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城岩町立城岩中学校では、毎年五月に一、二年生は遠足、三年生は修学旅行へ行くのが恒例行事となっていた。

「プログラム」の対象となる可能性のある三年生は別として、そんな心配とは無縁のところにある一、二年生の大部分は、数少ないこの行事を楽しみにしていた。

まだクラス替えがあって間もない時期だ。毎年、この行事を通じて仲良くなる者も多い。

この行事には、そんな意味も含まれていた。
一年生は海へ、二年生は山へ行く事となっている。

二年B組の中川典子は、出席番号が前後で、しかも同じ苗字の中川有香と仲良くなったのがきっかけで、有香と一年の時同じクラスだった内海幸枝、幸枝の部活仲間の谷沢はるかといった女子たちとも親しくなり、遠足の当日は彼女たちと待ち合わせをして来た。

今のクラスになってから毎日が楽しかった。

みんないい子たちだし―少し怖い子もいるけれどー今のところは、順調にクラスに馴染んで来ている。何より、ずっと好きだった秋也と一緒のクラスになれた事が、典子は一番嬉しかった。

まだ少ししか話せてはいないけれど、出来たらこの遠足中に、一緒に写真を撮れたらいいと思い、カメラを準備して来ていた。

現地についてから後は、自由行動となった。

典子は幸枝たちと一緒にお昼を食べた後、課題となっている風景画のスケッチをする場所を探して、森の中を歩いていた。

「あ…!」
「どうしたの?典子」
「ごめん、後で追いかけるから、先に行ってて」
「?うん」

幸枝達は不思議そうな顔をして、「私たち、あっちの丘の方にいるからねー」と典子に言い残して、森の出口の方へと消えていった。
典子にはその声はもう半ば聞こえていなかった。

典子は花を見ていた。
とても綺麗なピンク色の花が目に止まり、思わず見入ってしまったのだ。
こんなに鮮やかで綺麗な花は見た事がなかった。

「きれい…」

典子は花の前にかがむと、バッグからカメラを取り出して、シャッターをきった。
典子は実はあまり絵を描くのは得意ではなかった。

ただ、思った事を詩や文章にする事は大好きだった。
こんな綺麗な花を見たら、いくつも言葉が浮かんでくる。
この花を描きとめる程の画力がない事はわかっていたので、写真に残して置きたいと思ったのだった。

家に帰って現像に出したら、これを見て思いついた事を書こう。

典子はカメラを持ったまま、その花を名残惜しそうに見つめた。
写真と現物は、また違うよね。

もう少しだけ見ていたい気がした。
でも、もう行かなくちゃ。

典子は溜息をついて、立ち上がった。
幸枝達の後を、追いかけて行こうと思った。

その時、典子は自分の正面、森の出口に近い辺りにある大樹の下に、一人の少年が座っているのに気がついた。

黒い学生服に、後ろ髪を長く伸ばした、特徴的なオールバック。
あの人…確か…
名前は出てこないけれど、とても変わった髪型をしていたから、覚えている。
同じクラスの人。

典子はその少年の方に近づいていった。
少年は、膝にスケッチブックを置き、少し離れた所にある花をじっと見ている様だった。
典子が見ていたのと、同じ花だ。
典子が近づいて来たのに気付くと、少年はゆっくりと典子の方に視線を向けた。

とても綺麗な顔をしていた。
遠くで見た時には気が付かなかったけれど。
典子は少年の膝の上に載ったスケッチブックに目を落とし、目を瞬かせた。

「綺麗…」

そこにはまるで風景をそのまま切り取って当てはめた様に、完璧な絵が描かれていた。

水彩絵の具でここまで見事な表現が出来るものなのだろうか。
典子が見ていた花の、鮮やかなピンク色がきちんと再現されている。

「絵、上手いのね。すごく」

典子は絵を感嘆した様に見つめたまま、言った。
少年は暫くの間黙っていたが、やがて口を開いた。

「…中川」
「え?」

突然名前を呼ばれて、典子はびっくりした様に少年の顔を見上げた。

「同じクラスの、中川だろう?」

少年は無表情のまま、言った。

「最初に自己紹介したから、覚えている」

そう、このクラスになって最初のHRで、先生に指名されて、典子は一番目に自己紹介をしたのだった。かなりあがってしまっていたが。
それからHRでは毎週数人ずつ自己紹介をしていったのだが、まだこの少年の番は回って来ていなかった様に思う。

