しなやかな腕の祈り

「中川」
桐山は軽くバスタオルで頭を拭きながら、部屋に入って来た。肩に着くほどに伸びた髪は、艶やかな濡れ羽色をしていた。


典子はほんの少し、身を硬くした。自分が先にシャワーを浴びさせてもらい、彼が次にシャワーを浴びているその間に、
考える時間は十分にあったはずなのに。

桐山は典子の座るベッドの隣に腰を下ろした。
典子はうつむいたままだった。彼と目を合わせることを拒むかのように。

「…怖いか?」
典子の肩口をそっと撫でて、桐山は典子をじっと見詰めて、言った。
それに典子は無言で首を横に振る。
「どうしても無理なら、今日はもう止めるよ」
桐山が典子を抱きたいと言ったのは、これが初めてではなかった。
けれど、典子自身の心の準備ができるのに時間がかかってしまったのだ。
桐山は何も言わずに、待っていてくれた。典子の決心がつく日まで。

クラスメイトには内密のまま、桐山和雄と中川典子は俗に言う「恋人」同士に限りなく近い関係を続けていた。
呼び名も未だにお互い苗字であったけれど、そのほうがかえって典子には落ち着けた。
しかしそれでいて、桐山は決して自分の家には典子を近づけなかった。
典子の家に彼を招いたことなら数回あったが、さすがに家で行為に及ぶのはためらわれた。
そんな典子を気遣ってか、桐山はわざわざホテルを借りてくれた。中学生でもそんな真似ができるのは
やはり、彼の父親のコネがものを言っているのだろうか。彼は一切、家の事情を話してくれたことはなかったけれど。

「…怖くなんて、ないわ」
そっと顔を上げ、典子は決心したように桐山を見た。
サービスで用意されていたバスローブに身を包み、胸をはだけた桐山は、女の典子から見てもどきりとするくらい、色っぽかった。
「…桐山くんのこと…信じてるから」

彼が、いつも自分に尋ねてくることごとのように、単なる好奇心から自分の体を求めたのではないということはわかっていた。
「…中川を抱いて、確かめたいことがあるんだ」
そういった桐山の顔はーいつにもまして、切実そうな色が含まれていたように思えたから。
これが彼をよく知らなかった以前の自分であれば見落としてしまっていただろう、感情の揺らぎをほとんど見せない彼の、
僅かな変化だった。

「………」
少しの間、こめかみあたりに手を添え、何事か考えているような仕草を見せた後、
桐山はそっと手を伸ばして、典子を抱きしめた。
来る前、一度抱き締められた時はとても冷たかった彼の身体は、今は大分温かかった。
シャワーを浴びた所為だろう。
「中川…」
いくらか熱を帯びたような声。彼がこんなに切なそうな声で自分を呼ぶようになるなんて、少し前だったら考え付きもしなかった。

彼が訴えかけるように見つめてきたのに、典子は静かに頷いた。
了承の証であった。

桐山がそっと、典子の胸に触れてきた。壊れ物でも扱うかのように優しく包み込んで僅かに力を篭める。
成熟しきっていない典子の胸は、やや小振りではあったが、形はすこぶる良かった。
桐山の手に揉まれるうち、自分でもよくわからない感覚が体の奥から生じてくる気がして、典子はぎゅっと唇を噛み、身体を震わせた。
ささやかな薄紅の突起が、初めて受ける男からの刺激に反応して、ぴんと立ち上がった。そこを桐山はそっと摘み、唇を押し付けてきた。
「あ…」
何ともいえない感覚だった。典子は堪えきれずに声を洩らした。
桐山はしきりに典子の胸を撫で、突起を口にして吸い上げていた。
まるで桐山という子どもに乳を含ませているような気分だった。典子は桐山の頭を抱き締めた。
体の中の熱がどんどんと増していく。
緊張が徐々に解けて、桐山を受け容れる事に対する恐怖心が和らいできた。
桐山は愛撫の手をだんだんと下へずらして行った。
滑らかな典子の腹の感触を堪能するように撫ぜ、やがて薄い茂みに辿り着く。
白い肌をうっすらと隠す程度に生えたそこに触れられる事には、やはりかなりの羞恥心があり、
典子は再び身を硬くした。
細い指が裂け目を割って、内部を暴こうとすると、典子は思わず腿を閉じてしまった。
「…どうしたんだ、中川」
「………」
やはり恥ずかしく、桐山の顔がまともに見られなくなる。こんな場所に触れられるのは。
「…俺のやり方は、おかしかったかな」
少し、戸惑ったような桐山の声。彼を受け入れるには、どうしてもここを彼の目に晒さないといけない。
「あんまり…見ないで。恥ずかしいから」
「なぜだ?」
本当に不思議とでも言うように、桐山は首を傾げた。…理解してもらうのは、難しいかも知れないけれど。
典子が答えずにいると、桐山も諦めたらしく、愛撫を再開した。典子は今度は何とか堪えた。
内側に桐山の指が入り込むと、典子は小さく声を洩らした。
指一本を受け入れるのがやっとだった。
「中川。…体の力を抜いてくれ」
そうしないと辛くなるのは典子の方だ。典子は出来る限り緊張を解こうとした。
桐山の愛撫に身を任せていくうち、だんだんとそれは困難ではなくなって行った。
痛みは和らぎ、心地良さが取って代わる。典子の秘部は、桐山の指を二本までも通した。
「あ……あああ…」
典子の唇から、官能の吐息が洩れる。桐山は典子の内側を慣らすように、愛撫を続けた。
やがて充分にそこが潤んだのを見計らい、桐山は典子を愛撫する手を止めた。
「そろそろ、大丈夫か?中川。」
急に絶たれた快感に、ほんの少し名残惜しさを感じながら、典子は桐山を見上げた。
彼らしくもなく、息を乱し、頬を僅かに染めている。ぼんやりとした頭のまま、頷いた。
桐山がそっとバスローブの前をはだける。
彼の体の一部を目にすることはやはり躊躇われて、典子は目をそらした。
また少し緊張してきた。
桐山が、典子の顔の横に片手をつき、典子に覆い被さる姿勢をとった。
「中川」
軽く頬を撫でられた。典子は目を閉じた。

