あの時。
俺は、いったい何が正しいのか、自分で判断する事が出来なかった。
誰かに、教えて欲しかった。
一体自分はどうするべきなのか。
「桐山くん?」
桐山の突然の行動に驚いてだろう、佳澄は少し頬を紅くしていた。最初に比べれば 随分と親しくなったとはいえ、桐山に対してまだはじらいがあるらしい。
桐山の方も佳澄に呼ばれてやっと我に返った。佳澄の腕を掴んでいた手をすぐに離して、言った。
「…いや、何でもない」
桐山自身、自分の行動に驚いていた。
俺は何故―月村に?
ちりっとこめかみが疼いた。
…月村が行ってしまうと思ったら―急に。
「もう、行くんだろう?引き止めて済まなかったな」
桐山はこめかみに手をやりながら、静かな声で言った。佳澄はそんな桐山をしばらくじっと見ていたが、やがて、決心したような面持ちで言った。
「良いよ。もう少し居る」
桐山はそれでほんの僅かに眉を持ち上げた。
「桐山くん…すごく、辛そう、だから」
佳澄は桐山が一度は離した手を、そっと取った。
「私で良かったら、話して?何か、悩んでるんだったら」
佳澄の大きな瞳が揺れていた。どこか悲しそうな顔をしている。
見舞いに来る様になってから、桐山が少しでも苦しむ様な素振りをすると、佳澄はいつもこんな顔をした。
どうしてそんな顔をするんだ、と聞いたら、桐山くんが心配だからだよ、と答えた。
…月村は俺を心配している。
最初は何とも思わなかった。佳澄が何を思っていようが、どうでも。
しかし、いつからだろう。いつからこんなに自分は佳澄に頼るようになってしまったのだろうか。
桐山は目を細めた。別に隠す程のこともない。
月村になら―話してみるのも、悪くない。
…佳澄なら―答えを教えてくれるかもしれないと思った。
「月村」
桐山が呼ぶと、少し佳澄の表情が強張った。
「俺にはわからなかったんだ。どうするべきか」
それから桐山は語り始めた。
自分が巻き込まれてきたーあの悪夢の様なゲームの事を。
「俺はどっちでも良かった。ゲームに乗っても乗らなくても。だから、分校を出て最初に女子を見つけた時、考えたんだ。コインを投げて―表が出たら政府と戦う、裏が出たら、ゲームに乗ろうと思った」
佳澄は驚きを隠せない様だった。だが桐山の話を中断させる気は無いのか―ただ黙って、聞いていた。
◆ ◇ ◆
桐山は言葉を吐き続けた。
「コインは裏だった。その女子を殺した。後から来た黒長は驚いて、俺を殺そうとした。
俺は黒長の首を、同じ様に切った。黒長は死んだ。その後の笹川も同じだった。怯えながら笹川が鞄から何かを取り出そうとしているのが見えたので、急いで笹川の背後に回って、また首を切った。笹川の持っていたマシンガンを取り上げた」
まるで機械の様に。ただ淡々と。
桐山は自分が見てきた全てを、ありのままに話し続けた。
「充が、最後に来たんだ。充はマシンガンで撃った。あっけなく死んだ」
佳澄は沼井の死の真相が桐山の口から語られたときは、思わず彼を見つめた。桐山とあんなに仲の良かった―少なくとも佳澄にはそう見えた―沼井充を、殺した、そのことを話すときですら、彼はその静かな表情を崩さなかった。
「充を殺した後。良くわからなくなった。だがもう決めた事だった。それから先は迷わなかった。みんな殺した。そういう決まりだと思って居たから」
桐山の口調にも、その表情にも、感情の揺らぎというものがまるで無かった。
「ゲームを終わらせようとしか、思っていなかった。最後に何発か身体を撃たれたが、
気がついたらひとりになっていた。優勝者は俺だ、という放送を聞いたら、急に疲れが出て来た」
ただ、感情を交えず語り続けるその様子はどこか、哀しそうだった。佳澄には、そう見えた。
桐山はそこで一旦言葉を切り―それからまた続けた。
「俺は生きていたいと、そう思ったわけではなかった」
