第1話・帰還

 「今回のプログラムの対象となっていたクラスは香川県城岩町立城岩中学校3年B組でした。発表されていなかった実施会場は高松沖10キロの沖木島で―」

 興奮したようなアナウンサーの声が、ブラウン管の向こうから聞こえてきた。

 毎年この時期になると決まって流れるこのニュース。
 普段何気なく過ごしている日常に、色濃い「死」の影を伝える。その理不尽に与えられる「死」は決して他人事ではないのだが、大多数の国民は「それ」を自分たちとは関わりの無いとして受け止めてきた。
 もし「他人事」でなくなったとしても―強大な国の「体制」を変革するだけの力が自分に無いことを理解していたのだ。

 「優勝者は男子六番、桐山和雄くん」
 カメラが、群がる報道関係者の間から覗いた、ひとりの少年の顔をクローズアップした。

 ―よかった…桐山くん。…生きててよかった…

 テレビ画面を食い入る様に見つめていた、城岩中学校3年C組・月村佳澄は、画面に映し出された少年の顔を認めると、こみ上げる安堵感に耐え切れず、ぽろぽろと涙をこぼした。
 優勝者の少年―桐山和雄の顔は、まるで能面の様に無表情だった。
 白い肌には返り血と思しき、紅い痕があった。

 「プログラム」に選ばれ、その死闘を潜り抜けて、生を勝ち取った者の中には、極度の緊張・恐怖にさらされ続けた為か、あるいはお互い楽しい時間を共有して来た筈のクラスメイト達を手にかけた罪深さに耐えかねてか、狂気に支配される者も少なくはなかった。

 しかし、桐山和雄の瞳には、そんな狂気の色など微塵も浮かんではいなかった。

 桐山のどこまでも澄んだ、しかし新月の闇を思わせる様に深く暗い瞳は、ただ虚ろに開かれたままだった。
 自分を取り囲んで喚き立てる大人達の熱狂をよそに、彼の瞳は、まったく別の何かを追っているかのようだった。
 周囲のざわめきも、彼にとってはまるで別の世界で起こっている出来事であるかのように。

 彼の姿は、押し寄せた人混みに飲み込まれると同時に、画面から消え失せた。

 ◆ ◇ ◆


 佳澄は次の日、一人電車に揺られていた。
 平日の昼下がり。
 通勤ラッシュを過ぎた車内はがらがらだった。佳澄は窓の外に視線をやり、溜息を吐いた。
 大丈夫かな…桐山くん。
 思い浮かぶのは、これから見舞おうとしている「彼」のことだった。
 ほんの数瞬映し出されただけの画面からは、桐山の負傷の程度を窺い知る事は叶わなかった。
 けれど、ひどく疲れている事は、確か。
 佳澄は胸の花束を大切そうにそっと抱きしめた。

 まもなく、桐山の入院している病院の最寄り駅への到着を告げるアナウンスが響いた。

 ◆ ◇ ◆

 病院は駅からバスで十分程度行ったところにあった。初めて来たもので、バス系統がわからなかった佳澄は交番で行き先を教えて貰った。

 病院に向かうまでの間、佳澄は再び桐山に想いを馳せた。
 佳澄は桐山と一年の時、クラスが一緒だった。入学式の日、親とはぐれてしまい、教室へ行くのにも迷ってしまっていた佳澄は、偶然通りがかった桐山を呼び止めたのだった。
 「あの、すみません」
 佳澄は振り向いた桐山の顔を初めて見た時、思わず見とれてしまった。
 彼は、とても美しい顔をしていた。
 眉にかかるほど伸びた、艶やかな黒髪の下、長い睫に縁取られた切れ長の瞳がじっと佳澄を見詰めた。
 「何か?」
 形良い唇が紡いだ声はどこか冷たかったが、良く通って耳に心地良かった。
 「あ、あの1年D組の教室って…どう行けばいいでしょうか」
 佳澄は緊張のあまり思わずどもってしまいそうになりながらも、何とかそう訊いた。
 彼はほんの少し、眉を持ち上げた。
 そうして、呟いた。

