強く儚いものたち


 気がつくとそこは、果てしなく広がる闇の中だった。

 すぐ傍で自分に呼びかけていた二人の姿はどこにも見当たらない。
 少なくともここは船の上じゃない、な。

 辺りを見回す。
 苦笑する。
 ああ、やはり俺は。

 川田章吾は自分のボタンの弾けた学生服をちらっと見て、大きく溜息をついた。
痛みを全く感じない。しかし体の傷は残っている。
 そして誰も居ない。今まで居た場所とは打って変わって、殺風景。
 
 …「死ぬ」って言うのは、こう言う事か。

 不思議とその事実を受け入れるのに抵抗が無かったのは、自分がこの年にしてはあまりにたくさんの「それ」を目前に見てきたこと―、そして既に「それ」を迎える覚悟を決めていたからなのだと思う。
 ―よく、持ったほうだな。

 体中に鉛の弾で抉られた痕跡があった。
 容赦なくやったな。あいつも。まあ、もう言っても仕方ないことだが。
 川田がぼんやりそう考えていると、唐突に静寂を打ち破る声が響いた。

「川田」

 ぴん、と空気が張り詰めた。
 川田はきっと表情を強張らせ、声のしたほうへと視線を向けた。
 聞き間違える筈がない。独特の威圧感を持った、冷たい声。
 こんな声で喋るやつを、俺は一人しか知らない。

「…桐山、和雄。」
 整いすぎるほどに整った、しかし能面の様に表情の抜け落ちた顔が、川田の視界に収まった。
 冷たく、刺す様な視線。この目に追い詰められた時の記憶がフラッシュバックして、川田はじわりと額に嫌な汗が滲むのを感じた。
 戦闘慣れした彼にとっても、桐山は理解不能な、強敵であった。

 「生きていたのか」
 桐山和雄は、相変わらず冷え切った声でぽつりと言った。
 それで川田はちょっと拍子抜けした。「プログラム」の時とは違い、コミュニケーションをとる気はあるようだ、この男。

 桐山を上から下までじいっと眺めた。
 学生服は銃創だらけでもうぼろぼろで、ボタンはもうひとつか二つしか残っていない。 それも取れかけている。
 大きく開いた上着から覗くシャツは一直線に裂けて、可愛げのない色の下着―早い話が防弾チョッキだ、が剥き出しになっていた。それにも数え切れないほどの銃弾が、嵌め込まれている。
 川田は背筋にわずか、寒気が走るのを覚えた。
容赦無くやったのは―俺も同じだったな。

 そうしなければ、勝てなかった。
 桐山は戦ったときとさして変わらぬ無表情で、無遠慮に自分の身体を眺める川田を静かに見詰めていた。
 桐山は殺気を放っては居ない。武器も手にしていない。あの時とは違う。必要以上に警戒する必要はないらしい。

 「ずいぶんひどい格好だな、お兄ちゃん」
 川田は軽口を叩く余裕さえ生まれ始めていた。

 「そうか?」
 川田の皮肉にも全く表情を変える事無く、桐山は軽く首を捻った。
 その桐山の白い頬、鼻のすぐ横にはアクセントをつけるかの様に、紅い点がポイントされていた。そこから、一筋の血が流れ出している。
 紅い、いやそんな言い方は似つかわしくない。
 柘榴みたいにくすんだ、暗赤色。
 川田はその色が嫌いだった。もううんざりするほど、見てきたから。

 「痛むのか?」
 「何が?」
 川田が桐山のその傷を指さして尋ねても、桐山は質問の意味を飲み込めない、と言った風にまた首を捻った。
 川田はそれでなぜか少し可笑しくなった。
 自分と同じ。
「死んだ時」の状態のままの桐山。
 そう、典子に撃たれて倒れた、あの姿のまま。

 やっぱりあの時、お前は死んでたんだな。
 川田は小さく溜息をついた。まあ、当然のことだけど。

 「あのなあ、桐山」
 「何だ?」
 「顔のど真ん中を撃ち抜かれたら、人はどうなると思う?」
 「死ぬな。」
 桐山は悪びれることなく、即答した。

 川田は呆れた。
 「じゃあ、お前はどうなんだ」

 桐山はちょっと戸惑った様に視線を彷徨わせた。少しの間の後、抑揚の無い声でぽつりと、言った。

 「…死んだ、のか?」
 その顔からは、衝撃を受けていると言った印象は全く窺えなかった。川田とは違って、覚悟を決めていたようにも思えず、さりとて、「生」への明確な執着心を示すわけでもない、不思議な反応だった。

 「ああ、死んだよ。俺がこの目で確かに見た」
 「ではなぜ川田がここに居るんだ?」
 「俺も死んだからに決まってるだろう」
 「そうなのか?」
 「おいおい、お前がやったんじゃないか」
 「それもそうだな」

