向日葵
 
 だれがいちばんしあわせ?
 だれがいちばんかなしい?

 いったいどうしたら、おれは。


 向日葵

 
 「命には平等に価値がない」

 彼が言う。無気力な目で空を見上げながら、金色の髪をかきあげながら。

 「俺は俺を肯定する」

 狂気か無邪気か虚無か。
 彼は微笑っていた。何が可笑しいのか、いつまでもいつまでも、笑っていた。その手は紅く染まっていた。鉄錆の匂いにまみれながら、嬉しそうに笑っていた。

 「俺は誰も要らない」
 「俺以外のやつらは、みんな石ころだから。どかすだけだ」

 いつから彼が「そう」なったのかは誰も知らない。彼の過去を知るものは居ない。彼は誰にも語らない。ただ、目の前の「彼」を除いては。

 「お前は、違うのか?」

 指を指して呟く。問い掛けを受けても、「彼」は黙ったままだった。


 「お兄ちゃんは、幸せなの?」

 彼がもみじのような手で、「彼」のシャツの裾を掴んで尋ねる。あどけない瞳をくりくりと動かしながら。
 
 「彼」はじっと彼を見詰めたきり、答えようとしなかった。幼い彼は自分の問い掛けの答えが得られないことを理解した。不満げに頬を膨らませ、「彼」のシャツを離すと、勢いよく駆け出していった。

 あまり勢いをつけ過ぎたものだから、向こう側からゆっくりと歩み寄ってきた彼の腹部に、思いきりその頭をぶつけてしまった。
 
 「…………」

 黒い学生服を肩にかけ、そびえ立つようにそこに居る彼。冷たい目で、彼は「彼」をじいっと見詰めた。「彼」は自分と同じく肩まで伸ばした漆黒の髪を後ろに撫で付けている彼に視線を注いだ。彼と同じように冷たく感情の篭らない瞳で。

 「…………」

 永遠に続くかと思われたその対峙は、しかし中断された。小さな彼が、彼に抱きついたためである。彼はククッ、と首を傾げた後、自分を見上げる幼児を両手でそっと抱き上げた。

 「…ねえ、お兄ちゃん。僕たちとあのお兄ちゃんは、どっちが幸せなの?」

 抱き上げられた幼児は、無垢な瞳で彼の虚無の瞳をじっと覗き込みながら、訊いた。虚無の彼はその口を開いた。

 「…それは、オレにもわからない…」

 そっと長い睫を伏せ、彼は続けた。「ただ」

 小さな彼を抱いた大きな彼はゆっくりと歩を進めた。二人は目の前の「彼」のすぐ目の前まで来た。

 「お前には幸せだった記憶がない。オレたちには幸せだった記憶がある。だがお前は、オレたちが持っていない」

 彼は小さな彼を片手に抱え、もう一方の手を握り締め、そしてそのままー「彼」を指差した。

 「彼」は揺らぐことを知らなかったガラス球がはめこまれたような目を、僅かに丸くした。

 彼は「彼」を差していた指を戻しー自分のこめかみに当てた。それはまるで、ほつれた髪を直すかのような動作だった。

 「幸せになる希望を、持っているだろう?」

 「彼」のこめかみにとくんと疼きが走った。それはとても馴染み深いものだった。ふとしたときにそれは訪れた。幼い頃は日に何度も。

そうしたときにこめかみを擦ってしまうのが癖になっていた。

 今はー滅多に疼くことはないけれど。

 彼と同じように、「彼」は自分のこめかみに触れた。

 


 *

 「何、脳に障害が?」
 「はい」

 中国四国地方トップ企業を束ねる社長ー桐山財閥の総帥ー桐山隆裕(きりやま・たかひろ)は怪訝そうに眉をしかめた。目の前には小さな脳の断面図が示されている。白衣を着た医師はその脳の一部分を指し示しながら、言った。「感情を司る部分、左の扁桃体の一部に損傷が見られます。手術は100パーセント成功だと、あの医師は言っておりましたがー、どうやら少し違ったようですよ」