その言葉は、桐山の「真実」を表していた。
◆ ◇ ◆
「だが、充たちは違っていたのだと思った。金井も、黒長も、笹川も、充も、北野も、日下も、月岡も、三村も、瀬戸も、織田も、杉村も、琴弾も、相馬も、稲田も、川田も、七原も、中川も、生きようとしていた。死ぬ直前まで、ずっと」
桐山は自分が手にかけた生徒たちの名を口にした。おそらくは彼にとって不可解な―「生への執着」を強く持ち、最後まで戦った者たちの事を。
「誰かに教えて欲しかったんだ。俺はどうしたら良いかわからなかった。ずっと」
桐山の言葉はどこか悲しげだった。
「月村…教えてくれないか」
まるで救いを求めているかのように。
「俺はこうして生きて帰って来た。それは正しい事なのか?」
佳澄は凍りついた様に黙って、そんな桐山を悲しそうな瞳で見詰めていた。
佳澄は、クラスメイトを何の感慨もなく殺したという桐山に対し、不思議と腹立たしさや嫌悪と言った感情を抱く事は出来なかった。
あるのはただ―深い悲しみ。
目の前に居る桐山はひどく不安定な存在に思えた。
理由はわからないけれど、桐山がそんな行動を取ってしまったのは―たぶんに、桐山のせいでは、ないのだ。彼は自分の命を守るために人を殺したのではない。「そう」してしまっても少しも不思議ではない状況に追い込まれて。
桐山の独白は佳澄にそれを伝えるに十分だった。
ひとつの「懺悔」と言っても良かったかも知れない。
桐山は自分の犯した事を罪と認識する事すら出来なかったのだけれど。
桐山くんは、分からないんだ。
それなのに―。
佳澄は胸が締め付けられる様な気持ちになった。
佳澄は桐山の手を優しく握って、言った
「…考えないほうが良いよ」
桐山は少し驚いた様に眉を持ち上げた。
「きっと考えても仕方ない事だと思う」
「なぜだ?」
「当たり前じゃない。そういうものだよ」
佳澄は穏やかな声で言った。
香川に越してくる前、佳澄は一度だけ―プログラムから帰って来たという生徒を目にした事があった。
家が近くで、たまに遊んでくれた、年上の女の子だった。
大人びた顔立ちに、いつも優しい微笑を絶やさなかったその一つ上の女子生徒は、すっかり変わり果てた姿になって帰って来た。
全身傷だらけになった彼女は既に狂気に支配されていた。
それでも彼女の両親は、そんな彼女を抱きしめて泣いていた。
「良く、良く無事に帰って来たね。本当に―もうどこにもやらないからね。もう怖くないからね」
そんな光景を見て、幼いながらも佳澄は涙した。
それからほどなく引っ越してしまったので、もうその女子生徒がどうなったのか知る術は無かったのだが。
それ以来、佳澄がいだいたのは、女子生徒への恐れでも、「プログラム」への恐れでもなかった。
こんなの絶対に―間違ってる。
お姉さんは悪くない。あんな優しかったお姉さんに人を殺させるなんてー絶対に、間違ってる。
口には出せなかったが、佳澄はその時から、政府に対する不信を募らせてきていたのだ。
悪いのは桐山くんじゃない。一番悪いのは―。
「そんなに自分のこと、責めないで」
佳澄は桐山の手をもう一度ぎゅっと握って、言った。
「正しいとか正しくないとか、そう言う事じゃない。桐山くんが生きてるってだけで嬉しい人だっているんだから」
佳澄はじっと桐山を見詰めて、そう言った。
佳澄は自分は勿論―きっと桐山の家族も、あの時のお姉さんの家族と同じ様に桐山の帰還を心から喜んでくれたものと、信じていた。
もっとも佳澄は桐山の家の事情だとか、そんなものは何一つ知らなかった。ただ思った事を口にしただけの事だったのだが。
「そういう、ものか」
桐山は呟く様に言った。
佳澄が顔を上げると、桐山はやはり静かな―しかしとても穏やかな顔をしていた。
「月村がそう言うのなら、…そう、なんだろうな」
