「お前は私の本当の子供ではない。だがお前は私のたったひとりの後継ぎだ。お前が私の期待を裏切る事は許されない。私の言う事に従え。お前はそのために生きているんだ」
最初の記憶の中。「父」は桐山にそう言った。以来、それが桐山にとって唯一の真実となった。
本当の親はどうなったのか。
父はそのことに関しては何も教えてくれなかったし、桐山自身も聞かなかった。どうでも良い事だと思って居たからだ。
俺はここに居る。
桐山家の後継者、桐山和雄として。
父の言う事だけを聞いていればそれで良かった。
自分で考える必要はなかった。何も。
プログラムに巻き込まれたとき、答えをくれる父はそばに居なかった。
坂持と戦うか―。
それとも、ゲームに乗るのか。
自分で決める事が出来なかった。
コインは父の代わりだった。
自分の選択は正しかったのだろうか。
父なら、何と言っただろうか。
―桐山はプログラムから帰ってきてから、何度かそのことについて考えた。それというのも、父親が一度も姿を見せないからだ。
◆ ◇ ◆
「お前は良くない連中と付き合っているようだな」
中学に上がって暫くした頃だっただろうか。桐山は義父の部屋に呼び出されてそう言われた。
―「良くない連中」というのは充たちのことを言っているのかな?
自分は他に交友関係を持たないから、たぶん、そうだと思った。
どう言う部分が「良くない」のか、桐山には良くわからなかった。充たちの勧める事は悪くないことだと思っていた。少なくとも、父の命ずるまま受けた特殊教育の数々より、ずっと新鮮で、桐山の好奇心を刺激するものだった。
無頓着だった髪型を変えたのもそのためだった。充が、そのほうがいい、と言ったから。
しかし、桐山はそれらの考えを口に出すことはせず、ただ黙って父親が口を開くのを待った。
「まあ、そういうのもたまにはいいだろう。しかしあんな汚い連中を家に近づけることだけはしないでくれよ」
父は、特に感情の篭もらない声で言った。桐山が物心ついたころからずっと、父はこんな調子だったし、家の使用人達もさして変わらない態度で桐山に接した。それを当 然のものとして育った。
だからこそ、当初は充たちや、入学式の日初めて話した女子、月村佳澄の表情豊かな様子に戸惑いを覚えたものだ。
汚い連中?
汚いとは?
父の真意を測りかね、桐山は怪訝そうに眉を寄せ、父を見上げた。ごく薄く皺の刻まれたその顔には表情がまるで無かった。
桐山が極端に感情表現が希薄な少年に育ったのも、あるいはそんな父の顔に慣れてしまっていた所為もあるのかも知れない。
もう一つ、大きな理由があったが、それについて桐山自身は全く知らなかった。
「もし近づけたら、その時はそいつらにこの街から消えてもらうかも知れない」
父は相変わらず安定したトーンの声で、続けた。
しかし最後の「消えてもらう」という部分を話す時、意識的に父の声が低められたのがわかった。
「消えてもらう」
それ以上詳しく父は話さず、「もう行きなさい」と命じられたので桐山は自室に戻ったのだが、父の言わんとする事は何となく理解できた。
それ以来、桐山は自宅に知り合いを近づけた事は決して無かった。
親しいと呼べる人間はごく限られていたし、特に問題は無かったのかも知れないが。
充たちを除けば、自分が学校でまともに話していたのは佳澄くらいだ。それもすれちがいざま挨拶を交わし、時折ほんのささやかな会話をする程度の仲にすぎなかったのだが。
親しいわけでもないと思って居た。
クラスが離れてしまった今、自分と佳澄の間の繋がりはほとんど切れてしまっていた。
それに対し特に思うこともなかったのだが。
プログラムから帰って来て、自分の帰還を喜び、涙を流してくれたのは佳澄だけだった。
佳澄がなぜ泣いたのか、どうして自分が帰って来た事が嬉しいのか、桐山には良く分からなかったのだが。
