What is love?

「なあ、ボスにもさ、やっぱ好きな女とかいる?」
それは、いつものように屋上で、桐山ファミリーのメンバーたちが昼食を取りつつ、他愛無い雑談に興じている時。
沼井充が、ただの興味本位で桐山和雄に聞いたことだった。

最初、充が笹川や黒長、月岡といったほかのメンバーと話していて、その時に出た話題だった。笹川は、「顔だけなら相馬だな。」と言い、黒長は少し顔を赤らめながら、「内海かな…」と言い、月岡は、「もちろん三村くんよ!」と答えて充に、女の話をしてんだよ、と毒づかれていた。充自身は、「金井が結構いいと思う」と言っていた。
そうして、しばらく話した後、その話題には加わらず、黙々と高級そうな弁当に箸を伸ばしている桐山の姿が目に入ったので、充はなんとなく尋ねたのだ。
桐山はゆっくりと充の方を見て、そして少し考えるようにしてから、特にいつもと変わらない調子で言った。
「…好きなのかどうかはわからないが、気になる女なら、いる。」
「へっ…?」
思わず間抜けな声を出して充は桐山を凝視した。
自分から聞いておいてなんだが、まさか、そんな返事が返ってくるとは思わなかったので。
ボスのことだから、きっと「よくわからない」か「特にいないな」とかいうものだと思ってたのに...
充はなぜか軽いショックを受けながら、しかし好奇心には勝てず、桐山に尋ねずにはいられなかった
「だ…誰なんだいそいつ…うちのクラスの奴?」
桐山はまったく動じた様子も無く答えた。
「ああ、中川だ。」
「え、中川...?」
これには充のみならず、聞き耳を立てていた笹川たちも唖然とした。
意外すぎる答えだった。
中川というと…あのちょっと太めの、お調子者の女か?
いや、もう一人いた。あいつ―可愛くないわけじゃないけど、そんなに目立つほど
美人ってわけでもない、ごくごく普通の女。
「ど、どっちの方?」
「…典子。」
その答えに、いや、単に桐山は名前で区別する為にそう言ったに過ぎないのだろうが、
充は桐山が、中川典子を呼び捨てにしたような錯覚を覚えて、思わず顔を赤らめた。
中川典子とは、本当に意外だった。
桐山と一緒に歩かせるなら、そう、中身はともかくとして、相馬光子や、千草貴子といった正統派の美少女とのほうが絵になる、と充は漠然と考えていた。
王が連れている女は、とびきりの美人と相場が決まっている、彼の愛読していた少年漫画でもそうなっていたから。
「何でまた、中川なんだ?ボス。」
充は桐山の反応を窺いつつ、小さい声で聞いた。
「…そうだな…中川は、面白い。」
「面白い…?」

「ああ。」

桐山の答えは、充にはよくわからなかった。
面白いというなら、もう一人の中川の方が…いや、悪いけどあいつはボスとは絶対似合わない。
しかし、桐山の答えに深い意味はなかったのだ、
桐山が充達に抱いている気持ちと、大差はなかったのかも知れない。
そもそも桐山には、恋愛感情を抱くことそのものが不可能に近いということを、充は知らなかった。



それから昼休みが終わり、ファミリーの面々はそれぞれ自分の思う方へと散っていった。

黒長と月岡は授業へ(月岡は三村の体育を受ける姿が見たかったらしい)、笹川は「だるいから帰るわ」と、担任に無断でさっさと帰り、桐山と充はそのまま屋上で話していた。
終礼の鐘が鳴って少しすると、桐山は充に「俺は図書室に寄るから、先に帰っていてくれ。」と言って去った。
充はまた桐山が自分にはわからないような難しい本を読みに行くのだろうと思ったらしく、強いて付いて行こうとはしなかった。

充と別れて、図書室に来た桐山は、暫く本を探して色々な本棚の間を歩き回っていた。
別に読みたい特定の本があった訳ではなく、ただ、そうしてみようと思っただけなのだが。
そうしているうちに、適当な本を見つけたので座ろうとしたが、
今日はいつもに比べて空いている席が少ない。
相席しか残っていなかった。
桐山は暫く辺りを見廻して、やがて一つのテーブルに向かって歩き出した。

そこには、先程桐山が「面白い」と言った少女、中川典子が一人で座って本を読んでいた。
「―何を読んでいるんだ?」
「えっ?あ、桐山くん」
典子は余程集中していたらしく、桐山に答えを返すまで少しの間があった。

彼女が持っていたのは、薄い文庫本だった。
「これ。最近、映画化された小説なんだけど。」
「そうか」
ここに座ってもいいかな、と桐山が尋ねると、典子はどうぞと答えた。
桐山は典子の向かい側の席に腰を下ろした。
典子の手にした本を見て、また訊いた。
「それは、面白いのか?」
典子はなぜか少し顔を赤く染めた。
「うん、あたしは凄く好きな話なんだけど、男の子が読むには向かないかも。」
「何故だ?」
「うーん、恋愛小説だから、そう言うのって、男の子は苦手でしょ」
「そういうものなのか?」
「桐山くんは、違うの?」
「今までそういう本を読んだ事が無いから、よくわからない」
典子は、なるほど、と思いながら、桐山の持ってきた本に視線を移し、更に納得した。
この学校の生徒でも、手に取るものはそう居ないだろうと思われる、分厚い古典書の原文版。

いつも、こんな本ばっかり読んでるのかな。
典子がぼんやり考えていると、桐山が典子の本を指差して言った。
「中川、その本を読み終わったら、俺に貸してくれないか。」
「―え?でも…。本当に読むの?桐山くんが面白いかどうかわからないよ?」
典子は意外そうに桐山を見上げた。
桐山は無表情だった。
「中川は、面白いと思うのだろう?」
「それはそうだけど…」
「それなら、読んでみるのも悪くない」

