐山は無言で頷いた。


(…どうする?秋也…)
(どうするったって、なあ…)
典子が良子先生の手伝いに行ってしまった後、無言で立ち尽くしている桐山を横目に、秋也と国信は困った様に顔を見合わせた。正直言って、少し、桐山和雄は苦手な部類の人間だった。何を考えているのか、全く分からない。
そんな時、三村が物怖じせずに桐山に声をかけた。
「なあ、桐山」

桐山はゆっくりと、伏せていた視線を持ち上げて三村を見た。相変わらずその瞳には感情の揺らぎというものが見られない。
「…なんだ」
「実は今日、仮装パーティやるんだけどな、来る筈だった杉村が休んじまって、今人手が足りない」
いったい、何をする気なのか。秋也たちは固唾を飲んで、三村と桐山のやり取りを見守っていた。
三村は頭を下げ、手を合わせた。
「桐山。この通りだ。…杉村の代わり、引き受けてくれねえか」
「………」
真剣に頼み込む三村。しかし秋也は、その三村の様子に、何かひどく楽しんでいる、と言った雰囲気が含まれているのに気付いた。
―三村。お前…何か企んでるだろ。
そんな秋也の心を読んだかのように、三村はこちらを向き、得意げに片目を閉じて微笑んでみせた。
まあ、見てろって。そんな声さえ聞こえてきそうであった。

「…別に、構わない」
少しの間の後、桐山は同意の証に頷いた。
「き、桐山…本当にいいのか?」
「いいんだ。こういうのも、面白いんじゃないか」
動揺して、思わず訊く秋也にも、桐山は特に表情を変えずに答える。ひどくきまぐれな彼の思考は、こういう遊びに参加してみるのも悪くない、との判断を下したようだ。

そもそも桐山和雄がこんな餓鬼みたいな(ガキみたいな、ではなくまさしく子どものための)レクリエーションに参加しているのを見られるのも、大げさかもしれないが一生に一度あるかないかのことなのだ。
皆は、この貴重な機会を見逃すまいと、三村にされるがまま衣装を身に纏っていく桐山の様子に釘付けとなった。


「…完璧。正直ここまでとは思わなかった…」
「桐山くん、格好いい…」
いつのまにかスタイリストとなっていた三村は感嘆の溜息を吐き、豊はまるで乙女の様に頬を染めた。
国信と秋也はただ呆然と、変わり果てたクラスメイト―県内で知らぬものなどいない程に恐れられた不良のカリスマ―の姿に見入った。
「…はまりすぎ」
二人は口を揃えて言った。
桐山和雄は黒いタキシード、内側の赤い黒マントを身につけていた。
これに牙を添えたなら、まるで西洋映画からそのまま抜け出してきたような、立派なドラキュラ伯爵がお目見えする筈であった。さすがにそこまではやらないが。
「オールバックだし、美形だし、これしかないと思ったんだよな…」
無表情のまま突っ立っている桐山を横目に、三村が得意そうに言った。秋也も、豊も、頷くばかりであった。国信はまだ桐山に見入っている。
日頃彼を信奉の対象にしている沼井充が、親愛なる王のこんな姿を目にしたら卒倒するに違いない。いや、案外、「さすがボス、こんな服まで完璧に着こなせるなんて」とますます陶酔に浸るかもしれない。
「桐山、頼むぜ。典子サンに言って来い」
軽く桐山の肩を叩き、三村は言った。
三村は相変わらず楽しそうであった。

「………」
桐山は指示されたとおり、無言で厨房へ向かった。
ある意味、三村が仕掛けた「いたずら」を実行する為に。
黒いマントが華麗に翻った。

「…中川。」
エプロンを身につけ、良子先生と共に最後の仕上げに取り掛かっているらしい中川典子の後ろから、
桐山は声をかけた。

「え?…もしかして桐山くん?」
振り向くと典子は大きな目を瞬かせて、言った。桐山を連れてきたものの、まさか彼が仮装パーティに参加しようとは、さすがの彼女も考え付かなかったらしい。ただただ、驚いている。
「…お菓子をくれないと、いたずらするぞ。」
桐山はまるきり棒読みでそう典子に言った。
典子は目を丸くし―それから急速に頬を紅潮させた。
彼の後を追ってきた三村が軽く溜息をついて、「おいおい、桐山、お前が言うと冗談じゃなくて本気っぽく聞こえるから怖いぜ」と小さな声で呟いた。

「とりっく・おあ・とりーと!」
突然、小さいお化けたちがわあっと押し寄せ、使い慣れない英単語を繰り返した。良子先生に教わったばかりの、ハロウィンのお決まりの言葉。「お菓子をくれないと、いたずらするぞ」
おばけたちはもみじの様な手で典子のエプロンの裾を掴んでねだる。
桐山は特に表情を変えずに、自分の周りに群がる子ども達を見詰めた。
子どもたちは嬉しくて堪らないと言う風に騒いでいる。
典子は仕方ないな、という風に笑い、大きな電子レンジのほうへ歩を進めた。
「はい、お菓子」
典子が微笑み差し出した、白い皿には。
かぼちゃの形をした、焼きたてのパイが載っていた。
子どもたちの歓声が上がった。



