いつか自分にも、まともな恋をするときが来るのだろうか。
遊びや駆け引きなど意味を成さないくらいに、
一人の女の子に夢中になるときが。
三村信史はその日、放課後ひとりで体育館に残って自主練習に励んでいた。
大会が近い。天才ガードとして、仲間たちから並々ならぬ信頼を寄せられる身としては、他のメンバーの何倍もの練習を積んでおかなくては、と信史は勝手に思っていた。
―天才は一パーセントの才能と、九十九パーセントの努力で成り立ってるんだぜ。
どこかで聴いた言葉だが、才能があるからと言ってそこに胡坐をかいて満足するような生き方をするつもりは信史にはなかった。
汗が頬を伝い、ボールを放つ手も次第に重くなる。
百数十回目のフリースローが、パシュ、と小気味のいい音を立てネットを抜けるのを目にすると、信史はべたりと床に座り込んだ。
へたりこんだ姿を仲間に見せたことはない。だからよく、「いいよなシンジは。努力しなくてもそんなに出来て」などと言われたりする。当然だろ、と笑って返すことにしているが。
「…さて、そろそろ帰りますか」
さすがに疲労が限界に達していた。
すい、と立ち上がり、体育館を後にする。
もう少し遅くまでやっていると、小うるさい用務員がやってきて色々と面倒なことになるので、早めに退散しておくに越したことはなかった。
着替えを取りに教室に戻った。
もう陽も暮れかけている。誰もいない教室はしんと静まり返っていた。
女子に気兼ねする必要もないので、さっさと自分の楽なようにユニフォームを脱いで、着替えてしまった。そうして信史はふと、何かが足りないことに気づく。
「…そうだ」
確か生徒指導のやつにうるさく言われたから、渋々はずしておいた―。
信史は学生服の内ポケットを探った。すぐにそれは見つかった。
金色の小さな輪。―とてもとても大切なもの。信史にとって。
金色のピアス。
これの元の持ち主だった人物−父方の叔父が、信史は大好きだった。
何でも知っていて、頼りがいがあって、信史にいろいろなことを教えてくれた。
実の父親よりもずっと信史は彼に親しみを感じていた。
その叔父は、一年半ほど前に急死した。
ピアスは叔父が死ぬまでつけていた、叔父の形見だった。
そっと指で摘み、左耳にはめようとした。これがないと、どうも落ち着かない。信史の体の一部のようなものだった。
しかし耳の穴にうまくはまらずに、ピアスは突然信史の手を離れて、転げ落ちてしまった。
「−あ!」
信史は思わず声を上げた。
きん、と僅かな金属音が耳に響いた。
慌てて床に目をやる。ピアスはどこにも見当たらなかった。
―おい、冗談だろ。
信史は床に座り込んで、手探りのようにしてピアスを探した。
やはり見つからなかった。
信史は動揺した。
―どうしよう。
大切な、ものだった。
あれがなかったら、今の自分を保っていられないような。
ものすごい恐怖心と焦りが胸に生じた。
信史は必死で探し続けた。
―どれくらいそうしていたかわからない。
周りが見えないくらい無我夢中でいたから。
信史を現実に引き戻したのは、おっとりとした声だった。
「三村くん、どうしたの?」
信史ははっとして顔を上げた。
そこには女子生徒が立っていた。
肩までの黒髪に、穏やかな瞳。
「…典子さん…どうして」
「ちょっと忘れ物しちゃって」
典子は軽く笑うと、信史を見詰めて、言った。
「三村くんこそ、どうしたの?こんな遅くに何か…」
信史は一瞬恥ずかしくなった。
自分がひとつのものにこんなに執着する姿を、女子に見せるのは、何だか格好悪いことのような気がして。
でも今は、そんなことを思っている場合ではなかった。
「…無いんだ」
「―え?」
「ピアスが」
典子はびっくりしたように目を丸くして、信史を見詰めた。
「ピアスって…いつもつけてるの?」
信史はそれに頷いた。
「…さっき、落としちまって…」
声が震えた。心臓が破裂しそうに高鳴っている。
もし、このまま見つからなかったらどうしよう。
「…すっげえ大事なものなんだ」
信史は何だか頭の中がめちゃくちゃになっていた。
ピアスをくれた叔父は、信史にどんなときでも常に冷静でいろ、と言っていたけれど。
「…三村くん」
あまりに深刻そうな顔をしている信史を気の毒に思ったのか、典子は穏やかな声で言った。
「大丈夫よ。きっと、見つかるわ。だから一緒に探しましょう?」
信史の肩にそっと手を乗せて、典子は優しく微笑んだ。
「…典子さん」
信史は顔を上げて典子を見詰めた。
胸を支配していた焦燥感が、すうっと消えていって。
徐々に気持ちが落ち着いていくのを、感じた。
それから暫く、二人であたりを隈なく探した。
やがて典子が、弾んだような声を上げた。
「あったよ!三村くん」
「まじ!?」
キラリと光る輪が、典子の白い手に乗っていた。
