第2話・空虚

 「今日はちょっと皆さんに、殺し合いをしてもらいまーす」
 ―いつ始まるのかな、このゲームは?
 「ここを出たらすぐだよ」
 「ボ、ボス…こいつは一体―」
 ―俺を殺そうとしたんだよ。笹川も―黒長も。だから俺が―やったんだ。
 「おっ俺は大丈夫だよ、ボスを殺そうなんて思ってない」
 「じゃあ脱走するんだな?ここから―」

 聞いてくれるかな。
 俺は、どっちでもいいと、思っていたんだ。

 「ど、どっちでもいいって―?」
 俺には、時々、何が正しいのか、よくわからなくなるよ。 

 どっちでもいいと思って居た。
 俺には、選ぶ基準が無かった。
 だからコインで決めようと思った。結果、コインは裏を示した。このゲームに乗ってみるのも悪くないことだと思った。

 このゲームに、乗ると―。
 コインが裏を示した時点で、俺は自分の中のスイッチを入れ替えた。
 目的を遂行するまで決して止まる事無く戦い続けるように。
 今までそうしてきたように。

 ◆ ◇ ◆

 「桐山くん、気分はどうだい?」
 入院してからすっかり定番となった、医師の回診。桐山は抑揚の無い声で答えた。
 「いつもと変わりません」
 「痛みは?」
 「変わりません」

 医師は簡単な問診と検温、それに触診を済ませると、桐山の肩にそっとその手を置いて、言った。
 「気にするなと言う方が無理だと言う事は分かっている。だが、いつまでも塞ぎ込んでいては治るものも治らないよ」
 桐山に言い聞かせるような、しかし穏やかな調子を崩さない声。桐山は無表情のままそんな医師を見詰め、無言で頷いただけだった。

 医師が出て行ってしまうと、桐山の病室には再び静寂が訪れた。
 「一般的」に、こんな場所に一人で取り残されたら、寂しいとか、退屈だとか、そんな感情が沸き起こって来るものなのだろう。

 桐山は目を閉じた。
 自分は、「一般的」な感覚を備えていない。
 与えられた書物や周囲の人間と関わっていく中で、そのことを漠然とではあるが理解していた。平均的に、人が感じるような「何か」が自分には欠落しているのだ。

 あのゲームに巻き込まれた時だって、特に自分はなんとも思わなかった。
こうして生きて帰って来たことにも何の感慨も沸かない。
 ただ―何かが足りない様な。
 そんな感じはずっとしていた。
 それが何なのかはわからない。
 ただ、「足りない」とはっきり意識し始めたのはあのゲームで優勝した、その瞬間からだ。

 ―何かが足りない。
 わからない。

 寝返りを打つと、ずきりと腹が痛んだ。ほんの少し、桐山は眉を寄せた。
 腹は特にひどくやられた箇所だった。戦闘による打撲、防弾チョッキ越しに撃たれ続けたことによる内出血。完治までにはもう暫くの時間を要するだろう。

 薄く開けた目に、偶然映ったものがあった。
 白い花束だった。
 先ほど、月村佳澄が持って来た花束。そのままにしておいては、枯れてしまうだろう。
 桐山は痛みを堪えながら、やっとの事で身を起こし、その花に手を伸ばした。

 いつもだったら、そんな花になど興味は示さなかっただろう。枯れようが枯れまいが、どっちでも良かった筈だった。
 しかし、今は。
 桐山は花束を手にとった。

 手折られた花。
 自分に贈られる為に。
 この花はいずれ枯れる。
 だが、少しだけ。
 少しだけでも、生かしておきたいと思ったのはなぜなのだろうか。
 枯れる事。
 すなわち死ぬ事。―死。存在の消失。

 ほんの一瞬、桐山の記憶を掠めたのは、自分が手にかけた生徒達の面影だった。
 どうして思い出したのか、良く分からなかった。

 そのあとに、この花を贈った佳澄の言葉を思い出した。
 「あのね、私…すごく、嬉しくて」
 「すごく、心配してたんだ。桐山くんに…もう会えないんじゃないかって」

 佳澄はそう言うと、潤んだままの瞳で、じっと桐山を見詰めた。
 「でも桐山くん、ちゃんとこうして帰って来てくれたから…本当に良かった…」
 生きて帰って来る事。佳澄の言うように、自分はそれを望んだから、クラスメイトを手にかけたのだろうか。いや、きっと違う。

