答えの出ない問いを、いつも置き去りにしたまま過ごしていた。
きっと。答えなんて、いらなかった。
No more words
その日の桐山はいつにも増して静かだった。
放課後、屋上に来てから、充が話しかけるまで一言も言葉を発しなかった。
充は桐山が眠っているのか起きているのか確かめようとして、彼の顔を覗き込んだ。
長い睫に縁取られた彼の目は開いていた。漆黒の瞳がぎょろりと動いたのを見て、どきりとする。
「何だ」
「いや…別に」
「そうか」
桐山はただ壁に寄りかかって空を見上げている。光の加減で、時折彼の端正に整った顔に憂いのようなものが差した。
空には雲ひとつない。見ていて面白いものなど何もない。
飽きないのだろうかと思う。自分だったらすぐに飽きてしまう。
もしかすると彼はー、空を見ているようでまったく別のことを考えているのかもしれない。
きっとそうだ。きっと、また自分にはわからないような難しいことを考えているのだ。
ひとりで納得した。
ほんと、ボスはすげえよな。…それに比べてこいつらときたら。
呆れた顔で自分の傍らに目をやる。
笹川と黒長は先ほどから馬鹿な話に興じている。クラスの誰が一番胸が大きいだろうとか、低レベルな論争にもう何分時間をかけていることだろう。月岡はのんびりと本を読んでいる。最近恋愛詩集に凝っているらしい。ふだんうるさいだけに、気味が悪い。
無意味な時間だ。いつもの日常と変わらない。テスト一週間前だというのに皆一向に勉強しようとしない。
クラスのやつらは今頃家で必死になっているだろうに。
テストが終われば、「楽しい」修学旅行が待っている。自分はそういったガキみたいなレクリエーションを楽しみにするようなたちではなかったけれど。
―それは、ここにいるほかの四人も同じことだろう。ああ、月岡だけは「三村君がお風呂に入るのを見るのが楽しみだわ」などと気色悪いことを抜かしていた。
桐山はどうだろう。
彼も充たちと同じくテストへの危機感からは無縁のところにいるようだった。
ただし、自分たちとは違って彼は勉強などしなくとも、びっくりするくらい優秀だ。ちょくちょく学校を休んで、授業中も目を開けたま
ま寝ていて(傍から見ると何とも奇妙な様子だ)、それでいて学年トップの成績を取る。
テスト期間に限らず必死に勉強しているのに、学年二位に甘んじているクラスメイトの元渕恭一が、答案を受け取る彼をうらめしそうに見ているのを、何度も目撃した。桐山本人はまったく気にしてはいないようだったが。
―彼に悩みなんてあるんだろうか。
充も、時折自分の将来に漠然とした不安を持つことくらいはある。成績表は見たくもないけれど、温厚な担任との二者面談のときに「高校くらいは行くだろ?沼井」苦笑して言われたときに返答に困った。
桐山とは一緒の高校に行けないだろう。それくらいはわかっていた。彼の頭脳を持ってすれば、どんな高校でも合格するだろう。
きっと親の勧めか何かで頭のいい私立の高校にでも行くのだ。直接聞いたわけではないが、たぶん、そうだろう。彼に将来の不安要素などない。
「ボスって…いつも何考えてるんだ?」
桐山の隣に座って、尋ねてみた。返答はすぐに返って来た。
「特に何も」
「…俺も何も考えてねー…」
そう口に出して、桐山の寄りかかっている壁に、自分も寄りかかった。彼をちらりと見る。桐山は相変わらず静かに壁に寄りかかっていた。
平和だった。そういえば最近他校のやつらとの喧嘩もとんとご無沙汰だ。連中も案外真面目に家にこもって勉強しているのか。
将来の事に悩まされたくなんてない。
こうして五人でいられるこの時間が、いつまでも続けばいいのに、充はよくそんなことを考える。現実逃避している自分がたまに馬鹿らしくなるけれど。
「…あぁ。…少し、考えていたかもしれない」
桐山が、突然思い出したように言った。
「え?何?」
身を乗り出して尋ねると、桐山はまじまじと充を見つめながら、訊いた。
「お前たちはどうして、俺の傍にいるのかな?」
「…え?」
「時々、よくわからなくなるよ」
桐山が表情を変えないので彼の考えが読めない。
充は目をしばたいた。
桐山は時々、意味のわからない質問を自分に投げかけてくる。
「どうして、あいつは泣いているんだ?」
「どうして、あいつは怒ったんだ?」
「どうして、人を好きになったりするんだ?」
そんなこと、考えたこともない。
自然に、わかるものではないか?