「…ぁっ…」
典子はか細い声を上げた。ちくりと、刺すような痛みを感じた。
桐山に、誰にも許したことのない内部を暴かれる痛み。
それに堪えようとすると、身体に力が入ってしまう。
「…大丈夫か、中川」
桐山のほんの少し上擦った様な声が聞こえた。
「…うん」
目をそっと開け、自分の上になった桐山を見詰める。やはり静かだが、いつもとどこか違った様子の彼の顔が目に映る。
大丈夫だと言う証に笑んで見せると、桐山はまた典子の頬を撫ぜた。
「…中川…」
どこか苦しいと言うふうに聞こえた、彼の声。
また少し痛みが襲ってきたが、堪えられた。桐山の背中にしがみつく。彼の背中はもう冷たくなっていた。
「桐山くん…」
体の内側に、桐山が侵入しているのが、はっきりと感じられた。
目を閉じて、浅い呼吸を繰り返す彼の額に降りた前髪を、典子はそっとすくい上げて、撫でてやった。
その手を取られて、口付けられる。
大分痛みの引いた今は、桐山を感じる余裕があった。
―中川とひとつになって、確かめたい事が、あるんだ。
彼は…知る事が出来たのだろうか。
冷たいままの桐山の背中を、典子はそっと撫ぜた。
彼を包み込み、温めてあげられればと思った。…彼が自分を求めてくれている限りは。
「中川…」
彼は寂しそうだった。寒そうにしていた。典子には、そう見えた。
「桐山くん…」
だからこそ、彼を受け入れる決心をしたのだ。



典子は薄暗闇の中で、目を覚ました。
カーテンの隙間から差し込む光が目にしみた。
ほんのわずかな痛みと、けだるさが体に残っていた。
「あ…」
ぼんやりと戻ってくる意識の中、眠りに落ちる前していた行為のことが頭によみがえって来て、典子は頬を紅くした。
顔を横に向けようとすると、そこにある固く暖かい感触に阻まれ、どきりとした。
「桐山くん…」
桐山の静かな寝息が聞こえた。
温かい胸に頬を預ける形になっていた事に気付き、典子は慌てて、身体を離そうとした。

だが桐山の手にしっかり抱き寄せられていて、それは叶わなかった。
桐山を起こしてしまうのもかわいそうに思えた。諦めて、再び彼の胸に顔を埋める。
温かい彼の胸からは、規則正しい心音が聞こえて来ていた。
それが何だか、不思議な感じがした。
桐山くんも…生きてるんだ。
当たり前のことなのに。何だか、とても嬉しくて。…それから少しだけ、切なくなった。
典子はその音の響く胸の辺りに手を当てて、はっとした。
―え?
白く滑らかな桐山の肌には、無数の痣があった。
典子のすぐ目の前にあった左胸と、腹、臍のすぐ横あたりには細長く切りつけられたような紅い傷跡。
典子は息を飲んだ。いったいいつ、どこで桐山はこんな傷を負って来たのだろう。
格闘では無敗を誇り、他校との喧嘩でもひとりで十数人倒してしまうのが当たり前と聞くのに。
彼は決して家の事を話さなかった。
桐山の腹の傷跡にそっと触れる。こんなに、跡が残るほどの傷を負って―痛くはなかったのだろうか。
ねえ、桐山くん。
あなた、いったいどんな目にあってたの?
どんな風に、育ったの?

いつもどこか冷たい目をしてー寂しそうにしていたこの人。
典子は胸が詰まりそうになって、桐山の腹をそっと撫ぜた。
…あたしにだったら、話してくれても良いのに。

目が覚めて、尋ねても、やっぱり彼は答えてはくれないのだろう。きっと。
そのとき、桐山がふと瞼を持ち上げた。
典子は驚いた。
「…ごめんね。起こしちゃった?」
「…いや」
桐山は何度か瞬きをして、それから、典子をじっと見詰めた。
深い深い、新月の夜のような、真っ黒い瞳だった。
でも、少しだけ潤んでいるように見えた。
「…中川」
「…え?」
「…中川を抱いて、わかったことがひとつある」
すっかり前髪を下ろした、普段とはずいぶん違う雰囲気の桐山。
彼はどこか幼く見えた。
彼は耳によく通る、澄んだ声で、言った。
「中川といると…落ち着ける。他の誰と居ても満たされなかった何かが、満たされた気がしたんだ」
桐山の声はひどく穏やかで。…いつもより、優しかった。
「こういうのを、安らぎと言うんだろうな」
桐山は典子をぎゅっと抱きしめた。
「…暫く、こうさせていてくれないかな」

目元が熱くなった。
どうして。
こんなに…苦しくなるんだろう。
「…良いよ。桐山くんが、こうしてたいんだったら…」
典子は桐山の背中を何度も何度も、優しく撫ぜた。




おわり





後書き


桐山がセックスをするのは、快楽のためじゃなくて、自分に足りないものを持っている典子とひとつになることでそれを補完したいという気持ちの表れ。…胎児願望に近いものなのかも。
原作では決して成立し得ない関係だけど。
私の設定での二人はこんな形で救われて欲しいと思います。
感想などありましたら是非。