慈恵館の子どもたち、それに秋也、国信、三村、豊はみな嬉しそうに振舞われた菓子を頬張った。

三村は狼男の格好。秋也は黒猫、国信は魔法使い、豊はかぼちゃのお化けの格好をしていた。
子どもたちに一番人気だったのは豊だ。お前、すごいなじんでるな、三村に言われて、「ひどいやシンジ!」と、かぼちゃの顔のまま怒っていたが。
ここにいるのは、みんな、子どもだった。仮装をしたまま、子どもたちはハロウィンを満喫した。


桐山和雄はそんな光景を横目に見ながら、広い部屋の隅の窓際で佇んでいた。

―華やかな雰囲気。
皆、楽しそうに笑って。
普段と違った格好をして、普段とは違ったこの日を祝っている。
こういうのも、悪くない。悪くない事なのだろう。
ただ自分は―馴染む事が出来ないように思われた。
居心地が悪いわけでも、来ないでくれと言われたわけでもない。
ただあそこにいる者たちの様な笑顔を―桐山は浮かべる事が出来なかった。
ずっと昔から―ふとしたときに感じる事があった疑問が、より強く桐山に影を投げかける。
俺には何かが足りないのではないか?
他の人間が当たり前の様に備えている、何かが。
ちりっとこめかみに痛みとも痒みともつかない疼きが生じた。
その部分に手を当てて、目を閉じる。ここに来るのは、悪くないと思った。もう、自分の用は済んだのだろう。そろそろ、帰り時かも知れない。
そう考えて、ふと、目を開ける。そして少しだけ眉を持ち上げる。
「桐山くん!」
テーブルについていたとばかり思って居た典子が―此方に向けて走ってくるのが見えた。

「―中川」
「桐山くん、ここにいたのね。―みんな、心配してたのよ」
軽く息をつき、安堵したように笑う。彼女の笑顔の意味も、桐山には理解できなかった。
「―せっかくだから、こっちに来て、みんなでお菓子食べない?」
「いや、いい」
優しい笑顔で誘う典子に、桐山は静かに首を振って答えた。
「―え?どうして…」
「俺は七原達とは…違う」
そっと目を伏せてから、考えていた事を、そのまま口に出す。
桐山の言葉に、典子は少し、表情を曇らせたように見えた。
大きな瞳が憂いの色を帯びる。
…なぜ、そんな顔をするのだろう。

桐山には分からなかった。
暗く寒い道をひとり歩いていた自分の様子に、どこか寂しそうなものを感じ取り、ここへ誘ってくれた彼女の気遣いに気付く事ができなかった彼には。

それでも典子は気分を悪くした様子はなかった。
「ねえ、そんなことないよ」
再び彼女はその顔に優しい笑みを浮かべて、言った。
「桐山くんだって、充分みんなに溶け込めてるじゃない」

「…………」
典子の言葉に、桐山は無表情のまま自分と、テーブルにつく子どもたち、秋也たちとを見比べた。
…よく、分からなかった。
典子がそっと桐山のマントを引いた。
「行こう。パイ、なくなっちゃうよ?」
桐山は典子をじっと見詰めた。
優しい笑顔が、彼を迎える。
拒む理由もなかった。
そう言えば、甘い香りがする。食欲をそそる匂い。今日は朝から何も食べていなかった。使用人や充に強いて勧められぬ限り簡単に絶食してしまう桐山だったが、―今は少し、腹のあたりに空虚を感じた。
典子に促されるまま、食卓のある場所に向かう。甘い香りは、典子からも薫って来るようであった。

桐山の姿を認めると、三村が悪戯っぽい声を張り上げた。
「おい桐山、食わないのか?お前の分なくなるぞー」
「すごく美味いよ、このパイ」
お菓子を片手に、幸せそうに微笑んで国信が言った。
ほらね、と典子は桐山に微笑みかける。
「一生懸命作ったの。よかったら、冷めないうちに食べて?」

桐山は無言で頷き、テーブルに向かう。ちゃんと、彼の分の座席が用意されていて、焼き菓子の載った皿が一枚置かれていた。
再び胃のあたりに空虚を感じた。

衝動の赴くまま、焼き菓子に手を伸ばす。育ちは良くとも、こういうお菓子を口にする機会は滅多に桐山には与えられてこなかった。
ここでは彼もまた、皆と少しも違わない子どもだった。

ドラキュラ伯爵の姿をした子どもは、無表情のまま、かぼちゃの焼き菓子を頬張った。
典子の作ったそれは、とても優しい味がした。



おわり


「15のオハナシ」より「お菓子」。一日遅れのハロウィンネタ。
今回友達のSちゃんが別ジャンルでハロウィンのイラストを描いていたのを見て思いつきました。
ありがとう、Sちゃん。
桐山×典子と七原グループ(杉村抜き)。
ネタ的に杉村出せなかったのが非常に残念です。彼、結構好きなんで。
典子が桐山を気にかけてあげたのは、恋愛感情ではないです。本当。たとえ、桐山が典子に対して
それに近いものを抱いていたとしても。うちの桐典だとだいたいそう言うパターンですね。
でも、典子の持っている母性愛みたいなものが、桐山を癒してあげられると信じたいです。
どんなに知識を持っていても、桐山だって、七原たちと同じ、十四歳の子どもですから。