典子は少し顔を紅くした。

「あ、そうだったんだ。えっと…」

典子は少年の名前を思い出そうとして言葉に詰まる。出てきそうで出てこない。

「桐山」
「え?」
「桐山和雄」

名前を教えてくれたのだとわかった。

桐山…って…確か…

そうだ、同じクラスの不良グループのリーダーみたいな…人。

まだ学校には数回しか顔を見せていなかった人。
欠席の度に名前を呼ばれるから、そっちの方で覚えていた。
顔と名前がまだあまり一致していなかった。

「桐山くんね。よろしく」

典子は微笑んで、そう言った。怖いとは思わなかった。
桐山は頷いた。そして、おもむろに、自分の膝の上のスケッチブックを手に
取ると、花が描かれたページをぴりぴりと破った。
典子が不思議そうな目で見ていると、桐山はその絵を典子に差し出して、
言った。

「気に入ったのなら、持っていくといい」
「え?」

典子は呆気に取られた様に桐山を見、「でも、いいよ。悪いもの」と言った。
桐山は「そうか?」と言うと、今度はその絵を丸めようとした。

典子は思わず声を上げて止めた。「待って!勿体無いよ!」
桐山は静かに言った。「最初から捨てるつもりだったんだ」

結局典子がその絵をもらう事になった。

桐山くんて、自分で自分の才能がわかってないんだわ。
こんなに綺麗な絵が描けるのに。
でも、本当に才能のある人は、そういうものなのかしら。

典子は桐山の方を見た。
丁度桐山もこちらを見ていた様で、桐山と目が合った。

典子は、思わず見とれた。
透き通った瞳だと思った。
何かが欠けている、けれど、どこまでも澄んでいて。

他の誰とも違う。とても、不思議な瞳。
桐山もただ静かに典子を見ているだけだった。
典子は、時間が止まった様な錯覚に陥った。

いつまでも続くように思われたその静寂は、突然破られた。

「はい、二人ともこっち向いて!」

少し冷やかした様な声。
典子ははっとして振り返った。途端にフラッシュをたかれた。

眩しさに一瞬目をつむる。

「邪魔しちゃったかな?ごめんよ」
そこに居たのは、三十代前半位の、無精髭を蓄えたカメラマン。
確か、B組のバスに同乗していた。

典子は顔を真っ赤にして、「ひどいですよ、いきなり」と小さな声で抗議した。

桐山は黙って見ているだけだった。
カメラマンは微笑して、「ごめんごめん。じゃあ、今度はちゃんと撮るから」

彼はカメラを構えて、言った。「二人ともちゃんと笑って」
典子は条件反射で、思わず笑顔になる。

「男の子の方も、ちゃんと笑ってくれよ?」
カメラマンがそう言った。典子は驚いて隣の桐山を見た。
桐山は無表情のままカメラマンの方を見ている。

「あの…桐山くん、嫌だったら、やめてもらっていいのよ?」

典子は桐山が怒っているのかもしれないと心配になり、そう聞いた。

「嫌ではない」

桐山はそう言って、典子の方を見た。
「ただ、どうやって笑えばいいのかがわからないんだ」

奇妙な答えに、典子は目を瞬かせた。

「笑うのは苦手」とか、「笑って写るのがいや」というならわかるのに。

「男の子は恥ずかしがりやなんだなあ」

カメラマンはまた冷やかした。「じゃあ、今度こそ撮るよ」
典子は微笑んだ。

桐山は変わらない無表情だった。
カシャリ、と音がして、カメラは二人の姿を収めた。



その時は何となく雰囲気に流されてしまったけれど、典子はスナップ写真が公開されるまでの間、憂鬱だった。

あんな写真、みんなに見られたら、誤解されるに決まっている。
あれから秋也とだって、結局一緒に撮る事が出来なかったのに。

桐山だって本当は迷惑だったのだろう。自分と写るのが。
後悔した。


スナップ写真が掲示板に貼りだされたのは、遠足から帰って来て三週間後の事
だった。



「よかった…」

典子は申し込み封筒を手に、一人胸を撫で下ろしていた。
桐山と一緒に写っている写真はかなり隅の方に貼られていて、余程注意しなければ見られない位置にあったのだ。

典子は幸枝たちと写った写真や、秋也が写った写真は勿論何枚か既にチェックしていたが、この写真は買おうかどうか、迷った。

けれど、典子自身は桐山と写るのは嫌ではなかった。
むしろ、嬉しかったのかもしれない。

典子は迷った末、その写真も買う事にした。



昼休みの終了を告げる鐘の音が鳴った。
掲示板の前に群がっていた生徒たちは各々の教室に入って行った。

もちろん、典子も。
誰もいなくなった。



桐山が、いつもの様に遅れて登校してきた。
掲示板の前で立ち止まる。

少しの間見ていた。
桐山は、あの日、典子と会う前は沼井たちと一緒にいた。