それを典子から受け取ると、信史は大切そうに掌で包み込んだ。
「ありがとう。…ほんと助かったよ」
「どういたしまして」
頭を下げると、また典子は優しく微笑んだ。
「すごく、大切なものなのね。見つかってよかったわ」
「…ああ」
信史はピアスを、今度こそ落とさないように、注意深く耳にはめた。
「俺の好きだった女のものなんだ。彼女、もうずっと前に死んだけど」
このピアスの由来を聞いたとき、叔父はどこか遠い目で話した。
その存在が消えてしまっても、ずっとその人の事を想い続ける叔父の姿を見て、信史は考えた。
どうして、そこまでひとりの人を好きになることができるんだろう。
「俺の大切な人がくれたんだ」
信史は、ぽつりと言った。
普段だったら、こんなことを誰かに話したりはしないのに、不思議とそういう気分になって。
「…じゃあその人、幸せね。三村くんにこんなに大切にしてもらえているんだもの」
典子はなぜか、少し羨ましいとでもいうふうな様子で、言った。
「…そうかな?」
「うん。あげたものを大事にしてもらえて、嬉しくない人なんて居ないわ」
信史はその典子の言葉を聞いて、何だか心がふわりと温まるような感じがした。
思えばそんなに、一人の女の子と、心を開いて言葉を交わしたのは初めてだったかもしれない。
典子が信史にとって、特別な女の子になったきっかけだった。
その日以来ずっと典子の事が頭から離れなかった。
気がつくといつも典子の事を目で追うようになっていて。
目が合ったりすると頬が熱くなる感じがして。
全然クールじゃないな、こんなの。
そう自分を皮肉ってみたりしても、やっぱり典子の事を考えてしまって。
幾度も溜息を吐いた。
―こういうのが、本当に人を好きになるってことなのかな。
自覚するのに、そんなに時間はかからなかった。
数日してから、放課後、運良くまた典子と教室で二人きりになる時間が出来た。
「なあ、典子サン」
学生鞄を手に取り、帰ろうとしている典子に近づいて、信史は彼女を呼び止めた。
「なあに?三村くん」
「俺、典子サンのこと好きだ」
恐ろしいほど、単刀直入な物言いに、典子は目を何度も瞬かせた。
信史はバスケ部の天才ガードという表の姿とは別に、城岩中きってのプレイボーイという、いささか不名誉な肩書きも持っていた。
気になる子には、自分から積極的に近づくのは当然のこと。
そしてOKを言わせる自信も、今までの信史にはあった。
しかし、今回は。
「やだ三村くん、そんな冗談言って」
典子は信史の突然の告白にどう反応していいか分かりかねたのだろう。
無理に笑顔を作り、動揺を隠そうとしているふうだった。
そんな典子の様子に、ほんの少し胸が痛んだ。
「…やっぱさ」
じっと典子を見詰めたあと、その視線を伏せて、信史は言った。
「俺、軽い男に見えるよな。知ってる。みんな言ってるだろ。俺が何人も遊びで付き合ってるってさ」
「…そんなこと」
「いいんだ。言いたい奴には言わせておけばいいよ。でも、典子さんにだけは信じて欲しいんだ」
典子に更に近づいて、信史は一度息を吸い込んでから、声を出した。
「…本気で好きなんだ」
今までに無く、真剣な告白だった。
信史はぎゅっと心臓が締め付けられるような、苦しさを覚えた。
自分に告白してきた女の子を振ったことは幾度かある。
でも彼女たちがどんな気持ちで自分に勇気を出して告白してきたかなんて、考えたことがなかった。
―こんなにも苦しいものだったのだ。
「…三村くん」
典子の声がした。信史は垂れていた頭を上げた。
「…信じても、いいのね?」
彼女の揺れた瞳が見えて、信史は力強く頷いた。
少しの間のあと、典子は優しい声で、言った。
「…あたしでよければ」
「…まじ!?」
信史は自分でも、思い切り表情が緩むのが、わかった。
典子は頬を僅かに染めて頷いた。その顔には柔らかな笑みが浮かんでいた。
「いつか」は驚くほど早く来た。
心から大切に思える女の子と、信史は今付き合っている。
この幸せのきっかけをくれたのはー叔父のピアスの様に思えた。
―ありがとな、叔父さん。
軽くピアスを撫ぜて、信史は心の中で呟いた。
「なあ、典子」
「どうしたの?」
「今度、ピアス開けねえ?俺が全部やるから」
「え?でも…」
「校則違反とか気にしてんのか?大丈夫だよ。髪で隠しときゃいいしさ」
「…そうかしら」
「典子にすげえぴったりなピアス、この間見つけたからさ」
おわり
後書き:本館の桐リクで、乱 気流様より「三典両想い小説」でした。
これはパラレルで七原の存在がなくなってます。ごめんね秋也(汗)。
三村さんも典子さんも偽者になってしまいました…幸せな感じにはなったと思います。
何げに初三典小説…。リクありがとうございました。
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