君が居た夏は、遠い夢の中。
その日、城岩町では夏祭りが行われていた。
色とりどりの花火が盛大に打ち上げられる。それを見に多くの人が訪れた。
付近の商店街や公園には夜店が立ち並んだ。
八月の初旬。人々の熱気が、暑い夏の夜を更に暑くした。
桐山和雄は、沼井充に誘われてそこに来ていた。
ファミリーのメンバーたちはこうした行事に目が無いらしい。
四人それぞれ浴衣を着て、待ち合わせ場所にやって来た。
桐山も、その日のためだけに買った(使用人に買わせた、と言ったほうが正しい)
浴衣に身を包んでいた。他の四人と違って、今日この日を心待ちにしていた訳ではないが。
こういうのも、悪くはないと思った。
夜店に散っていった充たちに、少し距離を置いてついて歩いていた桐山は、ふと足を止めた。
立ち止まって、夜店の一つに見入っている少女を見つけた。
髪を纏め、紺色の浴衣に身を包んだ少女。
中川典子だった。
桐山はその姿に暫く釘付けとなっていた。
見とれていた、といったほうが正しい。
装い一つ変えるだけで、典子は随分と大人びて見えた。
桐山は前へ歩いた。
典子を見つけると、つい傍に行きたくなってしまう。どうしてかは分からない。
「…何を、見ているんだ?」
典子がすること一つ一つに興味を持ってしまう自分が、良く分からない。
「…桐山くん?」
典子ははっとしたようだった。
「すごい、格好いいね」
桐山の浴衣姿のことを言っているのだろう。
桐山はちょっと自分の着ているものに目をやり、そうか、と言った。
「うん。桐山くんに、すごく似合ってるわ」
「…ありがとう」
褒められた時は、礼を言うものだ。そう充が言っていた。
「はいよ、お姉ちゃん」
「ありがとう」
典子は夜店の男から、何か袋のようなものを受け取った。
「お祭りのときは、これが食べたくて」
典子は微笑んでそれを桐山に見せた。
それはわたあめだった。
「では…俺も同じものを」
桐山は一万円札を取り出し、店主に渡した。
「兄ちゃん、細かい金はねえのかい」
「ない」
典子は目を丸くし、店主は「仕方ねえなあ」と決まり悪そうに言って、
九枚の千円札と、小銭を桐山に渡し、それから
ピンク色の綿菓子が入った袋も渡した。
「一人で来たのかい?」
「ううん」
典子は軽く首を振った。典子の片手には、ヨーヨーが下がっていた。
「今日は家族で来てたの。でもちょっとはぐれちゃって」
特に慌てる風もなくそう言って、微笑んだ。
「桐山くんは?」
「充たちと来た」
「皆は、どうしたの?」
「はぐれた」
「え?…皆心配してるんじゃない?」
「問題ない」
桐山が無表情のまま言うと、典子は笑った。
「何だか、沼井くんたちが桐山くんの家族みたいね」
「…?」
典子の言っていることは、良く理解できなかった。
「そのうち、見つかるよね」
「そうだな」
典子がおっとりした調子で言ったのに、桐山も同意した。
二人は暫く一緒に歩いていた。
少し行くと、夜店の一つに人だかりが出来ていた。
「…あれは、何だ?」
「射的みたい。やったことある?」
「いいや。初めて見る」
「桐山くん、もしかしてお祭りあんまり来たこと無いの?」
「ああ。初めてだ」
桐山がそう言うと、典子は驚いたようだった。
「俺はこの土地に来てから、まだそんなに経っていない。中学になってから来たから」
「…そうだったんだ」
ぱん、と勢いの良い音がした。
「はい、外れね」
目当ての商品を撃ち損ねた男の子が、がっかりしたように粗品を貰って下がった。
「…あれは、面白いのかな」
「難しいと思うよ」
桐山は人ごみを分けて進んだ。
店主に「一人分、頼む」と、今度は千円札を渡した。
桐山和雄は、勉強、スポーツ、あらゆる面においていかんなく才能を発揮する男だったが、
この射的も例外ではなかった。
桐山は狙いを定め、引き金を引いた。
人だかりから、歓声が上がった。
大きなぬいぐるみが、ゆっくりと後ろに倒れた。
「桐山くん、それが欲しかったの?」
射的を終えて、典子の元に戻ると、意外そうな顔をされた。
「いや。撃ちやすい位置にあっただけだ」
ぬいぐるみを片手に持ち、桐山は淡々と言った。
そのぬいぐるみは、どう見ても小さな子どもが喜ぶ類のもので、
桐山には完全にミスマッチな代物だった。
「桐山くんて面白いね」
「…そうかな」
桐山はぬいぐるみと、典子とを交互に見て、首を傾げた。
典子の言っていることは、やっぱり良く分からなかった。
それからまた色々な店を見て回ったが、典子の家族にも、充たちにも会わなかった。
さして広くない場所なのに、不思議な感じがした。
桐山と典子は二人で歩いていた。
祭りの喧騒の中、
二人は傍から見れば、カップルそのもののようだった。
本人たちに全くその気は無かったのだけれど。
どこかで、子どもの泣いている声が、聞こえたような気がした。
反応したのは、典子が先だった。
「…どうしたのかしら」
道の傍らに生える木の陰で、ひとり喧騒になじめずに泣いている男の子が居た。
典子はその男の子のほうへ歩み寄って行った。
桐山も、何となく、典子の後についていった。
「…どうしたの?」
典子は男の子に声をかけた。
男の子は泣き止んで、典子を見上げた。
典子は優しい目をして男の子を見ていた。
「お母さんが、いなくなっちゃった」
男の子が、掠れた様な声で言った。
「…迷子になったのね。」