桐山は不思議な男だ、もう傍にいて三年目になるのに未だにそう思う。掴み所がない。
何でも知っているようで、びっくりするくらい何も知らないようにも見える。
彼が質問を投げかけてきたときには、いつもきちんと答えを返すことにしているが。
「なぜ、桐山のそばにいるのか」
返答に窮してしまう、ボスがすごいから、尊敬しているから、考えていることはあってもいざ口に出すとなると難しい。
だが桐山のほうは大真面目なようで、じっと充の答えを待っている。
しばらく時間を取ってから、答えた。自分の頭ではこれが限界、という答え。
「…俺が、ボスの傍にいたいから、じゃないかな?」
充はそう言ってから、笹川たちのほうを振り向いた。
「お前らは何でボスの傍にいんの?」
馬鹿三人組は、きょとんとした様子で顔を見合わせる。こいつらがそんなこと考えてボスの傍にいるわけねえよな、そう思いつつも、聞
いてみる。桐山もきっと、彼らからの答えを聞いたほうが納得するだろうと思うから。
「えっ…それマジで聞いてるの?」
「ボスのこと愛しちゃってますから、ね、充さん」
「…てめえ、ボスが聞いてるんだから、ふざけねぇで答えろよ」
茶化す笹川に凄んで見せても、彼はニカッと笑ってかわすだけである。黒長は黒長で真剣な顔をして考え込み、月岡はマスカラを塗った睫をぱちぱちと上下した。
***
結局三人は、ありきたりなことしか言わなかった。
「落ち着くんだよなー、なんか」
「あー、きっとそれだなぁ。俺は、そうだよ」
「ボスといると安心する」
「桐山くん観てると面白いのよねえ。特に、充ちゃんとのやりとりは見てて飽きないわ」
「………」
桐山は三人をじっと見詰めただけで、何も言わなかった。ただ、こんなんでいいかな?と尋ねた充に黙ったまま頷いた。
そのあと彼は、ほつれたオールバックを直そうとするように、こめかみあたりをしきりに触った。
その表情はいつもと変わらないが、彼の行動がいつになく神経質になっているように思えた。
見かねた充は桐山の傍に寄って、声をかけた。
「何?…俺が直そうか、ボス」
「いや。…」
桐山はこめかみをいじるのをやめようとしなかった。
***
それから適当に時間を過ごした後、帰りは五人でファミレスに寄って時間を潰した。
屋上で過ごすのとほとんど変わらない。他愛ない会話に花を咲かせる。
テストのことなんてどうでもいい。修学旅行もどうでもいい。高校もどうでもいい。いつか、考えなければいけないときは来てもー、今、こうして過ごす時間を、大切にしていたい。傍にいられるこの時間を。
そんなことを思っている連中だった。笹川も、黒長も、月岡も、…自分も。
…桐山もきっと。
どうして、そばにいる?
そんなこと、疑問に思ったことなんてなかった。
傍にいたいからいる。それだけのことだ。桐山が拒まない限り、充は桐山と一緒にいるつもりだった。それを疑いもしなかった。
願わくば、いずれ進路が分かれてしまっても…桐山には「王」でいて欲しくて。自分はその「参謀」でありたくて。
…照れくさくて、言えないけれど。ずっと「傍にいて欲しい」だなんて。
「尊敬しているから」
「ボスがすごいやつだから」
「いろいろなことを教えて、彼に王になってほしいから」
「彼といると安心できるから」
理由をいちいちつけるよりも、簡単だ。―桐山の傍に、いたいのだ。
***
「じゃあな、ボス」
ファミレスを出るころにはすっかり日が暮れかけていた。こうして卒業までの日々を消化していく。それは何だか寂しいことのように思
えた。
桐山の住む高級住宅街と、充たちの住む町を隔てる大通りの前で、充は彼に軽く手を振った。
「ボス、また明日な」
「…ああ」
桐山はいつもと変わらぬ無表情で返した。
彼が来たら、…いつもと変わらない、でも、とても大切な日になる。卒業するその日まで、彼がなるべく休まないで来てくれることを充は願った。
***
オレンジ色の射光線の中、
去って行く充たち四人の後姿を見つめながら、桐山は左こめかみに指を当てた。
…………
いつも、考えている。
俺はなぜ、お前たちのそばにいるんだろう。
答えが、出ないんだ。
それでも、…気がつくと傍にいるのが、当たり前になっている。
どうして、どうして。
俺には、時々、よくわからなくなるよ。
おわり
2006年7月20日
後書き:
桐山にとって四人の存在は、とても不思議で、理解不能で、でもこころのどこかでかけがえのないものだったと思います。
たとえ自覚できなくとも。
ちゃんと卒業できていても、彼には充たちの「ボス」であってほしかったな。
タイトルは浜崎あゆみの「No more words」より。
戻
|
|