「俺と同じクラスだな」

 佳澄はまた目を見張る。上級生だとばかり、思って居たのに。

 それから、一緒にD組まで歩いた。
 教室に着くまでの間、桐山はほとんど話さなかった。
 ただ最初に「名前は?」と佳澄に尋ね、佳澄がおずおずと答えると、桐山は「そうか」と返した。その後すぐ、自分も「桐山和雄」と名乗った。

 席につき、担任に指示されて一人ずつ行った簡単な自己紹介の中で、桐山が中学入学の直前に県外から越して来た生徒だと言う事が、わかった。
 佳澄自身も同時期に城岩に越してきたので、似た境遇の桐山に親しみを覚えた。
 それに、この町に越して来て初めて話した同学年の人が、桐山だったのだから。

 それからクラスで仲の良い友達が出来始めてからも、佳澄は桐山に挨拶をした。桐山はそのたびにきちんと返した。
 
 そんな二人の関係に変化が起こったのは、五月に入ってすぐの事だった。
 「桐山くん…!どうしたの、その髪…」
 「充が、こうした方がいいと言ったから」
 佳澄は驚きを隠せなかった。

 桐山はその日、やや長めだった髪をオールバックにして登校して来た。
 一風変わった髪型。元々眼光が鋭かったのに加えて、さらに威圧的な雰囲気を持つその髪型。
 「何か、おかしかったかな」
 「ううん。そうじゃない、けど」
 似合っているけれど…佳澄は少し複雑な気持ちだった。
 そのころ、桐山は沼井を始めとする不良グループと付き会う事が増えてきたように思えた。
 「佳澄、よく桐山君と話せるね、怖くない?」
 「あんまし関わんない方が良くない?相当やばいらしいよ、桐山」
 一部の女子などは意味ありげに佳澄にそう囁いた。
 桐山に関する穏やかでない噂も良く耳にする様になった。
 けれど佳澄は、そんな噂で人を判断するのは間違っていると思ったし、実際話して、桐山は怖い人ではない、と言う事はわかり切っていた。
 実際桐山も、桐山の周りにいる人たちも、一度たりとて学校では悪事を働いていないのだ。
 「そんな事ないよ、桐山くん、いい人だよ」
 そう言っても相手にして貰えない事を、佳澄は歯痒く思って居た。桐山本人は、全く気にも留めて居ない様だったけれど。
 思えばその頃から少しづつ、佳澄は桐山の事が好きだったのかもしれない。

 ただ、桐山が不良グループの中にあって、どんどんとその強さが知れ渡っていくのに
比例して、佳澄は桐山との間に距離が出来てしまったように思えた。
 佳澄がごく普通の女子グループに属していた事や、桐山が頻繁に学校を休む様になってしまった所為もあるかもしれない。

 すれ違った時、挨拶を交わすだけ。
クラス替えが行われる頃には、桐山と佳澄の関係はそんな些細なものになってしまっていた。
 それでもたまには会話もする。
 佳澄は少し寂しいと感じながらも、今のところはその関係に満足していた。
 いつか、もっとちゃんと話せるようになれたらいい。そんな曖昧な期待を胸に秘めて。

 バスの窓の向こうに大きな病院が見えた。
 佳澄はまたぎゅっと花束を抱きしめた。

 桐山のクラスがプログラムに選ばれたと知らされた時の事を思い出した。
 佳澄はそのとき、言葉に表せないほどの衝撃を受けた。

 桐山と最後に話したのはバスに乗り込む直前。そうやって会話したのもずいぶんと久しぶりのことだった。
 だから、話したいことがいっぱいありすぎて桐山を引き止めてしまった。集合時間が近づいて、慌てて佳澄はバスから離れた。別れ際に彼に言った。
 「楽しみだね」
 佳澄が笑いかけると、桐山は頷き、「そうか」と呟いた。