 まるで自分のやった事を理解できていないと言った様子の桐山に、川田は毒気を抜かれてしまった。

 桐山は一通り質問を終えると、今度はまるきり喋らなくなった。
 それで川田は改めて桐山の顔を見つめる事が出来た。

 綺麗な顔。まるで芸術家が精魂篭めて作り上げた人形みたいな顔。
 …こいつの顔、俺は台無しにしたんだったな。

 あの時は必死だった。
 典子に罪の意識を背負わせてはいけない。その考えで頭が一杯だった。
 腹を撃っても死ななかった桐山を殺すのには、頭しかなかった。
 至近距離で銃弾を受けた桐山の頭は、無残に崩れ去った。

 あの時の姿で会う事にならなくて良かったと思った。怨讐を超えた、不思議な感傷が川田の胸に広がった。
 ついさっきまで殺し合いをしていた相手との奇妙な再会に、らしくもなく浸った。
 この男の中には何もない。
 理由は知らない。理由なんてないのかもしれない。
 この男のように何事にも執着を持てない、ひどく空っぽで寂しい人間を、川田は以前見たことがあった。
 同情なんてものをかけようとは思わないが―少し、悲しすぎはしないか?死んでも、何も思う所がないというのは。誰もー思い出すことがないというのは。

 「川田」
 川田がそんなことに思考を巡らせていると、桐山が凛と響く声をはりあげた。ひどく静かな筈なのに、良く耳に通る―不思議な声。

 「何だ?まだ聞きたいことでも?」
 「中川は、生きているのか」

 川田はそのとき、完璧に虚をつかれた。
 その戸惑いが、きっと表情に表れていただろうと思う。
 「なぜ、そんな事を聞く?」
 桐山はそっと目を伏せてから―静かな声で言った。
 「ここに中川はいない。しかし七原もいない。どちらが優勝したのかな」

 もっともな疑問だった。
 川田はそこで少し意識的に抑えた声で、桐山の問いに答えた。
 「優勝者は、一応、俺と言う事になってる」
 「…?」
 桐山は怪訝そうに眉を顰め、首を傾げた。
 川田は続けた。
 「首輪を俺が外した」
 「外した?」
 「ああ。…あのクソゲームに巻き込まれたのは二回目だったんでな。幾らか勝手は知ってた」
 桐山の形の良い眉がほんのちょっと持ち上がった。
 「二人とも生きてる。きっと今頃船の中さ」
 「……………」

 桐山はまた沈黙した。元々、余り喋らない男ではあったが。
 こいつなりにショックを受けているんだろうか。
 いや、それはきっとない。こいつはゲームに乗った。それは自分の命が惜しかったとか、そんな理由じゃない。ただ、そうする事を選んだ、それだけのことなのだ。

 「…あの時」
 ぽつりと桐山が呟くように言った。
 「俺は、中川が銃を撃つと言う事は予測していなかった」
 「…油断してたのか、お前らしくもない。」
 「いや」
 桐山は軽くかぶりを振り、僅かに目を伏せて、言った。
 「七原しか見えていなかった。七原と、川田しか。俺の標的にどうしてか中川は居なかったんだ」
 「どういう、意味だ?」
 「俺にも良く分からない。ただ、中川が銃をこちらに向けた時には気付いた。避けられた筈だった」
 川田はそれで少し目を見張った。
 「それなら、どうしてお前、避けなかったんだ。」
 「避けて、七原を撃ったら、中川しか残らないのだとその時思った」

 淡々とそう述べた桐山に、川田は思わず訊いた。

 「…お前、まさか、典子サンに惚れてたのか?」

 少し、間があった。
 「…わからない」
 桐山は静かな声でそう言い―つと左手をこめかみの辺りに当てた。
 僅かに気難しそうに眉を寄せた。―頭でも痛くなったんだろうか?

 「中川の顔を見て、考えたんだよ。どうして、中川を標的に出来なかったのか。答えは出なかった。中川に訊きたいと、思った」
 桐山はこめかみに手を当てたまま、まるで他人事の様に淡々と言葉を紡いだ。
 けれどその内容は…この男の言う事とも思えない。

 まるで―「恋」をしているようではないか。

 川田は驚きを隠せずに居た。そんな感情、こいつにはないはずなのに。

 「中川を殺したら聞けなくなると思った。だから撃てなかったのかもしれない」
 桐山はそこで言葉を切り、また、黙った。
 川田は胸をつかれるような気がした。
 …聞こうとしていたお前が死んだんだから、結局同じじゃないか。

 桐山の言葉に感情は篭もらない。相変わらず冷え切った、音声でしかない。ただ、それを話す桐山の表情がどこか哀しげに見えたのは錯覚だろうか?

