「和ちゃん、5歳のお誕生日おめでとう」
5歳の誕生日、俺は母と一緒に車に乗っていた。
その時に、母にそう言われた。
誕生日
使用人の運転する車で、ドライブを楽しんでからー、高松の市街に出て、母とデパートに入った。
レストランで昼食をとった。
クリームソーダとお子様ランチ。いつも、デパートに行くと必ず食べていた。
家の食事もおいしいけれど、今日は特別な日だから。
おもちゃ売り場に行くと、「今日は何でも好きなもの買ってあげる。和ちゃん」と言われたから、俺は夢中になっておもちゃを見た。
嬉しくて、嬉しくて、たまらなかった。
誕生日が来ると、家では毎年パーティが開かれた。
ごちそうが並んで、ろうそくの灯った大きなケーキが飾られて。
屋敷の使用人たちも、父も母も、みんなで祝福してくれた。
父はあまり家にいなかったけれど、母が傍にいてくれて、人恋しい時には抱きしめて、
お腹がすいた時にはおいしいチーズケーキを焼いてくれてー、いつも隣りで微笑んでくれていた。
だから寂しくなんてなかった。
家に帰るまで待ちきれず、車の中でおもちゃの包みを開けた。
テレビでよく宣伝していて、ずっと欲しかった車のおもちゃ。
しばらくおもちゃに夢中になっていると、母が目を細めながら、声をかけてきた。
「和ちゃん、よかった?」
「うん。ありがとうママ。すごく嬉しい」
俺がそういうと、母は俺の頬に自分の頬を寄せた。
ふわっと、花に似た、母のいい香りがした。
「和ちゃん、ママはね、和ちゃんを愛してる。生まれる前から、和ちゃんがお腹にいたときから、ずっと愛しているのよ」
「僕はママのお腹にいたの?」
「そう。ママがいて、パパがいて、それで、和ちゃんがいるのよ」
母は俺の頭をそっと撫ぜて、言った。
「和ちゃんを、パパもママも、とても愛しているわ。だから、和ちゃんが元気にこんなに大きくなってくれて、とっても嬉しいの」
母の言うことは、俺には良く分からなかったけれど。
「パパは今日お仕事で来られなかったけど、私たちが帰るころにはきっとパパも戻っているわ。みんなでケーキを食べましょう」
「うん!」
母が傍にいてくれて、俺を「アイシテ」くれていることはー。
「ママ、僕、ママのこと大好きだよ。アイシテル、よ?」
「ありがとう、和ちゃん」
きっと、とても幸せなことだった。よくはわからないが、きっと。
「和ちゃん…愛しているわ。これからもずっと、私は和ちゃんの傍にいて、和ちゃんが大きくなるのを楽しみにしてるから」
母は俺の頭を優しく撫でて、華やかな笑みを浮かべた。
俺もそれにつられて、笑った。
母が笑んでいると、俺も嬉しかった。
「ねえママ、アイシテルよ」
母はずっと、俺の傍にいてくれるのだと思っていた。
ママ。
ねえママ、どこへ行ったの?
頭の中が、真っ暗だよ。
ママ。
何だか、僕変になっちゃったみたい。でもよくわからないんだ。
ママ。
目を覚ました場所は、見覚えのない、暗い場所だった。
ピッ、ピッ、と電子音が規則的に響いてきていた。
何だか頭がとても痛かった。
ああ、
何がー起こったのだろう。
硬いベッド。
冷たい機械の音。
腕に刺さった針。
身体中がだるい。
「和雄…」
白衣の男に連れられて、俺がいる部屋に入ってきたのは、父だった。
気持ちやつれた顔をしていた。
父は倒れこむようにひざまずき、俺のほうを見た。
「良かった…和雄…本当に…」
うっすらと、父の瞳に雫が滲んでいた。
俺は頭がぼんやりとして、少しの間黙っていたがーふと、気づいて、口を開いた。
「…ねえパパ。ママはどこ?」
母の姿が見当たらなかった。
ついさっきまで一緒にいたのに。
どこにも、見当たらなかった。
父が何かの痛みに耐えるかのように顔を歪ませたのを、今でも、よく覚えている。
「和雄…ママはもう、いないんだ」
父が震える声を出した。
俺はどういう意味なのか、よくわからなくて、首を傾げた。
「和雄。ママは神様の所に行ってしまったんだ」
「……じゃあ、今度はいつ会えるの」
俺がじっと父を見詰めながら聞くと、父は俺を突然抱きしめた。
「…もう、会えないんだよ」
父の肩が震えていてー俺は父が泣いているのを、知った。
父は泣いたけれど、俺はー泣けなかった。
どうしてか、泣けなかった。
母が少しの間出かけていなかったときでさえー寂しくて、涙が出てきたのに。
その「寂しい」という気持ちすらー抱くことができなかった。ただ俺はぼんやりと涙を流す父を見ていた。
母は書斎に飾られた大きな写真の中に写り込んだ、ただそれだけの存在となった。
母のいない日が、一日、また一日と過ぎて、俺は母のいない現実を受け入れていった。
いや、ー受け入れられているのか、そうでないのか、よくわからなかったけれど、とにかく時間が過ぎていった。
父はますます家に帰らなくなり、俺はひとりで過ごす時間が増えた。
おもちゃで遊ぶ気にもならなかった。いくつかは、興味本位で壊した。
何をしても、すぐに飽きてしまった。
