「いつ始まるのかな、このゲームは」
「聞いてくれるかな」
「俺は、どっちでもいいと思っていたんだ」
「俺には、時々、何が正しいのかよくわからなくなるよ」
「そこで俺はコインを投げたんだ。表が出たら坂持と戦う、そしてー」
裏が出たら、このゲームに乗るとー。
五月二十三日、夕刻。
バードコールが聴こえて、桐山和雄(男子六番)は腰を上げた。
目の前の、木の枝でこしらえた山は、灰色の煙を吐き続けている。
湿った空気の中で、細々と燃える火。
二日間の間に、桐山和雄は十二人の生徒にとっての死神となった。
ある者は泣き、ある者は抵抗し、ある者は彼と目を合わせる事も無く屠られた。
彼にとって、「クラスメイトを殺害する」ことは、「ゲームを終わらせる」程度の認識しかなかった。
血にまみれた学生服も、硝煙の匂いが染み付いた手も、特に気にはならなかった。
罪悪感に苛まれることも無かった。
間もなくゲームは終焉を迎える。
残った生徒は、川田章吾(男子五番)、七原秋也(男子十五番)、中川典子(女子十五番)の三名となった。
「鳥の声が聞こえる」
杉村弘樹(男子十一番)が、死の直前に琴弾加代子(女子八番)に伝えた言葉を聞いた。
それに従って、桐山は火を焚いたのだ。七原たちは、杉村が連絡をとろうとしたものと思い込んでいるだろう。
枝で山をこしらえている最中にちょっとした邪魔が入ったのだが、問題は無かった。二日間で大分銃の扱いには慣れてきていたし、作業をほとんど中断する事無くその障害を(彼はその目で確認したわけではなかったが、それは稲田瑞穂だった)取り除き、今こうして山を完成させることができた。
時間が余ったので、何かあったときのための保険として桐山はワイア・ロープの罠も張っておいた。
敵は一人ではない。いくらかでも相手の体力を削り取る策が必要となってくる。
相手がどのように傷つくだとか、痛がるだろうだとか、そういった思いは生まれてこない。
いかに相手を倒すか、それしか頭に無かった。
ただ、相馬光子(女子十一番)を倒した後、少し時間があったので、考えたことがある。
ー「死」とはどのようなものなのだろう。
いつからだったか、そんな疑問を持った。
このプログラムに参加させられる前から。
獲得した知識の量がいくら増えようとも、明確な答えが出せない、それ。
それは多分に自分が「死」を経験していないからなのだと思う。
桐山は自分の出生にまつわる秘密を知らない。
実の父も母も、自分が生まれると間もなく死んだのだと言う。それ以外に詳しいことは何一つ知らされなかった。
桐山家の養子として、自分が選ばれた理由も知らない。
ただ周りの命令に従い、学習し、毎日を過ごしていた。
常識を超える量の知識を詰め込み、身体を鍛える「特殊教育」は、血の繋がらない「親」が桐山に対し物心つくかつかないかのうちから施してきたものだった。
中には「プログラム対策」の護身術も含まれていたが、それを受けた当時の桐山は、これから自分の身に降りかかる運命を予想だにしていなかった。
桐山和雄は、この年にして世界中のありとあらゆることを知っていた。
だが、一方で色々なことを知らなかった。理解することが出来なかった。
人間が生得的に備えている「感情」。喜怒哀楽の変化に関すること。
「感動」や「恐怖」。
「知識」としては持っていても、彼は理解する「機能」を持って居なかった。
ただ、周りの人間がころころと良く表情を変えるのを、不可解な思いで見詰めるしかなかった。
ー自分には分からない。
成長するごとに鈍化していくこめかみの奇妙な感覚。
月に数度から、年に数度へと。
その奇妙な「疼き」は彼の不自由な感情を示す僅かな名残だったのだが、このプログラムに参加した時点では限りなく無に近い状態にまで失われていた。
「感情」を排除した、非人間的な環境が、桐山が生まれる時に生じた障害を更に悪化させていた。
出生直前の「事故」。
それは桐山から多くのものを奪い取った。
十数年前。
桐山和雄の実の母は、彼を胎内に宿したまま、その特異な「事故」によって命を落としていた。
実の父は、母の後を追うかのごとく、ある複雑な事情によりこの世を去った。
