最後の選択

ばしゃん。

雨でぐしゃぐしゃにぬかるんだ地面に、髪の長い少女が仰向けに倒れた。
弾丸に穿たれたその顔はもはや原型を留めていない。
紅い液体が少女の身体を伝っていく。

少女が動かないと知ると、桐山和雄は手にしたマシンガンの銃口を下ろした。

桐山の額をつうっと雨水が伝った。
銃を手にしていない片手でそれを拭おうとしたが間に合わず、雫は桐山の目に入ってしまった。
僅かに沁みた。

目を軽く擦り、足元に転がる三人の死体を見下ろした。
男が一人。女が二人。
男は先程灯台で遭遇し死闘を繰り広げた杉村弘樹だった。
なかなかに手強い相手だった。―もう一度、闘う事になるかとも思って居たのだが。

どうして、生きようとする?

どうして、生きていたいと思う?

ぱしゃん。

足を踏み出すたびに雨水が跳ね返った。
俺にはわからない。ずっと、ずっと、わからない。

ぱしゃん。
雨は桐山の頬を伝って流れていく。
遠目には桐山が涙を流しているように見えたかもしれない。

けれど、それは違っていた。
雨水は雨水。
桐山の双眸から涙が流れる事は決して無かった。

足元はひどくぬかるんでいた。

南の端の光景を思い出す。
最初の殺戮。

金井泉の細い首を掻き切って、彼女の身体が血液と共に生命を失ってしまうのを間近に見た。
ナイフで切られた後の人の身体について知る事が出来た。
黒長も笹川も同じ方法で殺した。
非力な金井より多少殺すのに手間がかかったが、やはり結果は同じだった。
簡単に、死ぬ。簡単に、壊れる。
人というものは。

そして―充。

ざぶんと押し寄せる波の音を思い出した。
潮の匂いに混じって鼻をついた、錆びた鉄の匂いを、今でも鮮明に覚えている。

信頼しきった顔で充は駆け寄ってきた。
ああ、それは黒長も笹川も、同じだった。
足元に転がる屍を目にするまでは。

充はまだ自分を信じようとしているようだった。

どっちでも良かったのだと言ったら、ひどく驚いていた。
何も今更驚く程の事でもないだろう?

俺はずっと、そうやって決めてきた。
選ぶ基準が無かったのだ―俺には。
何が正しいのか、俺には良くわからない。
どっちでも良いと思っていたんだー俺は。
だから、お前達を殺して、ゲームに優勝してみるのも悪くない。

マシンガンの引き金を引いたのは、充の表情に変化が見られた、それとほぼ同時の事。
たくさんの銃弾が充の身体を壊して行った。
全ての弾を撃ち終えた後、充の身体に触れてみた。
銃弾が入った後の人間の身体に興味があったのだ。

弾に抉られて穴だらけになった充の身体。
もう、生きては―居ない。

ちりっとこめかみに痺れる様な疼きを覚えた。
久々に感じた。
そっとそこに触れた。

もう一度充の死骸を見詰めた。
ちりっともう一度疼いた。

充の頬は血で濡れていた。
虚ろな瞳からも何か流れ出ていた。
…これは?

充の目元を伝う透明な液体に触れてみる。
血液とは違うようだ。
これは―涙。

指を濡らしたそれを、桐山はまだ流したことが無かった。
知識では、とうの昔に知っていたというのに。




冷静に三つの死体から銃を拾い上げる。
死者への哀れみなど微塵も感じなかった。
頭の中ではもう次の戦いに向かう事を考えていた。

しかし―ふと目に止まったものがあった。
琴弾加代子の目元に溜まったもの。
充と―同じもの。

涙。

雨に混じれば同じ物。
同じ透明な液体。
それを流す時、人は―どんな気持ちになるのだろうか。
わからない。俺には。

生きようとする気持ちも。
涙を流す気持ちも。
他にもきっと、色々と。
俺には、わからない事だらけだよ。

理解し難い人間。
脆く壊れやすい人間達。
自分もそんな人間の一人に過ぎない。その筈なのに。
一体どこで―間違えたのだろうか?

