柔らかい春の日差しがゆっくりと差し込んでくる頃。
四月の進級から一ヵ月、漸くクラスメイトたちも新しい生活に慣れてきた五月の頃。
美術の授業で課題が出された。
題材は「家族」。
沼井充は露骨に嫌な顔をした。勉強で得意といえるものはほぼなかったが、特に美術や音楽なんて大嫌いな部類のものだった。
一度「似顔絵」という課題を出されて出席番号が同じ野田聡美の肖像を描いた事があったが、少年漫画に慣れ親しんでいる充が描いたごつごつとした絵柄に彼女はたいそうご立腹で、そのボストンタイプのメガネをくいっと引き上げた後、「あたし、こんなごつい顔してる?」嫌味たっぷりに言われてしまった。(だがしかし、彼女自身も絵は得意分野ではないらしく、実物とだいぶかけ離れた肖像を渡された)
しかも「家族」という題材が何とも気に食わなかった。充の家族は飲んだくれの父親が一人と、すっかりやつれた母親が一人。どちらとも、飾られでもしたら良い晒し者だ。
「…フケるか」
ぽつりと呟いた。成績にはかなり響くだろうが、罪悪感はなかった。美術なんて出来なくたって将来何の支障がある?何もない。
同じように嫌な顔をしている笹川や黒長を見て「こいつらの家族も描くのは難しいだろうな」と考え、目の健康によろしくない月岡の父親(彼、彼女と呼ぶべきか、も息子と同じくオカマだった)も正直見たくないと思った。
ただ、自分の斜め後ろに座っている「桐山和雄」の家族には正直興味があった。
―そういえば、ボスの家一度も入れてもらったことねー…
帰りが遅くなったときなど、桐山を家のそばまで送っていくことはあったが、いつもその家の手前の交差点で「ここでいい。充」と制され、それ以上先に近寄らせない雰囲気を彼は醸し出していた。
一度桐山に内緒で彼の家の傍まで行った事がある。(ストーカーみたいだとか、そういうことは言われたくない。ただ単に好奇心に勝てなかっただけで)
重々しい門の向こうに見えた桐山の家は、西洋風の作りで(多分大東亜ではあまり見かけない)広い庭によく手入れされた庭木が配され、充みたいな最底辺の人間には到底縁のないような代物で、ほんのわずか切なくなったりした。桐山がここでどのような生活をしているのかを窺い知ることも不可能だった。
きっと召使いとかいっぱいいて、執事が居て、ボスはいつもシェフが作った料理を食って…
…って俺一体何考えてんだよ!
充は自分で自分の頭をどついた。
桐山の家族はどんな人たちなのだろう。
端正に整った彼の顔を見つめると、その両親もきっと美しく上流家庭に相応しい上品な人たちなのだろうと思う。
その前にボス、また絵捨てちゃわねえだろうな…
実物の三割り増しで美しく描かれた北野雪子の絵を、彼女には見えないところで桐山はくずかごにつっこんでいた。
何だかもやもやとしたものを胸に抱えながら、充はしかし自分は絶対この課題を提出しないと決めたのだった。
「家族」
桐山和雄はその課題を出されたとき、少し、よくわからなくなった。
家族は誰か、と問われれば血のつながらない義父の存在を頭に思い浮かべる。最近では出張が多く、滅多に家で顔を合わせる事はないが。彼は自分にとって絶対的な存在であり、支配者であった。彼の姿を絵にすることはたやすいが、家庭のことは一切外に漏らすなと厳命されているので、今回の課題に用いるには難しいように思われた。
「………」
桐山はしばし思考に没頭した。こういうとき、彼は少しだけ眉をしかめる癖があった。
考えた末、桐山はある結論に至った。これで美術の課題の提出期限を守れないこともないと思った。
***
「ボス。…」
「どうした、充」
提出日から一週間後のこと。
壁に飾られた絵を見て、充は言葉を失った。
「そりゃ、課題は“家族”だったけどさ…」
そこには、口元にほのかに笑みを浮かべた充と、ふざけあっている笹川と黒長、それをうっとりとしたまなざしで見つめる月岡の姿が、まるで写真に写したかのように鮮明に描かれていた。
「ボスにとっては、…俺たちが家族ってこと?」
桐山は何も答えなかった。
「最優秀賞」と書かれた札が貼り付けられたその絵を、桐山は展示が済んで手元に返りしだいまたくずかごにつっこんでしまうのかもしれない。
充は彼に言おうと思った。「頼むから捨てないでくれ」と。
けれどそれを口に出すことは出来なかった。代わりに口をついて出た言葉は「あーあ、俺もこんなことならボスたちの絵、描いておくんだった」
確実に今学期の成績は「1」をもらうはめになるだろう。けれどそれもどうでもいいような気がした。
ある意味、期待を裏切られて。ある意味、期待以上のものを、彼は見せてくれて。
「…そうか」
桐山がそう一言言ってスタスタと歩き出したので、充は慌ててその後を追った。
「―ボス!」
「何だ?」
「…その、…アリガト、な」
「…別に、礼を言われるようなことはしていないが?」
桐山は僅かに首を傾げると、また歩き出した。充はもう一度彼の描いた絵を振り返った。
日常の一風景が見事に映し出されたその絵の中に、充は誰よりも不思議で掴み所のない、しかしかけがえの無い存在である「彼」の姿を描き加えたいと思った。
彼のように上手く絵の描けない自分には、到底無理な話だけれど。
おわり
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