命こそ取り留めたものの、頭蓋に食い込んだ破片を除去する手術は、桐山から感情を司る機能をも抉り取った。
全ては彼が物心つく前の出来事であり、全ては彼の知らないところで処理されていた。
今彼を育てているのはその両親の死に少なからず関わった人物だった。
桐山は誰からもそれを教えてもらえず、今日に至るまでそれを知らずに生きてきた。
しかしながら、桐山はある意味で城岩町でもっとも恵まれた子どもとして生活していた。
中国四国地方トップに君臨する社長の御曹司として。
彼には、望んで手に入らないものはほとんどなかった。
欲すれば、たいていのものは与えられた。留守を任された執事の言いつけに背かなければ、あとはほとんど自由気ままに過ごすことが出来た。
「親」は「特殊教育」以外の桐山の行動や心理面には全くと言って良いほど関心を示さなかったので。
不良の王になって欲しいと言う沼井充(男子十七番)の勧めに従ったのも、悪いことではないと思ったからだ。
少なくとも、無味無臭の毎日にいくらか変わった刺激を与えてくれることは確か。
それでも、決して満たされることはなかったのだけれど。
ー満たされないのは、なぜだろう。
「ボス」
沼井充が近寄って来て、微笑みかけてくる場面が浮かんだ。
記憶が再生される。
まだ三年に進級する前の出来事。他校の生徒との喧嘩で重症を負い、暫くの間学校を休んでいた充が、久しぶりに教室に姿を現した日。
「ちょっと今回はまずかった。暫く無理は出来ねえよ」
充は包帯の巻かれた頭を撫ぜて、くしゃりと顔を歪めて笑った。
充がやられたのは、他校の生徒との喧嘩の真っ最中のことだった。
相手の中に凶器を持っている者がいて、それで充の隙をつき思い切り頭に一撃を食らわせたのだ。
充は人形のように崩れ落ちた。真っ赤な血をどくどくと流しながら。
周りで笹川たちが大騒ぎしている間、桐山は倒れた充を抱き起こし、ただ冷静に「救急車を呼べ。」とだけ言い放った。
充は意識を失っていた。
「向こう側で死んだばあちゃんが手振ってんのが見えてよ」
集まってきた笹川たちも交えて、充は自分が生死の境を彷徨っていたときのことを話し始めた。
彼はいわゆる「臨死体験」というものをしたらしい。
意識を失っている間、夢の中で充は一面の花畑の真ん中に立っていたのだという。
花畑には川が一筋流れ、その向こう岸に充が幼いころ死んだ祖母が立って、「まだこちらに来てはいけない」と
叫んでいるのが見えた。それから程なくして目を覚ました。粗筋はだいたいこうだ。
「…もう暫く体験したくねえけど」
充はそう言って決まり悪そうな顔をしていた。
その充の話に桐山は何となく興味を覚え、その日の帰り図書館で何冊かの文献を読み漁った。
桐山が読んだ本の中には、似たような体験をした者の手記がいくつかあった。
花畑の向こうに、親しかった、今はもうこの世にいない人が居て、こちらに来てはいけないと言う。
そうして、目を覚ますのだと。
ーでは、本当に死ぬときは。
その者たちは拒む事無く受け入れてくれるのだろうか。
桐山の疑問は、しかし明かされることは無かった。
死者にそれを尋ねることなど出来はしないのだから。
場面は変わって、沼井充が、目の前に倒れ伏している様子が思い浮かんだ。
五月二十二日、早朝のこと。
紅い血がこんこんと拡がっていく。マシンガンから放たれた弾丸は、確実に彼の生命活動を停止させていた。
桐山は、岩の上に座ってそれを見詰めてー、それから、充の死体に近寄って、その顔を上げさせた。
「…………」
思いのほか安らかな充の死に顔を、桐山は無表情で眺めた。
暫くじっと、座って。
充は、ー今回も花畑の向こうの祖母に迎えられたのだろうか。
今度は拒まれること無く。
しかし、それも死への恐怖を和らげるために脳が見せた幻に過ぎない。
充は死への恐怖から逃れるために夢を見たのだ。
その結果がーこの表情。
「……!」
ちかっとこめかみに疼きが走り、桐山はその箇所を押さえた。
久々に生じた奇妙な感覚。
「それ」が生じるときーいつも自分は戸惑う。
どうしていいのか、良く分からなくなる。
