いつからだったかはわからない。
ふと、考えることがあった。自分が生きていることに意味はあるのだろうかと。
古代の哲学者たちがそうであったように、多くの知識を得た末に行き着く先は、その疑問。
なぜ、生きている。
毎日は変わり映えなどしないのに。
ひとつふたつ呼吸をする。この呼吸が止まれば、生命活動は停止する。
そうたとえば、銃弾ひとつ受けたのならば、簡単に壊れてしまう、そんな命。
父は俺を必要とした。
多くの知識を与え、体術を学ばせた。
俺に出来ないことなどほとんどないほどに。
いや、ただひとつ、出来ないことがあったー
不必要だと父が一蹴したけれど、気になって仕方がなかったそれー。
なぜ、人は笑う?
◇ ◆ ◇
ぱしゃり、シャッターの降りる音がして、俺ははっとして目を瞑った。スタジオに立ち込めたよどんだ空気。もう何回撮りなおしたか、わからない。
カメラマンは苦笑して言った。「やっぱり表情硬いですね。このまま撮りましょうか。どうしても笑わなくちゃいけないってわけでもないんだし」
「いえ」俺は軽く顎を引いて、言った。「どうしても撮ってみたいんです。もう一度お願いします」
「そうですか。では」
まばゆく光ったレンズの前、俺は「笑顔」の真似事をした。頬の筋肉が引きつった。普段ほとんど使わない箇所だからだ。
「お疲れ様、ボス。今日もすごい戦い振りだったっすよ」
一番直近に見た笑顔―充の笑顔を、俺は真似た。
◇ ◆ ◇
五月の終わり、桐山和雄の葬儀は盛大に催された。大財閥の一子の死―しかもプログラムによる―田舎町にはセンセーショナルな出来事であったし、報道陣まで詰め掛けたが、桐山の父はそれらに圧力を掛けて鎮めさせた。
「笑っている写真が、これしか残っていなかったな」
桐山と血の繋がらない父親は一枚の写真を眺めて、そう呟いた。神戸にある有名進学校への推薦受験用の写真だった。水面下で進学はほぼ確定していた。
「あいつが―和雄が死ぬとは。今まで施してきた教育はいったい何のためだったのだ。私の期待を裏切りおって―」
涙は流さなかったし、彼は桐山の遺体に目もくれようとはしなかった。葬儀には多くの人間が参列したけれど、やはり涙を流したものはひとりもいなかった。検死を終え、戻ってきた彼の遺体は生前の美しさを失っていた。唯一彼を幼いころから担当してきた医師だけがその傷ついた体を清めた。
「和雄くん、君が死んでしまうなんてね。私にはとても信じられないよ。こんなに傷ついて戦った君が、勝てないなんて」
白い包帯の巻かれた顔をもう一度見下ろしてから、医師は空を仰いだ。
「和雄くん。頭のいい君は本当は分かっていたのかもしれないね。自分が長くは生きられないことを」
◇ ◆ ◇
―充。
コインを投げて決めようと思うんだ。賛成してくれるかな?
ここには俺と金井しかいないから、お前の言うとおりに出来ないんだ。
坂持たちと戦うか―それともこのゲームに乗るか。
どっちでも、いいだろう?
充。なぜ、泣いているんだ。
なぜ、銃を動かしたんだ。
俺はゲームに乗ることにはしたが―
お前を殺すとは、言っていないのに。
充には、まだ教えてほしいことがたくさんあるんだ。
なぜ、充は俺を必要としたんだ?なぜ、俺を必要としなくなったんだ?
わからない。俺には時々、何が正しいのか、よくわからなくなるよ。
今でも、わからないままだ。俺は、どうすればいい。どこへ、行けばいい―?
◇ ◆ ◇
中川に撃たれた瞬間、痛みよりも先に意識に昇った事があった。あの日、なぜ俺は笑顔を作ることに執着したのだろう。
ああ。俺はその顔をついに一度も充たちの前で見せたことはなかった。
笑ってみるのも、悪くないと思った。笑う充たちと同じように、俺も笑えば、あるいは充たちがいる場所に届くことが出来るような気がした。手を伸ばしても届かない、その場所に。
俺は写真と同じように、笑ってみた。…
◇ ◆ ◇
充と、彰と、黒長と、笹川がいた。
俺が殺した。
それなのに充たちは、笑っていた。
「充。何がそんなに楽しいんだ」
「だってボス。ボスが笑ってるんだもん。すげー、新鮮」
「あれは、作ったものだ。本当の笑顔ではない」
「でもボス、笑えるんだろ。すげえ、いい顔なのに。もっと笑ってよ」
「俺たちといて、楽しいって思ってくれてるんだろ?だから、一緒にいたんだろ?」
「―こうか?」
「そうそう!ああ、戻さないでよ」
◇ ◆ ◇
帰りたい場所は、きっといつでもここに在った。
きっとそれに気がついていなかっただけで。
微笑むことは、きっとこの世界で在り続けるために、必要なことなんだ。
たとえ何も感じていなくても、ここで生きていたいという気持ちがある限り、それは、偽りじゃない。
俺は、そう思う。
この世界に生まれ落ちたことは、そう、悪いことではない。
充。俺はお前たちに会えてよかった。そう、今は思っているよ―
◇ ◆ ◇
銃声が、頭の中に響いた。
◇ ◆ ◇
「桐山。お前は本当に器用なヤツだ。泣きながら、笑ってるなんてな」
彼の最後を看取った川田章吾が心の中で呟いた。目の前には哀しいほどに美しい一人の少年の、最後の笑顔と涙があった。
おわり
2006年12月23日
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