 「で?」
 「は?」
 「何か、今後に支障はあるのかね。もしそうなら、早々に処分してくれ。問題のある跡継ぎは要らないのでね。代わりはいくらでもいる

んだ」
 「……いえ……日常生活を送る上では、特に支障はないでしょう…ただ、この子は感情表現が極めて不自由な子になる恐れが…学習能力

は常人よりも発達することは見込めますが。感情を通常の子のように表現出来るようにさせるには、専門的なトレーニングとカウンセリングが不可欠になるでしょう」
 「必要ない」
 「は?」
 「教育はこちらでいくらでも施せる。感情がないだけで、この子は優秀な子どもになるのだろう?それならば問題はない。あとの傷の治療は任せるよ」


 知っている?

 赤ちゃんが生まれたときに泣くのは、この世に生まれてきた喜びを上手く表現できないからなんだって。
 
 二人の新任の看護婦が、やっと集中治療室を抜けてきたばかりの赤子を安堵の瞳で見詰めながら言った。一ヶ月前にこの子の母親は、彼をお腹に宿したまま、交通事故に遭った。たくさんの硝子の破片が妊婦に刺さってー、彼女はわが子を抱きしめることなく死んだ。以来ずっと、帝王切開で生まれてきたこの子はー生死の境を彷徨っていた。

 ーこの子は、泣かないのね。
 
 赤子は包帯の巻かれた頭ー傷ついたこめかみの辺りを、小さな手で必死にいじっていた。


 かわいそうに。せっかく生まれてきたのに。お父さんにも、お母さんにも。抱きしめてもらえないのね。

 ーでもきっと、この子は幸せよ。だって、あの桐山財閥の総帥に引き取ってもらえるんだもの。

 三日ほど前に、彼の父親は原因不明の変死を遂げていた。犯人は未だに見つかっていない。父親は彼の手術の成功を知って、喜んでいた

矢先のことだった。彼の父親を殺した男は、新しく彼の父親になった人物から多額の褒章金を貰って姿を眩ませていた。

 ーそれもそうよね。


 **


 前夜十分に睡眠を取っていたから、眠くはならなかった。夜闇に包まれた城岩町をバスの窓越しに眺めていた。
 特に何の感慨も沸かない。中学を卒業したら、県外の有名進学校へ通うよう義父に言われている。
 そうしたら、この町を離れることになるのだろうけれど。

 ー逆らう理由はなかった。
 今までずっと、父の言うとおりにして、英才教育を受け、戦闘訓練を続けてきた。それで傷つくことがあっても、学校を休むことがあっ

ても、従っていた。逆らう理由がなかったから。

 けれどー従う理由もない。

 そのことに気がついたのは、ごく最近のことだろうと思う。

 「ボス、寒くない?」
 「ああ」

 充が身を乗り出して尋ねてくる。いつも、充は自分を気遣っていた。寒いときはー風邪引かないように、あったかくして寝ろよ、ボスー

、暑いときはー、ちゃんと水分取らなくちゃな、そう言って自販機で買った茶を差し出した。そうした健康管理については自分で心がけることで、人に気遣われるものではないー、充に会うまでは、そう思っていた。充はまるで自分の母親みたいに世話を焼いてきた。母親が居たことがないからー、よくわからないけれど。

 「楽しみだな」
 「?」
 「ボスとどっか泊まり行くの、初めてじゃん。…当たり前か」
 
 充は普段、あんまり喋らない。それに気がついたのも最近のことかもしれない。赤松に当り散らす笹川をたしなめたりー、自分を「桐山くん」と呼ぶ月岡に噛み付いたり、落ち込みがちな黒長をフォローしたりする以外に、クラスメイトと話している姿を見たことがなかった。ただ、金井泉に話しかけられてぶっきらぼうにしている姿は何度か見かけた。

 しかしどれも、自分に見せる顔とは、違うものだ。…よくはわからないけれど、きっと。
 充はよく話しかけてきた。それを自分は黙って聞いている。それだけでいいんだ、充ははにかみながら言った。