手指の先に、充の傷口がある。そこからあふれ出す血はまだ温かく、ぬめりを帯びていた。
動かない充から、桐山は手を離す。
…もうこれ以上触れていても、意味は無い。
死んだら、それで終わりだ。
それが悲しいとも、寂しいとも思わなかった。
死者への哀れみも、共に多くの時間を共有して来た仲間たちへの同情も。
何一つ感じる事無く。
すっと腰を上げ、学生服に袖を通した。
潮風に混じり、強い死臭が鼻についた。
死は誰にでも平等に訪れる。
それが早いか遅いか。
それだけの違いに過ぎない。
四つの死骸を残し、桐山は南の端を去った。
ー俺にも、「死」は訪れるのだろうか。
車体をぶつけられ、桐山の乗ったライトバンは宙に舞い上がった。
浮遊感。そしてすぐに衝撃がやって来た。
車の中で受ける衝撃は二度目。
三村信史の仕掛けた爆弾をやり過ごした時も、随分と大きな衝撃を受けた。
ライトバンは路肩を外れて、畑に突っ込んだ。
ーもし、死ぬときが来ても、「恐怖」というものを知らない自分は、充が見たような夢を見ることは出来ないのだろう。
川田章吾がマシンガンを構え、ライトバンに銃弾の雨を降らせている間、桐山和雄は受身の態勢を取りながら、そんなことを考えた。
頭に銃弾を受けなければ、多少のダメージがあっても、動くことは出来る。
蜂の巣のように穴だらけになったライトバン。
銃声が止んだあと、ハンドルを握り、アクセルを踏むと、まだ車は動いた。
戦いは、まだ終わらない。
車を滅茶苦茶に壊されても、戦い続けた。
止まることが出来なかった。
「このゲームに乗る」そう決めたことが、身体を突き動かしていた。
きっとこの身体が動かせなくなるくらいに壊れるまで、止まることは出来ない。
夕陽が沈みかけているのが、目の端に映った。
どん、鈍い音がして、桐山は吹き飛ばされた。
身体は硬い地面に叩きつけられた。
ー防弾チョッキは、万能ではないらしい。
川田章吾のショットガンの一撃は、さすがに応えた。
腹部が焼けるように熱く、痛んだ。身を起こすのに、少々の時間を要した。
このゲームが始まってから、繰り返してきた戦闘の中、少しづつ壊れ始めた身体は、今漸く限界を迎えているようだった。
他人の痛みを認識出来ない桐山は、自分自身の身体を思いやる心も持たなかった。
三村信史の渾身の一撃は、彼に外側からは分からないダメージを与えていたし、
杉村弘樹の中学生とは思えぬ体術は、確実に桐山の肋骨を砕いた。
それも全て、桐山の表情には表れぬこと。
冷たい、能面のような顔のまま、桐山は上半身を持ち上げた。
片手には銃が握られている。すっかり油断しきった川田の背中に、その照準を合わせた。
ばん、聞きなれた音が響き、川田がゆっくりと崩れ落ちる。
視界を遮っていた川田がいなくなり、呆然と立ち尽くしている七原秋也の顔が、見えた。
その七原を撃とうと、銃口を向けた。
何かが、七原の隣りで動き、ちかっ、と光ったような気がした。
それが中川典子であると認識した、次の瞬間には熱い塊が桐山の顔を抉り、脳の奥深く食い込んでいた。
銃声は頭の中に響いた。
その瞬間は落胆も恐怖もなかった。
絶望もしなかった。元々、希望など持っては居なかったのだから。
他人に当たり前のように与えた死が、今、自分にももたらされる。
特に執着は無い。これで終わり。こういう結果も仕方ない、そう、悪くはない。
ただ、思った。
ー死ぬ、ということはこれほどに簡単なものなのか。
もう身体を動かすことも、叶わない。手から力が抜けて、握り締めていた銃が地に落ちた。
間もなく身体も後ろに傾く。
…そういえば、随分と前に、似たような経験をしたような、気がした。
頭に何かが食い込んで、ひどく痛む。
こめかみがじりっと疼く感じがした。
桐山は脳に銃弾が埋め込まれた、その状態で、事切れる寸前に、確かに目の前に広がる花畑を見た。
…おつかれさま。はやく、こっちへおいで。
花畑の、川岸の向こう、誰かが手を振っているようだったが、桐山にはそれが誰かを認識する時間が残されていなかった。
戻
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