冷たい雨が学生服に染み込んで行く。
寒気を感じながら、足を踏み出した。
何だか身体が重くなった様な気がした。

俺でも、壊れる事はあるんだろうか。


夕陽が西の空に傾きかける時刻。
雨上がりの、茜色の空の下。
桐山和雄は四肢を投げ出し、仰向けに倒れていた。
黒い学生服には無数の弾が食い込んだ跡。

たくさんたくさん撃たれた。

特殊教育の中、そんな訓練は飽きるほど受けて来た。
それを続けていくうち、次第に「痛む」という感覚を忘れていった。

桐山はそっと瞬きをした。
紅い光に目が眩んだ。

身を起こそうとして初めて、桐山は自分の身体の異常に気付いた。
喉から熱い何かがこみ上げて来る。
堪えきれなくなってごほっとそれを吐き出した。
それが何なのか、
少し理解するのに時間がかかった。

―血、

錆びた鉄の匂いがした。
人が壊れる時に、流すもの。

―俺の中にも、流れていたのだ。
ずきずきと腹が痛んだ。
痛むという感覚。
随分と久し振りに思い出したような気がした。

撃たれた箇所が熱を持って疼いている。
全身に倦怠感を覚えた。
―気がつかないうちに、随分と傷ついていたのかも知れない。
これは身体が警告を発している証だ。
早く―終わらせなくては。

すっと身を起こした。
またずきりと腹に強い痛みが走ったが、桐山は表情を変えなかった。
腕を持ち上げ、引き金を引く。

渇いた銃声が響き、前方で川田章吾の身体がゆっくりと崩折れるのが、見えた。
もう何度も目にしてきた光景。
それも、あともう少し。

何が起こったのか分からないとでも言うような顔で此方を見ている、七原の方へと銃口を
動かした。
彼は抵抗する術を持たない。
撃ち殺すのは造作も無い事だった。

あと、二人。

桐山に迷いは無かった―筈だった。
その時、
七原のすぐ隣、
視界の隅で動くものがあった。
目を凝らして見てみる。
今やたった一人生き残っている女子―中川典子だった。

ふと、考えた。

殺される時、人はどんな気持ちになるのだろうか。

中川典子の腕がゆっくりと持ち上がった。
彼女の手には拳銃が握られていた。

戦力とみなしていなかった彼女も、その銃で自分を撃つのだろうか。
思った。
―撃たれてみるのも悪くない。


この機会を逃したら、撃たれてみるという経験はもう二度と出来ないだろう。
撃たれる事。
堅い銃弾を受けて―生命活動を停止する事。
―死。
数十年後には確実にやってくるであろうそれ。

死んでみるのも悪くないと思った。
興味が沸いた。
殺されてみなければ殺される者の気持ちは分からない。

殺されてみるのも、悪くない。

他にも色々と知りたい事はあった。

死んでしまえば、もうそれらを理解する機会は永遠に訪れない。
だがもうどうでも良いと思った。

理解できるという確証も無い。
それに、理解できたとして、一体それが何になるというのだ?

どっちでも良いと思った。
ここで死ぬのも―数十年後に死ぬのも。

コインを投げたいと思ったが生憎そんな猶予は無さそうだった。
真っ直ぐに前方を見詰める。
夕陽が眩しくて、桐山は少しだけ目を細めた。

中川典子が引き金に力を篭めるのが分かった。








血を流している。
先程とは比べ物にならないほどの量の血が、傷口から流れ出ている。
意識は既に朦朧とし始めていたが、痛覚だけはくっきりと生きていた。


身体が最後の悲鳴を上げている。
壊れてしまうのだと。

銃弾が一つ入っただけで、簡単に壊れてしまう人間。
俺も壊れる。簡単に、壊れる。


充の亡骸に触れた時の事を思い出した。
銃弾が入った後の人間の身体。
冷たかった。とても、とても。

俺の身体も冷えていく。


俺も―同じだった。

他の人間と同じ様に壊れて、そして冷えていく。

―それならば、俺も。
俺も涙を流すのだろうか。

もう少し。
もう少し、生きていたならば。

桐山は目を細めた。
瞳に映る風景がほんの僅かではあるが、歪んで見えた。

ゆっくりと目前に闇が広がっていく。
僅かに映り込んだ夕陽は血の様に紅く燃えて―そして、消えた。


おわり


後書き:
感情の無い桐山。執着の無い桐山。カップリング妄想抜きの桐山を考えて書いて見たんですが撃沈。
でも私は本当に桐山の中に何も無いとは思ってないので。
桐山は周りと自分が違うって事を少なからず気にしていたんじゃないかなと深読み。

最後は無理矢理泣かせてしまいました。わかりにくいけど。
彼が無意識でも涙流したのは悲しいって気持ちからじゃなくて、きっと嬉しかったから。
皆と同じだった。よかった、みたいな。
妄想です。失礼しました。