遠足に参加するのも悪くないと思い、来て見ようと思った。
沼井たちもそれに従った。

だが風景を描く場所を探すうち沼井たちとははぐれた。
そこで絵を描いて居るときに典子に会ったのだ。

桐山は視線を掲示板の隅に移した。

そこにあるのはあの日典子と一緒に写った写真。
桐山は暫くの間、その写真を見つめていた。



桐山と典子は、それからも何度か話す事があった。
ただ、桐山は、二年の間行われた他の行事には参加する事はなかった。

学校も、よく休んだ。

三年生に進級した。
クラス替えは行われなかった。
あれから丁度一年。クラスの絆もかなり深まって来ていた頃。

典子は秋也とも話せるようになっていた。
修学旅行行きのバスの中でも近くの席に座る事ができた。
典子は気がついた様に、自分のずっと後ろの席を見た。
特徴的なオールバックの頭が覗いていた。

今回は来たんだ、と思った。
でももうあの時みたいに、一緒に写真撮る事もないよね。

典子はそう思った。
少しだけ、寂しい気がした。



典子の予想は確かに当たった。
その後起こった出来事。
二日間の出来事。
典子は桐山と写真を撮るどころか、彼と殺しあうこととなってしまった。


全てが終わったあとの、五月二十五日。
毒ガスが散布されていた為遅れていた現場検証も終了し、三十九人の遺体はそれぞれ家に送り返された。

その中には、もちろん桐山の遺体もあった。



桐山家に仕える執事が、桐山の遺品の整理をしていた。
しかし出て来たものと言えば、
夏用の学生服と数着の衣服、学校へ一応は持って行っていた、という感じの、新品同様の教科書、それに筆記用具、数枚の外国製のコイン位だった。

桐山の生前を偲ぶ様なものは、何一つ残っていない。
無理も無かった。
桐山は不必要だと判断したものは、すぐに捨ててしまっていたからだ。

小学校の時の卒業アルバムや文集も、こちらへ引っ越して来る時に全て捨ててきた。

中学に通っていた時受け取ったものも同様である。
教師に絶賛され、「コンクールに出すべきだよ」と言われた、美術の課題の絵も、
作文も、そういったものは全て。

当然、綺麗に整頓された(というよりは、ほとんど何も載っていない)机の引き出しの中にも、何も入っては居ない様に思われた。

半ば諦めながらも、念の為執事は引き出しを開けた。

執事は目を瞬かせた。
そこには白い封筒が一枚入っていた。
品番と金額を書く欄があり、桐山の字で数字が書き込まれていた。
中身を丁寧に取り出した。

執事は僅かに目を細めた。
そこに映っていたのは…



「旦那様、和雄様の写真が、一枚だけー。どうされますか?」
「残しておくのも、後々困るだろう。和雄の棺に一緒に入れておけ」
「ですが―本当に、写真はこれしか残っていないのですよ?」
「構わん。早くしろ。」

年老いた執事は、その皺が深く刻まれた顔を哀しげに歪めて、
つい数日前まで、生きてこの屋敷で寝起きしていた少年と、ニュースに映っていた、行方不明になっているという、少年のクラスメイトだった少女が映った写真を暫くの間見つめていたが、

やがて、決心したように溜息をつき、すぐ横に置かれた真新しい
白い木の棺を振り返った。

透き通った小窓から、やはり雪の様に真白い顔が覗いている。
頭部と顔面に銃弾を受け、毒ガスの散布にさらされたにも関わらず、その顔はそれ程醜く崩れてはいなかった。

丁寧に顔と頭の傷に包帯が巻かれていた。
傷が見えなくなったその顔は、まるで眠っているかの様にも見える。

桐山の義父は、「気味が悪い」と眉を顰めたまま、息子の遺体に近づこうともしなかったが。

執事はそっと棺の蓋を開けた。
防腐剤の臭いが鼻をつく。

「どうか、安らかにお眠り下さい」



執事はそう言って、写真を桐山の顔のすぐ横の隙間に入れると、蓋を閉じて、手を合わせた。

玄関の方から、霊柩車の到着を告げる声が響いて来ていた。



その頃、典子の家では、典子の母親が典子の部屋の掃除をしていた。
今どこでどうしているのか。無事なのか。
それすらもわからないけれど。

いつか、戻って来てくれると信じて。
娘が書いた詩がたくさん出てきた。

しかし娘が書いたとも思えない素晴らしくうまい絵が一枚あったのにはすこし驚いた。

整理を続けた。

「写真は、好きな子でよかったわ。たくさん残ってる」

典子の母親の瞳から涙が零れた。
一枚の写真が目に付き、手に取った。

「…見かけない男の子ね。あの子…私の知らない間に」

笑っている典子と、笑っていない少年が写っている写真。

典子の母親は、それを大事そうにアルバムにしまった。



おわり