 「彼女と初めてお泊りみたいなこと言うなよなー。充キモいー」
 「うっせえ!黙れ!」
 
 横から笹川が茶々を入れてくる。笹川は自分に充が話しかけるのが気に食わないらしい。はっきりそう言ったわけではないけれど。充はそれに気がついているだろうか。

 黒長は笹川の隣で、にこにことスナック菓子を頬張っていた。
 黒長は、あまり自己主張をせず、消極的だけれど、いつも自分に差し入れを進んで買ってくる。笹川や月岡に頼まれるときは仏頂面をしているけれど、自分に対するときは少し違うー、それにも最近気がついた。

 月岡は熱っぽい視線をある方向に向けていた。その視線を追うと、三村信史に行き着いた。同性に恋愛感情を抱く彼の気持ちは、自分にはよくわからないけれどー否定する気持ちもなかった。月岡には月岡の考えがあるのだろうと思った。

 …考え、か。

 改めて外の風景に目をやった。今はほとんど何も見えなかった。高速に入ったようだ。
 ただそこには闇が広がるだけ。

 何も無い、空間。
 空白。虚無。

 自分に相応しい言葉なのかも知れない。

 充たちのように、自分には何かを決める「意志」というものが存在していないように思われた。

 「強さが全て」そう誇り高く言う充にも。
 「今が楽しきゃいい」そう笑って言う笹川にも。
 「ボスたちについて行ければそれでいいよ」はにかむ黒長にも。
 「アタシは乙女として生きるのよ」目を輝かせて微笑む月岡にも。

 俺はなれない。…俺は一体、どうすればいい?

 彼らは卒業した後、…いずれは自分と離れるときが来る。遅かれ早かれ、そうなる。
 しかし問題は無い。彼らは彼らの生活に適応していくだけだ。きっと彼らは彼らの幸せを求めて生きる。

 …幸せ。

 …俺にとっての幸せとは一体なんだろう。

 目指すべき方向がわからなかった。

 どう生きればいいかも。

 何が正しいのかも、よくわからなかった。

 ああ。…俺はいつも。そうやって、生きていた。

 
 ***

 今回もそう。
 修学旅行を経験してみるのも悪くは無いのではないか…そう考えたから。その自分の気まぐれに充は賛成した。笹川たちも乗ってきた。

それはよく理解できないことだ。充たちが自分についてくる理由がよくわからない。

 警察に手を回せるから?
 盗みの計画を立てられるから?
 喧嘩で相手を打ち負かせることが、できるから?

 家で求められることは、教育を受け、それに対する成果を出すことだけだった。実に単純でわかりやすい。だが、充たちのことはよく理解できない。
 自分を利用するだけでなくー傍にいる、充たちのことが。

 理解できない。
 理解できないからー、いつか、彼らがその自分に求めている「何か」を、自分が失くしたとき、知らないうちに彼らは自分から離れていくのだろう。

 …………

 ずきんとこめかみが疼いた。

 充たちを見やる。妙に静かだと思ったら、いつのまにかみんな寝ていた。

 …………

 …その「いつか」は、いつ来るのかな?
 こめかみを触りながら、目を閉じた。

 …自分も何だか、眠くなってきたのだ。

 
 ****

 
 暗闇の中に、三人の人影が見える。

 ひとりは金髪にフラッパーパーマをかけた、無気力そうな男。
 もうひとりは、とても小さなー、四・五歳くらいと見える男の子。
 最後のひとりは、細身で長身の、オールバックの男。

 彼らは黙ってそこに佇みーこちらを見ていた。

 「お兄ちゃんは、幸せ?」

 幼児が高い声を張り上げた。

 「まだ、わからない」

 
 …「いつか」
 「理解出来たら」
 
 答えを返そうと、口を開いた。そこで目が覚めた。
 目の前には、ずらりと並んだークラスメイトたちの突っ伏す姿が映っていた。


 おわり


 ひまわりの花言葉:
 崇拝、敬慕、愛慕、憧れ
 あなたを見つめる、あなたはすばらしい
 高慢、光輝

 

 
2005/08/20

サイト3周年記念で。冒頭に出てくるのは映画・漫画版五歳児・漫画版の桐山です。
「俺には時々、何が正しいのか、よくわからなくなるよ」

桐山にはこれくらい、「わからない」なりに考えていて欲しい。「何も無い」ボスは悲しすぎるから。