 桐山が、こういう校外の行事に参加することは、入学以来初めてのことだったらしい。
 「ひどいよ…初めての修学旅行なのに…こんな事って…」
 理不尽な制度に佳澄は最初憤り―しかし結局自分は桐山を助ける術を持っていないことに気づいてからは、悲しくて暫く泣いた。

 最悪の場合も覚悟したけれど、どうにか桐山には生きて帰って来て欲しいと思った。
 それは桐山が他のクラスメイトを殺すことを示していたのに、感情に押された佳澄はそのことまで意識を回すことができなかった。
 生きて帰って来て欲しい。
 佳澄は三日間、ろくに夜も眠らずに願い続けた。
 そして、その願いは叶えられたのだ。

 桐山は、帰って来てくれた。

 ◆ ◇ ◆

 受付で桐山の病室を訊いた。
 少し詳しく自分と桐山との関係について尋ねられたが、「友達です」としか言えなかった。
 一方的な気持ちであることは、わかっていた。それでも彼に会いたい気持ちは変わらなかった。
 受付の女性はちょっと訝しげに眉を顰めた後、「305号室です」と答えた。「優勝者」として帰ってきた桐山を見舞う少女への好奇が入り混じった目だった。
 「ありがとうございました」
 佳澄は軽く頭を下げて、踵を返した。

 ―桐山くん、びっくりするかな。
 階段を上る足取りも軽かった。桐山に会える嬉しさで、胸がいっぱいになっていた。
 桐山の居る3階の病室に着くのにも、さして時間はかからなかった。

 305号室は、階段から右にまっすぐ歩いた所にあった。綺麗な白い扉に貼られた「桐山和雄」の名前を確認する。
 どうやら、個室のようだった。

 この扉の向こうに、桐山くんが、居るんだ。
 佳澄は一度深呼吸して、気持ちを落ち着けてから―、軽くドアを叩いた。
 「どうぞ」

 すぐに返って来た、聴き慣れた声。
 間違いは無かった。
 その声は確かに、聴きたくて仕方なかった、桐山の声だった。
 佳澄は引き寄せられるようにドアを開いた。

 病室の中は真っ白だった。
 遮光カーテンの隙間から光が差し込んでいる。
 佳澄の目に最初に飛び込んできた、大きなベッド。その上のほんの少し盛り上がっていた布団が動いて、見慣れた顔が覗いた。

 無事を確認したくて、仕方なかった顔が。
 佳澄は思わず声を上げた。
 「桐山くん!」

 「…月村」
 佳澄の声に驚いた様に、数回、瞬きをして。
 桐山は佳澄の名を呼び、上半身を持ち上げた。ベッドの脇から、点滴の管が伸びていて、布団の中に潜っていた。

 「どうしてここが?」
 抑揚の無い声で桐山は佳澄に訊いた。
 その顔はいつもと変わらない無表情だったが、少し、やつれている様に見えた。
 普段のオールバックも下ろしていた。どこか1年生の時の彼を彷彿とさせる髪型だった。
 佳澄は開きっぱなしだったドアを出来るだけ静かに閉めて、桐山の方へと歩み寄りながら、答えた。
 「学校の先生に聞いたの」
 我ながら、すごい行動力だったと思う。その先生は、1年生のときの担任だった。
 「そうか」
 そう一言だけ言うと、桐山は佳澄から視線を外した。もう興味は無くなった、と言わんばかりの様子で。
 それでも佳澄の方は、まだ心配そうな表情を崩さなかった。桐山のベッドの脇で腰を屈めて、問い掛けた。

 「怪我…どんな」
 「骨が折れていた。あと、何箇所か打撲がある」
 桐山は佳澄の問いに、機械的に返した。まるで他人事の様な口調だった。
 「大丈夫?」
 「命に別状は無い」
 「…………」