何時の間にか佳澄の存在は、桐山の中でかけがえの無いものとなっていたのかもしれない。佳澄は桐山から何の利益も得られないだろうと思うのに、そばにいる。
佳澄が居なければ、日がな一日真っ白な天井を眺めて過ごすのみだ。
他に訪ねてくる者と言えば担当医か看護士くらい。病院図書館の本を読み漁るのも、そろそろ飽きた。既に持っている知識の反芻にしかならなかったので。
桐山はちらりと時計を見た。そろそろ、佳澄がやってくる時間だった。
「こんにちは」
ドアを開けるとすぐそう言って、明るい微笑を零す。もうすっかり見慣れた、佳澄の笑顔。
佳澄のその顔を見ると、何だかよくわからない気持ちになるのだ。
もう随分と増えた、見舞いの品。
佳澄は来る度に様々なものを桐山に持って来てくれた。
寂しくないようにと小さなぬいぐるみを置き、退屈をしのぐための本をくれた。
そして、今日は。
「次は何が欲しい?桐山くん」
前回来た時、佳澄は桐山にそう尋ねた。
「…………」
桐山は少しだけ俯き、真剣に考えた後、まっすぐ佳澄を見て、答えた。
「バニラアイスがいい」
佳澄はそんな桐山の答えに、随分と驚いた様だった。
「え?そんなのでいいの?」
佳澄の問いに、桐山はこくりと真顔で頷いた。
「お腹に悪そうだけど…」
「もう食べ物は大丈夫だと許可を貰った」
桐山は淡々と言った。佳澄はそう言われて初めて、桐山の点滴がはずされていた事に気付いたらしい。
「もうお腹治ったの…?」
「ああ。もうほとんどは」
「ほんと?良かったー!」
佳澄はとても嬉しそうな顔をした。
まるで自分の事であるかのように、佳澄は桐山の回復を喜んでくれた。次来る時買ってくるから、佳澄はそう言ってその日、帰って行った。
◆ ◇ ◆
「はい。これ。適当に選んじゃったけど」
佳澄は手にしていた袋の中からバニラアイスを取り出した。
「ああ、すまない」
「桐山くんって、もしかしてバニラ好きなの?」
「悪くない香りだと、思うんだが」
桐山は自分がその香りが好きなのかどうかは分からなかった。ただ、最初に佳澄に貰ったリップの香りと、それに、去年の夏の思い出が重なって、気にかかった。どうしても。
「そっか、私も好きだな。バニラ」
佳澄は微笑んでそう言い、アイスの蓋を開ける。
「もう自分で食べられる、よね?」
桐山は佳澄にそう問われても、黙ったままだった。じっと佳澄の顔を見詰めた。
もう、自分で食べられる。点滴は外れているのだから。
それでも、桐山は前に佳澄にリップを塗ってもらった感覚をもう一度味わいたいと思ったのだ。
桐山の無言の訴えかけに気付いたのか、佳澄は少しだけ顔を紅く染めた。
佳澄は木で出来た小さなスプーンでアイスをそっとすくい、桐山の口元に持って行ってやった。
桐山は相変わらずの無表情で口を開き、落ち着いた動作でアイスを食べた。
こうして「何かをしてもらう」のは桐山にとってとても新鮮な事だった。
今まではほとんど、誰かに意識的に頼ったことは無かった。桐山が望む前に、周囲の者たちはその義務を果たした。
それでも、こういうのも悪くないと思ったのだ。
◆ ◇ ◆
それから佳澄は、いつもの様に桐山に学校の話などをして聞かせた。
桐山がこうして入院するようになって、既に1ヶ月が経過している。学校の様子はやはり桐山も多少興味があるので、静かに佳澄の話に聞き入っていた。
「今年受験だから、みんな前より頑張ってるよ」
桐山は佳澄にそう言われて初めて、自分も受験生だった事を思い出した。
もっとも自分は義務教育程度の学習はとっくに終えてしまっていたから、特に何もする必要はないのだが。
「一般家庭」の中学3年生ならば、今まで以上に力を入れて勉強に取り組むものなのだろう。
もうすぐ佳澄も塾に通う事になるのだという。