典子は軽く辺りを見回してから、言った。
周りに母親らしき人の姿は見えなかった。
「お母さん、心配してるね、きっと」
典子がそういうと、男の子は目を潤ませた。
典子は優しくその男の子の頭を撫でた。
「お母さんちゃんと見つかるから。これ食べて、元気出してね」
典子は自分が買った綿菓子を、男の子に渡した。
男の子はぱっと明るい表情になった。
「ありがとうー!」
綿菓子を頬張った子どもはしっかりと典子にしがみついた。
桐山はそんな男の子を、興味しんしんに眺めた。
良く表情が変わって面白い、と思ったのだ。
だが男の子は桐山の顔を見ると、泣きそうになった。
「…?」
桐山が首を捻り、気難しそうな顔をすると、子どもはますます泣きそうな顔になった。
「おにいちゃん、こわい…」
小さい声で言って、典子の後ろに隠れた。
典子は苦笑した。
「どうしたんだ?」
「さあ…」
男の子には、桐山の顔が怒っているように見えたらしい。
彼の表情は、いつもこうで、変わることは無いのだけれど。
祭りの本部のテントに行って呼び出しをかけてもらうと、母親は程なく見つかった。
母親は何度も頭を下げた。
別れる時、子どもはにかっと笑って典子に手を振った。
典子は笑って、それに応えた。
男の子は、母親の浴衣の袖を、しっかりと掴んでいた。
「良かった。ちゃんと見つかって」
親子が見えなくなるまで見送ってから、典子はほっとしたように言った。
桐山は黙って典子を見詰めていたが、ふと、気づいたように言った。
「これを。」
桐山は自分の分のわたあめを差し出した。
「―え?」
「中川の分が、もうない」
典子が、お祭りの時は必ず買うという綿菓子は、男の子が持って行ってしまった。
「でも、桐山くんが」
「いいんだ」
桐山は典子が食べるというから、自分も食べてみようと思った、それだけの理由で買ったのだし、
特に執着がなかった。典子が食べたいのなら譲ろうと考えた。
典子は多少申し訳ないような顔をした。
「ありがとう。でも、半分でいいよ」
「…そうか」
桐山から綿菓子を受け取り、典子はそれを二つに分けた。割り箸は二本入っていた。
「桐山くんも一緒に食べようよ」
「…ああ」
典子が差し出した半分の綿菓子を桐山は受け取った。
白い塊が割り箸にふわりと乗っていた。
夜の空。
屋台から上がる、煙の匂い。
桐山は小さく深呼吸した。
学校を離れた空間で、典子と共に居る。
「お祭り、今日で最終日なんだって。寂しいね」
典子は夜店に目をやってから、静かな声で言った。
今日はにぎやかなこの公園も、明日になればまたいつものように静まり返るのだろう。
そして、典子も桐山も、それぞれの日常に戻る。
そうして、新学期まで、多分顔を合わせることは無い。
「俺は」
祭りの後の寂しさ。
どこかでそんな言葉を聞いたような気がした。
「寂しいと言う気持ちが、よくわからない。」
「…そう」
典子は少し困ったような顔をして、桐山を見上げ、それからわたあめを一口食べた。
桐山も同じようにわたあめを頬張った。
甘い甘い味。砂糖の塊。ゆっくりと広がる甘い味。
消えていくその味を、忘れないようにしようと桐山は思った。
人ごみは増すばかりだった。もうすぐ花火が始まる時間だから、そのせいだろう。
道を歩くのにも窮屈な位人が押し寄せてきていた。
典子の腕を、桐山は掴んでいた。
「…桐山くん?」
「ー中川が、行ってしまうと思ったんだ」
桐山がいつに無く必死そうな顔をして居たので、典子は多少、驚いたようだった。
掴まれた腕を見、そして桐山を見た。
桐山の手に、そっと典子は触れた。
桐山よりも一回り小さい、柔らかな白い手だった。
「あたしは、居なくならないよ?」
人のざわめきが、一瞬だけれど、聴こえなくなった。
桐山は目を丸くした。
中川典子は、ここに居る。
自分の手をとって、確かにここに存在していた。
「夏休みが終わったら、また会えるじゃない。」
そう言って微笑んだ。
典子は去っていった。その後姿を、桐山は暫くの間眺めていた。
思えばずっと自分は、こんな風に典子の後姿を見送っていたような気がした。
追いかければいいのかもしれないけれど。
桐山にはそれが何故か出来なかった。
「ボス、どこにいたんだ?」
「…別に」
追いついて来た桐山ファミリーの面々が、桐山を囲んだ。
桐山の持っているぬいぐるみを見て、月岡が「きゃあ、桐山くん、そんなかわいいのどうしたの」と
声を張り上げた。
充が空を見上げて、言った。
「花火が、そろそろ始まるぜ」
夏休みは、八月の終わりまで続く。
その一ヶ月間が、無性に長いような、そんな気がした。
「…早く、終わればいい」
「ーえ?」
充がびっくりしたように聞き返したが、桐山は答えなかった。
「夏休みが終わったら、また会えるじゃない。」
典子の言葉を、桐山は思い出した。
空を見上げた。
ちょうど大きな花火が打ち上がる所だった。
ばん。
それは、音を立てて弾けた。
おわり
桐山と典子の、夏の思い出。
ほのぼのした話は、書くのは難しいけど、大好きです。
イメージは「White Berry」の「夏祭り」、松任谷由美の「真夏の夜の夢」
そんなに激しいものでもないけど。
2004/08/12
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