桐山は至って真面目な顔をしている。いや、ただ単に表情が全く変わっていないからそう見えるのかも、しれないが。
「…うん。わかった。じゃあ、私が読み終わったら、桐山くんに貸すね」
「ああ、頼む」
桐山は頷き、席を立つと、持って来た本を開きもせずに拾い上げ、元居た本棚の方へと姿を消した。
「不思議なひと…」
桐山が姿を消して行った方をぼんやりと眺めたまま、典子は呟いた。
ああした様子だけ見ていると、彼が不良グループのリーダーである事を忘れてしまいそうだ。
他の女子たち程には、典子は桐山を恐れてはいなかった。
彼女の元々の性格もあるのだろうが、桐山が何度か典子に話し掛けてきたせいもある。
その時抱いた印象は、悪いものでは無かったので。

「桐山くん、本当にこれ読むのかな?」
桐山が生真面目にこの文庫本に集中する姿を思い浮かべて、典子は微笑した。
三日後に典子から約束通り本を受け取った桐山は、自宅に戻ってからその最初のページを開いた。
題名はごくありふれたものだった。

主な登場人物は、中学二年生の平凡な少女と、歌手を目指す少年。
夢を追いかけて毎日練習に励む少年は、多くの女子から思いを寄せられていた。
その中には、主人公の少女も含まれていた。
彼女は自分の唯一の特技である作詞の才能を活かして、少年と親しくなる。
やがて数年後少女の書いた詩を歌った少年は、見事に夢を実現するー。
途中経過はもう少しあるが、要約すると大体こうなる。

普通なら、このような小説を読むとき、登場人物の誰かに感情移入して読むものなのだろう。
桐山は一ページずつ丁寧に読み―その内容を余す事無く記憶したが、よく理解できなかった。
もちろん、話の流れはわかっている。多少、無理がある設定だという感想は持った。
だが、特別面白いとは思わない。
最も、桐山が本を読んで面白い、という感想を持った事は一度も無いのだが。
ただ、もうひとつ、気づいた事があった。
大して気に留める程の事では無かったのかも知れないが。

翌日、何となくいつもより早く学校に来た桐山は、登校してくる途中の廊下で、典子の姿を見つけ、声を掛けた。

「中川」
「あ、おはよう、桐山くん。」
「おはよう。」
桐山はただ単にあいさつを返しただけなのだが、周囲の者にはかなり奇妙な光景だった。
あの桐山が、普通に挨拶している。しかも女子に。
典子は特に意識して居なかったが、この学校でこんな風に桐山と対等に話せる女子は、典子以外にそう居ないだろう。

「…借りていた本を読み終わったので、返そうと思った。」
「…あ、うん。どう、面白かった?」
「…悪くない話だったよ」
桐山はそう言うと、これは指定のものだが、他の生徒とは違い真新しい学生鞄から典子の本を取り出すと、すっと差し出した。
典子は本を受け取り、少し微笑んで桐山を見た。
「どうした?」
「ううん、なんか意外だなーって。…こんな本読む桐山くんて想像つかなかったから」
「そうか?」
桐山は首を傾げた。
その動作が妙に可愛く見えて、典子はまた笑った。
「じゃあ、また後でね、桐山くん」

典子は笑顔のままそう言って、桐山に背を向け、教室に向かおうとした。
「…中川」
「え?」
突然呼び止められて、典子は驚いた様に桐山を振り返った。
桐山は特にいつもと変わらない静かな声で言った。
「その本に出てくる詩を書くことが好きな女は、中川に似ていると、思う。」
その言葉に、典子は顔を紅くした。
それは、少し自分も思っていた事だったから。
典子は主人公に感情移入してこの話を読んでいたのだ。
「それから」
桐山は続けた。
「その女が好きな歌を歌う男は、七原に似ているな。」
「………」
典子が思っていた事を全て言われてしまった。

そう。
典子は好きな秋也の事を、ひたむきに夢を追いかける少年の姿に重ねて見ていた。
出来れば自分も主人公のように、その側に寄り添って、一緒に夢を追いかけられたらいいと、
 少し恥ずかしがりながらも、そう思って、読んでいた。
「…中川も」
「え?」
「中川も、そんな風に、七原の事を想っているのか?」
「…それは…」
典子はすっかり顔を紅くして俯いた。
―そんな事、桐山くんの前で言える事じゃないよ。
桐山は暫くそんな典子を不思議そうに見ていたが、ふと思い付いた様に言った。
「どんな気持ちなんだろうな、人を好きになるというのは。」
「え?」
典子は驚いて桐山を見た。桐山の言葉に、少しだけ訝しげに首を傾げる。

「人を好きになるというのは、どんな感じなんだ?」
桐山はまるで子供の様に典子に訊ねた。
「中川には、わかるのだろう?その気持ちが。」

典子はまた顔を紅くしたが、桐山が真剣な顔をしていたので、恥じらいながらも答えた。
「うん、とても、温かくなるの。心が。その人の事を考えると。」
そう言った典子はとても幸せそうな顔をしていた。
桐山は黙って、そんな典子の顔を見ていた。

「俺にはよくわからないが、中川がそう言うのなら、悪くない気持ちなんだろうな。」
桐山はそう静かに言った。
その声には、特になんの感情も篭ってはいなかったけれど。

典子は桐山の顔を見た。
桐山は僅かに目を細めていた。

「俺もいつか、ここが温かくなるような想いをする時が来るのかな」

すっと手を自分の胸に当てて、桐山は独り言の様にそう言った。
その桐山の様子を見て、何故か典子は少し切なくなった。



おわり