「そうしたら、あんまりしょっちゅう来れなくなっちゃうかもしれないけどね」
「そうか」
桐山は少しだけ目を細めて、言った。
「受験までには治る。きっと」
「何かあったのかい?この前よりもすごく良くなっているよ。もしかしたら、予定よりずっと早く退院できるかも知れない」
数日前の検診の時、担当医は明るい調子で話してきた。自分でも、最初に比べれば、ずっと体の調子が良くなった気がした。痛みももうほとんどない。
回復が早まった理由は良く分からないけれど。
強いて言うならば―。
「そっか、そうだよね。もうだいぶ良くなってるもんね」
佳澄は桐山の言葉にまた嬉しそうに笑って、言った。桐山はそんな佳澄の顔を見て、自分の中でまたよくわからない感覚が広がるのを感じた。
―きっと、月村が来てくれていたから。
◆ ◇ ◆
時間が経つのは早いもので、気がつけばもう夕方になっていた。
日も大分のびていたから、まだ外は随分と明るかったけれど。
「桐山くん、じゃあ私、そろそろ帰るね」
佳澄は名残惜しそうに言い、椅子から立ち上がった。
これは、毎度の事だ。
佳澄は帰っていく。そうして自分は一人取り残される。
当たり前の事。…それなのに。
桐山はこめかみが酷く疼くのを感じた。
―何かが足らないという感じ。
最後の戦いを思い出す。
相手は三人組だった。
かなりの苦戦を強いられた。防弾チョッキをまとっていても、そのまま銃弾を浴び続けていれば、やがて失神して殺されていただろう。限界に近い状態で戦っていた。
それでもそのうちの一人を倒した後はあっけなかった。二人はほとんど抵抗する間も無く、桐山に殺された。
いや、一人は自分に向けて一度、銃を撃ったのだ。それは、頬を掠めただけで終わった。
桐山は最初の狙い通り一人の男子生徒を殺し、その後、自分を撃とうとした女子生徒を殺した。
最初に倒れた男子生徒にも、とどめの一撃を頭に撃った。
最後の生徒が崩れ落ちるのとほぼ同時に、桐山も膝をついた。
―終わった。
入ったままだったスイッチが漸く止まる。
目的は達成された。
自分はプログラムに優勝したのだ。
だが少しも嬉しいとは感じなかった。それは、いつもと変わらない。
生き残る事が目的だった訳では無かったのだから。ただ、ゲームを終わらせようとしていた、それだけ。
目的を失った後に残ったのは、果てしない虚無感だけだった。
もう誰も居ない。
自分以外に、誰も。
何かが足りない感じがした。
少なくとも、ほんの二日前バスに乗り込んだ直後までは満たされていた何かが、綺麗さっぱり無くなってしまった様な。
そんな感じが。
桐山はそっと手を伸ばして、佳澄の腕を掴んだ。
「桐山くん?」
佳澄は驚いた様に瞬きをして、そんな桐山を見詰めた。
―月村。
行くな。
月村が居なくなったら、俺は。
「どうしたの?桐山くん」
佳澄が心配そうな顔で桐山の顔を覗き込んだ。
―また一人になってしまう。
どうしていいか、分からなくなるんだ。
◆ ◇ ◆
「ええ、ですから桐山くん、彼女が来たらいくらか元気になるみたいで。いつも無口なのは変わらないですけど、何だか嬉しそうなんですよ」
「やはり気持ちの問題でしたね。…本当に、良かった」
桐山の担当医と看護士は、その頃、桐山の話題で盛り上がっていた。
ここに運び込まれて来た時はまるで生気の無かった桐山が、今では見違えるほど回復した事に、看護士は驚いていた。それに喜んでも居た。
冷たい、人形のように笑わない子ではあるけれど、毎日世話をしていれば情も沸いて来る。
ここは桐山家のかかりつけの病院だった。
桐山はほんの幼い頃からここで治療を受けて来た。彼の担当医は幼いころから桐山の成長を見守ってきた。それゆえに、「プログラム」という悲惨な状況に追いやられた彼のことを他人事として片付けられないらしい。
「そういえば、桐山くんのお父様は見えられていませんね。お仕事が忙しいのでしょうか?」