 暫しの沈黙が訪れた。

 佳澄が黙ったままなので、不思議に感じたらしく、桐山はつと伏せていた視線を佳澄の方に向けた。
 そうして、少し目を丸くした。
 「…月村。どうして、泣くんだ?」

 佳澄の大きな瞳には、涙がいっぱい溜まっていた。
 「あっ…ごめん…」
 佳澄は慌てて目を擦った。桐山に言われて初めて気がついた。今日家を出るときは、泣かないと決めていたのに。
 「別に、謝る必要はないんじゃないか」
 桐山は佳澄の様子に動じた風もなく、淡々と言った。

 佳澄の涙が止まるまでには、また少しの時間が必要だった。桐山はそんな佳澄を、いつも通りの無表情で、静かに見詰めていた。

 佳澄は、まだ少し掠れたままの声で、言った。
 「あのね、私…すごく、嬉しくて」
 「嬉しい?」
 不思議そうに首を傾げる桐山に、佳澄は頷いて見せながら、続けた。
 「すごく、心配してたんだ。桐山くんに…もう会えないんじゃないかって」
 佳澄はそう言うと、潤んだままの瞳で、じっと桐山を見詰めた。
 「でも桐山くん、ちゃんとこうして帰って来てくれたから…本当に良かった…」
 「………」

 桐山は静かに佳澄の話を聞いていたが、やがて、数回瞬きをした後、そっと目を伏せた。
 「そうか」
 そう言った桐山の声は、どこか苦しそうだった。

 佳澄はその桐山の顔を見て、胸をつかれる様な気がした。
 桐山は、ひどく辛そうな顔をしている様に、見えた。額には汗が滲み、色白の肌は普段より更に血の気を失っていた。そんな桐山の様子を、佳澄は初めて見た。
 「桐山くん…大丈夫?」

 桐山は佳澄の問いに、力無く頷いたあと、上半身を再びゆっくりと倒した。
 「月村。すまない。もうすぐ検診の時間だ」
 少し詰まった様な声だった。

 
 「あ、ごめん、私、帰るね」
 佳澄は少しだけ名残惜しそうに言った。
 「ああ。…済まないな。」
 桐山は静かに言った。
 …錯覚だろうか。佳澄には、その顔がどこか寂しげなものに見えた。佳澄は、思わず言った。
 「また…来るよ」
 「ああ」

 佳澄はまだもう少し桐山と話していたかったが、今日は仕方ないと諦めた。また、次に来ればいい。
 だが、その前に。
 佳澄は持っていた花束を差し出した。
 「あ、桐山くん、これ」
 「月村。これは?」
 「…お見舞いに持って来たんだ。花、嫌い?」
 「いや」

 桐山はありがとう、と言ってから、佳澄から花を受け取った。彼は、ひどく喜んだ様子も無かったが、嫌そうな様子でもなかったので、佳澄はほっとした。

 「じゃあ、またね!」
 佳澄は軽く桐山に手を振ってから、病室を後にした。
 途中で背の高い医師とすれ違った。
 どんな顔か、はっきりと見る事は出来なかったけれど。

 ◆ ◇ ◆

 「今度は、もっと早く来ようかな。ゆっくりできるし」
 帰り道、佳澄はそんな事を考えながら歩いた。

 桐山はやっぱり、すごく怖かったのだろう。
 痛い思いや、悲しい思いも、たくさんしたに違いない。佳澄は桐山の心中を察して胸を痛めた。

 桐山が元気になるまで、佳澄は何度でもお見舞いに来ようと思った。
 自分に出来ることなら、なるべく、桐山をプログラムのショックから立ち直らせてあげたいと。

 しかし佳澄は気が付かなかった。

 桐山は罪悪感など持った事が無いのだと言う事を。
いや、罪悪感のみならず、桐山和雄は今まで生きて来た中で、何かを「感じた」ためしなど一度も無かったのだと言う事を。
 そして、皮肉にもそれが、桐山にプログラム優勝という幸運をもたらしたであろう事を。


 つづく



2006/02/05