人と話したり、遊んだりすることもー以前なら良くやっていたような気がしたがー、
何だかどうでもよくなって、俺はいつもひとりでいた。
使用人たちは腫れ物を扱うかのように俺に接した。
俺は一人になった。
それがどうというわけではないがー、とにかく、あれをきっかけに何かが変わった。それで、一人になった。
愛してるわ、和ちゃん。
母の言った「愛している」と言う言葉の意味はよくわからないままだった。
わからないまま、大きくなった。
愛している、ずっと傍にいて俺が大きくなるのを見ているー、そう言った母は、俺の傍にいなくなった。
「愛している」という言葉の意味を、もう一度考えるようになったのはー随分と経ってからのことだった。
「ボス!」
中学に入ってからーなぜか一緒にいて「飽きない」存在に出会った。
いつも俺の傍にいて、ー微笑みかけてくる。
「…どうした、充っ…」
「あったかいコーヒー買ってきたんです。一杯どうすか」
「悪くないなっ…」
ー沼井充。
城岩中学に入学してー最初に話した男。
不良たちにやられていた充を、俺は偶然救うこととなった。
それからずっと、俺の傍にいる。
俺の傍を離れない人間がーとても珍しかったので、俺は興味を抱いた。
充から渡されたコーヒーを受け取る。今日は、とても寒い日だった。手に馴染む缶の温度は心地よかった。
温かい液体をすする。それから、それを充に渡した。
「充も、飲むといい」
「えっ…俺のことは気にしないで下さい。ボスが…」
「温まるぞっ…」
充がためらいがちにコーヒーをすするのを見てから、俺は、充の顔を覗き込んだ。
「…愛してる」
「わっ…」
充は驚いたようだった。わずかに咳き込み、目を潤ませた。
「とは、どういうことかな。…教えてくれないか」
充はいろいろなことを俺に教えてくれた。
だからきっと。…「愛している」という言葉の意味も、俺に教えてくれるだろう。
「…何すか急に…そんな」
「ただ、知りたくなったんだ」
充は俺といる時、時々困ったような顔をする。
だが、すぐに微笑んで、俺に答えを返してくれる。
充は、俺の手を取った。
そしてその手を握り締め、僅かに頬を染めて、俺を見詰めた。
「指し出がましいっすけど、俺はボスのこと…愛してる、と思ってます」
充はやけに真剣な顔をして、俺を見詰めた。ぎゅっと俺の手を握り締めながら。
「ボスが誰よりも、大切な存在だと思ってるんです。傍にいたいと、思ってます」
充はいつでもー俺の傍にいてくれた。
そして俺もー充の傍にいた。
それが、「愛している」という言葉の意味なのだろうか?
「…愛してる」
充の口からその言葉を聞いた。母以外に、俺にその言葉をくれたのはー充だけだった。
「…そういうものかっ…」
充の手を握り返す。よくはわからないが、何か、昔の感覚がよみがえるような…それが何なのかは、よくはわからない。けれど、
充に出会う以前、確かに俺が失っていた感覚。それが、よみがえるような、感じがした。
「悪くないなっ…」
今日は俺の誕生日。
母の、十回目の命日。
そのせいかどうかわからないが、ー久しぶりに、母の夢を見た。
母は微笑んでいた。写真の中と同じように。
お誕生日おめでとう、和ちゃん。
愛してるわ、和ちゃん。
だから私の分も、ちゃんと生きてね。
夢の中で母はそう言ってー優しい抱擁と、口付けをくれた。
俺は充を抱きしめて、口付けた。
充は不意打ちを喰らって、驚いたような表情を浮かべた。
「何すか、いきなりそんな…てれるっすよ」
「充。」
じっと見詰めると、充も観念したようだった。
降りてきた口唇を、今度は素直に受け止める。
冷えた口唇同士を重ね、俺と充はお互いの温かさを分け合った。
「愛している。だから、ずっと俺の傍にいてくれないかな」
どんなプレゼントを貰うよりも。
俺はそれがいい。 それだけでいい。
あなたの傍で、私はずっと見ているから。
私に愛されるよりももっと、もっと愛されて。
「…もちろんっすよ。ボスがそう思ってくれてる限り、ずっと傍にいますから!」
…幸せになってね。
母がいなくなって、俺は一度、ひとりになった。
けれど、
今は、ひとりではない。
今は充が、傍にいてくれる。
…俺の傍に。
おわり
微妙に桐沼をメインにしつつ、YC版桐山母×桐山小説。
しつこく「愛してる」が出てきますが。
同人の世界だけでも、桐山には何かを感じて、愛されて、幸せになってほしいなという気持ちをこめました。
この話では、充は桐山の誕生日を知りません。
でも桐山にとっては充と一緒にいられる時間が「特別」なので、誕生日を特に祝わなくてもどちらでも良かったのかもしれません。
YC版の桐山は、皆に愛されて、幸せだったと思いたいです。
原作の桐山より、ずっと幸せ。
感情があった過去と、母親の思い出は彼の中で特別であってほしい。
2004/11/08
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