何の気なしにそう言った看護士は、そこで言葉を止めざるを得なかった。
いつも穏やかな表情を崩さない医師が、急に青ざめた―厳しい表情に変わったので。
そのとき、突然、部屋の電話が鳴り出した。
看護士が慌ててそれを取ると、低く抑揚の無い声がした。「青山を」
青山とは、今隣にいる桐山の担当医の名だった。いつもであれば、やんわりと相手に名前を名乗るよう求めていたところだったが、その受話器の向こうの声の威圧感におされ、看護士はおろおろと青山に受話器を差し出した。「…お電話です」
「私だ。今周りに人が居たら、席を外して貰ってくれ」
その相手の声を、医師はすぐに察した。厳しい表情で、控えている看護士に告げた。
「…すみませんが、大事な電話です。…席を外してください」
看護士は、寒気を覚えた。…不吉な予感がした。しかし逆らうこともできず、軽く一礼してその部屋を出て行った。
◆ ◇ ◆
「和雄の状態はどうだね?」
「ええ、大分良くなってきていますよ。傷もほとんど治ってきていますし。一時はどうなる事かと思いましたが」
青山は受話器の向こうの人物―桐山の父の性格を理解しているつもりでいた。
冷酷で、非情。…しかし、桐山を育ててきた、父であることに変わりは無い。
父親として、桐山の父が息子の容態を気にかけているのだろうと判断し、言った。
彼が喜んでくれる事を期待して。
しかし桐山の父はそれ以上尋ねようとはせずに、冷ややかな声で言った。
「ここの事を使用人が余計な人間に教えたみたいだが」
「余計な…?」
「誰か和雄を見舞いにきているやつがいるだろう」
「ああ、あの女の子ですか?…和雄くんのお友達と聞いていますが」
「まあ、単なる一般人なら問題はない、か」
少し間があった。
どうして面会に来る人間の事まで気にするのだろうか。…それならば、見舞いに来て、桐山に一言聞けば済む事だ。父親なのだから。
「厄介な事になったな」
「といいますと?」
「養子候補の中で、和雄は身体能力、頭脳共に群を抜いていた。あれほどの逸材はそう手に入るものでもない。だが」
電話ごしに聞こえる桐山の父の声は相変わらず冷え切っていた。
「和雄を桐山家の次期当主に据える事はできなくなった。非常に残念なことだが」
言葉とは裏腹に、彼の言葉に落胆の感情は込められていないように思えた。
「何故です?彼はプログラムに巻き込まれはしましたが、ああしてちゃんと優勝して帰って来たのに」
「表向きには大変名誉な事だろう。だが、世間的にはどうだ?プログラムでクラスメイトを殺して帰って来た者が、会社を率いる事が出来るか?」
青山はそう言われて、返す言葉が見つからなかった。
…確かに、それはそうかも知れない。けれど。
「和雄は優秀だ。実にな。私の最高傑作と言っても良いかも知れない。あいつは生まれたばかりの赤子の頃から私が丹精込めて作り上げてきた作品。プログラムで優勝したのもある意味当然といえば当然だ」
まるで物を扱うような口調だった。
「だがそう、後継者候補から外れてしまった今となっては、もはや桐山家ではあいつを養育する必然性は何も無いと言う事になる」
血が繋がっていないとはいえ、仮にも十数年育ててきた息子の事なのに。
青山は拳を握り締めた。…この人は、本当に…
そんな青山の思惑に気付いているのかいないのか、桐山の父は無機質な声で続けた。
「しかしあいつを手放すのにも色々と不都合がある。あれは優秀すぎて、私が手放しても、他の企業や研究者に目を付けられる可能性もある」
そして最後に、彼はとてつもなく冷酷な言葉を吐いた。
「いっそ、プログラムで死んでくれていたら」
つづく
2006/02/05
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