どうか生きて
生きていられるでしょう?
貴方の意思で喋って、考えて、行動する
そして当たり前の様に笑って、感動して、泣いて
貴方は全部出来る筈
あたしの好きだった貴方なら
でも、貴方は?
やわらかな傷跡
「今日のホームルームは修学旅行についてです」
四月も終わりに近づきかけたある日。
教卓の前にぴんと背筋を伸ばして立ったクラス委員長の内海幸枝が、良く通る声で言った。
その隣には同じくクラス委員長の元渕恭一が立っているが、こういう時、人を纏める事に長けない彼は、幸枝に頼りっぱなしで、声ひとつ発さず佇んでいるだけだった。
途端に教室は騒然となった。
無理もない。三年生になって最初の大きな行事。
楽しみにしていない者の方が珍しい。
行き先は九州。
車中一泊という少々滅茶苦茶な内容は含まれているけれど。
…車中一泊…。
頬づえを付きながら、中川典子はぼんやりと考えた。
…秋也くんと近い席になれたらいいな。
七原秋也。
彼の笑顔を想うと、ふわりと胸に温かいものが広がるのを感じる。
典子は彼が好きだった。ずっと、ずっと前から好きだった。
「では今から旅館の部屋を決めたいと思いますので、各自集まってください」
大まかな説明を黒板に書きとめると、幸枝は肩にかかるくらいの三つ編みを揺らして、
自分の席に戻った。
のろのろと元渕がその後に続いた。
「どこの部屋にするー?」
女子主流派の面々は、幸枝を中心に集まって、部屋割りの紙に名前を書き込んでいた。
典子ももちろんその中に加わっていた。
ちらりと視線を後方に居る秋也の方へと向けた。
秋也は国信慶時や三村信史たちと集まって、楽しそうに何事か話しているようだった。
ふと秋也が此方を向きー目が合った。
驚いた典子に、秋也は優しく微笑みかけた。
すぐに横を向いてしまったけれど。
ー気のせい?
もう一度秋也を見つめたが、今度は秋也の隣に居る国信と目が合った。
典子は軽く笑って、視線を外した。
そこでふと、典子は自分が別の人物を求めて視線を彷徨わせた事に気付く。
あれ―今日は。
廊下側の一番後ろの席。
そこに座っているはずの男子―桐山和雄の姿はなかった。
この所、休む事が少なくなっていたように思うのに。
以前ならば何の関わりも持たなかった彼を、典子が意識するようになったのにはわけがある。
ひとつは、桐山に―悩みを打ち明けられた事。
自分の書いた詩を読んで、彼はどこか寂しそうな顔をして言った。
「笑うことも泣くことも出来ない。出来るようになりたい」
どこからどう見ても完璧に見える桐山の意外な悩みを知り、典子はそんな桐山の手助けになってあげられたらと思った。自分が分かる事なら、何でも教えてあげたいと、そう思った。
それにもうひとつ。
典子は桐山の前で泣いてしまった事があった。
人前で泣く事を厭い、図書室に行こうとしたところを彼に呼び止められて、そこで。
自分でも不思議だった。人前で泣く事は格好悪いと思って居た。
けれど桐山の前ではー自然と泣けたのだ。下手な慰めの言葉を発することなく、あくまで静かな表情を崩さない、彼の前では。
「どうしたら泣ける?」
泣いている自分を見詰めながら彼はそんな事を聞いて来た。
「あの詩に書かれていたこと、いつか出来る様になりたい」
決意を打ち明けるように、彼は典子にそう言った。
あの日以来、典子はどこか桐山に親しみのようなものを覚え始めていた。
ー桐山くんは修学旅行来ないのかな。
来たらきっと楽しいのに。
もしかしたら笑えるようなことがあるかも知れないのに。
秋也は。
典子の好きな秋也は、桐山が出来ないと言った事はなんでも出来た。
よく笑っていて。素直に感動して。
涙を流して居る所も、一度だけ見た。
秋也の色々な表情を典子は見てきた。
それらの表情は秋也を眩しい位に魅力的にしていた。
…どうして、貴方はできないんだろう。
無表情な中にもどこか切実そうな色を含んだ、彼の端正に整った顔が典子の頭をよぎった。
出来ない筈、ないでしょう?