 ただコインが裏を示したから―だから。
 「ここから脱出するんだろ、ボス」
 しかし、充は―クラスメイト達は自分とは違ったのだろうと思う。
 生きて帰る事が望みだった。

 ではこうしてここで生きている自分は何なのだろうか。
 ―分からない。
 分からない事が、多すぎた。
 分からないと言えば、佳澄がわざわざここまでやってきた事も、不可解なことだ。
 特に親しいわけでもないのに、何故。
 佳澄は自分が生きて帰って来たのが嬉しいと言って泣いた。どうして自分が生きて帰って来た事が嬉しいのか。
 ただ、その言葉を聞いた時、いつもの「疼き」がやって来たのだ。
 ―そう言えば、帰ってきてから、初めて。
 「嬉しくて」
自分の帰還を歓迎された様な、そんな言葉を聞いた。
病院に運び込まれて、最初にやって来た使用人は、「お疲れ様でした」と形ばかりの言葉を述べたに過ぎなかった。
 それが寧ろ当たり前だと思って居た桐山にとって、佳澄の行為は不思議なものに映った。
 悪いことではないのだろう、と思う。
 プログラムが終わってからずっと感じていた「何かが足りない」という気持ちが、佳澄の顔を見た時、少しだけ満たされたような感じがした。
 どうしてなのかは、未だに分からないけれど。
 点滴が繋がったこの状態では水道まで行く事は不可能だった。桐山はナースコールを押し、看護士を呼んだ。


 ◆ ◇ ◆


 看護士はすぐにやってきた。
 この年配の女性看護士は、具合が悪い所為でもなく呼び出した桐山を咎めるような事はしなかった。
 というのも、その少し前に桐山の担当の医師に呼ばれて、こう言い含められたからだ。「彼に、優しくしてあげてください」
 「え?」
 「治らない傷じゃないんですよ。確かにひどい傷ではあるが―」
 医師は少し険しい表情になって言った。
 「桐山くんに治そうという気持ちが無い限りは、回復が遅れるでしょう」
 「と言いますと?」
 「当の桐山君本人に、生きようって気がまるでないんですよ。食事も満足に食べない、人とろくに会話も交わさない。」

 絶望的な話だったかもしれない。
 そう、この子は「未来」を持つことができないのだ。人を手にかけて、得た命。その重みを背負うには、この子はあまりに幼すぎる。

 いや、たとえ大人になっても―その罪の意識が消えることは無いのだ。子どものいる 看護士は、同年代の子どもを手にかけた彼を恐れる気持ちと、彼の境遇を哀れむ気持ちの両方を持っていた。医師の話を聞き、後者の気持ちがやや優位となった。

 「なるべく、あの子には、優しくしてあげてください。少しでも、彼が生きる意志を持つことが必要だ」

 看護士はそんな会話を医師と交わした後、やや沈んだ気持ちで桐山の病室にやって来たのだが、桐山の持っている花束を見て、それは少し明るいものへと変わった。

 「あら桐山君、どうしたの?この花束」
 「お見舞いに貰ったんです」
 「あら、そう。良かったわね、お友達?」
 桐山がそう問われて、少し困った様な顔をしたので(桐山は佳澄をどの知人に分類すれば良いのか分からなかったのだ)、看護士はそれを深読みして、
 「それとも彼女かしら?」

 少し冷やかし半分に笑って、そう聞いた。一見少女のように美しいこの子が、やや硬質な雰囲気とは裏腹に、見舞ってくれる「彼女」がいることに、わずか救いを覚えながら。
 桐山はますます戸惑ったような様子を見せた。

 「綺麗なお花ね」
 花瓶に花を移し変えながら、看護士は桐山に微笑みかけた。桐山は無表情でそれに頷いた。


 つづく


2006/02/05