 「俺、お前の気持ち、少しだけど、わかるよ」
 「?」
 桐山は驚いた様に瞬きをして、此方を見た。
 「いい女だった。…典子サンは」

 思いのほか、穏やかな声が出た。自然に口角が上がっていた。
 「七原に取られたのが、少し残念だ」
 桐山はじっと川田を見詰め、黙っていた。
 「…………」
 「何てな、冗談だよ」
 軽く肩を竦め、川田は桐山に優しく微笑みかけた。
 …さすがに嫉妬なんてするわけないか。

 桐山は不思議そうな顔を崩さずに、川田をじっと見詰めていた。
 それがひどくあどけない子どもの様に見える。

 少し、誤解してたな。お前の事。
 川田は目を細めた。

 他人を本当に理解することなんて出来ない。
 自分が知っているのは「桐山に良く似たやつ」であって、
 「桐山」ではなかったのだから。

 こんな形で気付く事になるなんて―な。

 「川田」
 「どうした?」
 「俺はもう死んでいる。中川は生きている。それなら」
 桐山はまっすぐに川田を見詰めて、言った。
 「もう俺は中川に会えないんだな」
 その桐山の言葉は川田の胸をぎゅっとしめつけた。
 …もう、会えない。

 生者と死者は永遠に隔てられる。
 かつて、自分と慶子が―そうであったように。
 どんなに会いたいと願っても、伝えたい想いがあっても―死んでしまった相手に伝えるすべはない。それくらい、わかっていた。

 …いや、今は少し、違うか?

 慶子の話をした時に、典子が一生懸命になって自分を庇おうとしてくれた事を思い出した。慶子は自分を大切に思っていたのだと。彼女の言葉は同情心ではなく、心から自分のことを考えて出たものだ。川田にはそれくらいのことはわかった。

 今は…俺も死んでいる。

 「…会えるかもしれないじゃないか」
 川田は呟くように言った。
 桐山が真っ黒な瞳をちょっと丸くするのが分かった。
 「先の事なんて、わからないだろ?」
 それは半ば自分に言い聞かせる言葉でもあった。

 もう、死んだんだ。わかりきった答えは出てしまった。
 これから先の事は分からない。誰にも分からない。
 それなら、お前だって…持つことくらいはできるんじゃないか?

 「先の事…」
 桐山は幾度かまたたきしながら、その言葉を自分の中で反芻しているようだった。
 川田はそれを穏やかな眼差しで見詰めた。
 少し間を置き、言った。
 「お前が会いたいと思ってるんだから、いつかきっと。…確証なんて無いけどな」

 「希望」ってヤツは、そう悪いものじゃないぞ?

 「そうかも、知れないな」
 桐山はそっと目を伏せて―こめかみに手を当てた。どこか、優しげな表情をしているように見えた。彼に親しみが沸いたせいばかりではないだろうと、川田は思った。こいつは、ただの感情欠落者じゃない。…今頃気がつくなんてな。

 こいつなりに大事に思ってた、典子サンの事を思い出してるんだろうか。
 ぼんやりとそう考えた。
 川田の脳裏にも、あの典子の、慈愛に満ちた微笑が蘇っていた。
 これから会いに行こうとしている人とは、また別の想いを彼女に抱いていた。…それはきっと、桐山が求めていたものに近いのだろう、と思った。

 失った何かをもたらしてくれる。彼女は、そういう存在だった。中川典子という女子生徒は。





 それから暫く、川田と桐山二人で歩いていた。
 あたり一面が闇であったけれど、歩を進めていくうち、前方に光っている場所が見えて来た。

 どこかに通ずる、入り口の様なものなのだろうか。そこを通らなければ、それ以上は進めない様になっていた。
 川田は隣の桐山にそっと視線を落として尋ねた。
 「どうする?不安なら俺が先に行くぞ」
 「いや」

 桐山は首を振った。
 「死んだのは俺が先だから。俺が先に行こうと思う」
 すっと桐山は足を前に踏み出した。逆光で桐山の姿はぼんやりとしたものになった。

 「…お前が先なのは何だか珍しいな」
 「出席番号、川田が前だったせいじゃないかな」
 桐山はそう言って軽く小首を傾げると、川田に背を向けた。

 ぴんと背筋を伸ばした、姿勢の良い後ろ姿。
 この上なくお上品に見える癖に、なんの気まぐれか不良グループのボスなんてのをやっていた、不思議なお坊ちゃんを見ていられるのも、これで最後なのだ。
 川田はまた、胸に熱い何かが込み上げてくるのを感じた。
 別れってやつは、いつでもいい気分のするものじゃない。

 「…桐山、達者でな」
 黒い学生服の後姿に、ひどくこの場にそぐわないような言葉をかけた。
 「あぁ。」
 桐山はそっと此方を振り向くと―相変わらずの無表情で、頷いた。

 最後まで、桐山は笑わなかった。


 桐山はそれからものすごい速さで走り抜けていった。彼のさして大きくない姿が、あたりを覆いつくす闇にすっかり溶けてしまうのには、数瞬とかからなかった。

 きっと桐山は桐山なりのせいいっぱいで走っているのだろう。

 川田はほっと溜息をついた。急に全身を、脱力感が支配した。

 「まだわからない未来」を。

 あいつは持つことができたんだろうか。


おわり


2003/07 初稿
2006/02 改稿