ずきりと、胸が痛んだ。―理由はよく分からなかった。
そんな典子の思考は、唐突に遮られた。
がらり。
少し乱暴に扉が開く音がした。一瞬だけ騒がしかった教室がしんと静まる。
典子ははっとして振り向いた。
授業の間、大方屋上にでも居たのだろう。
沼井充を先頭に、このクラスの不良集団、「桐山ファミリー」のメンバー達が、不貞腐れた表情で入って来た。
その中央に居る少年は、彼らの首領―桐山和雄。
桐山は、つと此方に視線を向けた。
他の生徒同様自分たちに注目している典子の姿を認めたらしく、ほんの少し、その形の良い眉を持ち上げた。
「桐山くん」
典子は軽く手を振って、桐山に微笑みかけた。
そんな対応が出来る様になったのも、あの日以来。桐山がそんなに怖い人でないと分かってから。
驚く充をよそに、桐山はそんな典子に無言で頷いて返した。
そのどこか不器用に見える仕草に、典子は自然と自分の表情がほころぶのを感じた。
桐山は自分の両脇で佇む充たちに構わず、すっと典子の方に足を踏み出し、近づいて来た。
典子もまた自分の席から立ち上がった。
もう桐山と向かい合って緊張する事はほとんどなくなっていた。
そう言えば、秋也と桐山は背丈が同じくらいだ。
それでも桐山の方がずっと大人びて見えるのは、彼がその艶やかな黒髪をオールバックにしている所為だろうか。
無意識に、典子は桐山と秋也とを比べてしまっていた。
「今日、修学旅行の話、したのよ」
「そうか」
嬉しそうに言った典子とは対照的に、桐山はほとんどといって良いほど表情を変えなかった。
それで典子は少し残念に思った。いくら桐山でも、修学旅行の事は気になるのではないか、そう思って持ち出した話題だったのに。
彼は我関せずといった態度で、なんの興味も持って居ない様だった。
まさかと思いつつ、尋ねた。
「桐山くん…行かないの?」
「まだ、決めていない。どっちでもいい」
「どっちでもいい」なんて、冷たい言葉だろう。
典子は悲しくなった。まるで桐山が…このクラスのこと自体、どっちでもいい、と言い捨てたような錯覚に捕らわれた。
「用はそれだけかい?」
桐山は典子が黙ったまま言葉を出せずに居ると、そう言って背を向けようとした。
典子はそれではっとして顔を上げた。
「…でも」
典子が少しどもった様な声を出したので、不思議に思ったらしく、桐山は訝しげに眉を上げて、典子を見詰めた。
典子もまた、彼をじっと見詰めた。
「でもきっと、楽しいと思う。楽しいことなら、なるべく経験したほうがいいんじゃないかしら」
桐山は僅かに目を丸くし、驚きの表情を作った。
典子自身も驚いていた。自分の口からこんな言葉が出たことに。
それでも典子はどうしても気にかかったのだ。
笑えない、とどこか寂しそうな顔で言った桐山の事が。
自分に無理強いする権利などないけれど。
修学旅行という、このクラス最後の大きな行事を、彼が楽しい思い出を作れるかも知れない機会を逃してしまうのは勿体無い事の様な気がして。
「…中川は、楽しいと思うんだな」
少しして、桐山がぽつりと言った。
感情を宿さぬ瞳に正視され、忘れかけていた緊張感を再び覚えながらも、典子は頷いた。
「うん」
「…そうか」
桐山は左手をポケットに入れた。
すぐに、出した。
どこかぎこちないその動作に典子が戸惑っていると、桐山はまた言った。
「…考えておくよ」
そうして、踵を返した。
典子はほっと溜息をついた。
何だか肩の力が抜けたような気がした。
桐山が去る時、ちゃりっと、不思議な金属音が聞こえた。
「ボス、中川に何か用だったんですか?」
桐山が自分の席に戻ると、すぐに沼井充が寄って来てそう訊いた。
「いや。特に何も」
桐山は冷たく言い放って、席についた。
しかし充はそれくらいで気分を害したりはしない。桐山が素っ気無いのはいつもの事だからだ。
むしろそうした桐山の態度にも「王の威厳」を感じていたりするのだが。
多少不思議に思いつつも、特に気に留めずいつもの様に他愛ない話を始める。
桐山は静かに聞いていた。
そこに笹川が割って入って来た。
「充、内海が俺たちに部屋どうするかだってさ。修学旅行の」
決まってないの俺たちだけらしいぜ、どうする?いくらかかったるそうな調子で話を向ける。
「ああ。そうだな。…ボス」
充は桐山のほうに視線を戻した。
充たちがどうするかは、彼らのリーダーである桐山の一存にかかっていた。
「修学旅行なんて面倒くさいっすよね」
充はそう桐山に同意を求めるように尋ねた。
きっと桐山は修学旅行なんて餓鬼のレクリエーションみたいな行事は好まないだろう、
充はそう思って聞いたのだが。
少し遅れて返って来た桐山の答えは意外なものだった。
「俺は、行くよ」
「え!?」
充も笹川も顔を見合わせた。
「そうしてみようと思ったんだ」
桐山は硝子玉の様に澄んだ瞳を、充達の居る方ではなく、もっとずっと遠くへ向けながら、言った。
その視線の先には、典子が居た。
つづく
後書き:凄く久し振りの更新。
最初のポエムっぽいのは七原の事を思った典子のものです。桐山に対してじゃないです(汗。
これから巻き込まれる出来事の予感みたいなものも混ぜたらわかりにくくなりました。
次回は桐山視点。
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