笑顔の理由

 ボスは俺たちの前で、一度だって笑顔を見せたことがなかった。

そのことに気がついたのは、だいぶあとになってからだ。
ボスの周りにはいつも笑顔があったからだ。

「あらやだ博くん、ヴァージニアメンソール買ってきてって言ったじゃないのよ、これ、ロゼじゃないの」
「だ、だってピンクだからさ…ヅキが好きそうかなって思って」
「お前ら気色悪い会話やめろ。な?」

充、笹川が呼ぶ声がした。
おう、と答えて腰を上げる。隣に座ったボスを揺り動かした。

「ボス―――」

そこで俺は思わず、固まったのだ。

「どうしたの充ちゃん」

「シッ」

月岡に目くばせすると、月岡はあらあ、と声を上げた。

「桐山くんたら…幸せそうな顔して…まるで笑ってるみたい」
「……何か新しいな、こういうの」
「…かわいい、かも」

ボスは春の陽気の下、眠っていた。
まるで、子どもみたいにあどけない顔。

その口元に、本当に少しだけだけど、綻んだように笑みの形が見えた。


「…暫く、起こさないでおこうか」
「そうね、もったいないもの」
「次の授業、フケるか」
「…まあいいか」

ボスは紅い夕陽が西の空に沈むまで起きなかった。





「ボス、どんな夢、観てたんだ。すげえ幸せそうだったけど」
「…よく覚えていないな」

ボスは髪をさっとかきあげてから、目を伏せた。

「ただそう…充たちがいたことは、覚えている。…幸せ、だったのかはよくわからないが」

こめかみを撫でさすりながら、ボスはまだ眠たそうだった。
帰ろうぜ、俺はボスの背中に手をやりながら言った。
 おわり


 2008年4月29日