長い睫がそっと伏せられた。
◆ ◇ ◆
佳澄の言葉は自分の答えを持たない桐山にとって充分なものだった。それまで不安定だった気持ちが、やっと落ち着いたような。…不思議な安堵感を彼は味わった。
父から与えられる答えではない、佳澄のくれた答え。
コインに依存してしまったときのように、それは桐山自身が導き出した答えではなかった。
しかしコインの様に、父の代わりであるとは何故か思えなかった。
桐山は、佳澄の言葉を信じようと思った。それは、桐山自身が判断したことだった。
「教えてくれてありがとう。月村」
桐山は佳澄をじっと見詰め―静かにそう言った。
佳澄はそれに笑顔で返した。
…なんか桐山くんにありがとうとか言われると―照れちゃうな。
そんなにたいした事はしていないのに、佳澄は少し気恥ずかしい気持ちになった。
でも、さっきよりずっと元気になったみたい。良かった。
「月村」
「え?」
考え事をしている最中呼ばれ、佳澄は慌てて返事を返す。桐山は佳澄が何を驚いているのかわからないといった風に首を傾げ、それから静かな声で言った。
「もう大分暗くなってしまった。―大丈夫か?」
「あ!」
桐山に言われて、佳澄は驚いた様に窓のほうに視線を移した。
日はとうに落ち、漆黒の闇が窓の外に広がっていた。
「ごめん、私帰る!」
佳澄はバッグを持ち、立ち上がった。
そう、さっきの時間ですらぎりぎりだったのに。
―お母さんに怒られる…
佳澄の母親は、このところ佳澄が桐山の病院に入り浸っていることを心配しているのだ。受験生である佳澄は、塾を休むことこそしなかったけれど、本来なら家で勉強している時期だった。
焦る佳澄とは対照的に、おっとりとした調子で桐山が言った。
「またな」
「うん。またね!桐山くん!」
桐山への挨拶も簡単に済ませてしまい、佳澄はとにかく急いで病室を後にした。
◆ ◇ ◆
佳澄が居なくなった後の病室はしんと静まり返った。桐山は身を起こしたまま、視線を窓の外に向けた。
胸に何かひどく温かいものが広がる感じがして、すっと手を胸に当てた。
帰ってきて以来、どこか苦しかった気分が、ようやく晴れた。もう不安を感じる事も無いのだろうと思った。
暫くぼんやりしているうち、桐山は眠気を感じ始めた。いつもより―少し、早い。
もう眠っても良い時間だろうか。咎める者もいなかった。
今日はたくさん話したから―疲れているのかもしれない。桐山はそう判断し―ベッドに横たわった。掛け布団を引き上げた。
すぐに深い眠りへと誘われる。桐山は静かな寝息を立て始めた。
◆ ◇ ◆
桐山が寝静まったころ、既に305号室の両隣の患者は、看護士によって別の場所へと連れ出されていた。抜き打ちの検査という名目だった。
しんと静まり返った夕方の廊下を、一人の男が歩いていた。
意識的に抑えた足音が、僅かに反響した。
かつん、かつん。
その音はゆっくりと、しかし確実に桐山の病室へと近づいてきていた。
◆ ◇ ◆
その頃佳澄は病院のすぐ外に居た。
「ごめん、ほんと、すぐ帰るから」
「何時だと思ってるの。今すぐ帰ってきなさい」
ややヒステリックな母の声が、携帯越しにその怒りの大きさを伝えた。佳澄はしゅんとした。
恥ずかしいので、母親には男の子のお見舞いに行っているとは言っていない。
…心配してくれてるのは分かるけど、でも。まだ6時半じゃない。ほんとはもう少し、桐山くんといたいのに…
しかし、考えても仕方の無いことだった。「帰らなければいけない」ことはわかっていた。あまり母親に心配をかけたくない気持ちがあることは、確かだった。
桐山くん、夕御飯ちゃんと食べてるかな。佳澄はちらっと病院の方を仰ぎ見た。
今日は急いでいたので、ちゃんと顔も見ずに別れてしまったけれど。
佳澄は、はっとした。
そう言えば。
桐山くん、「またな」って―。
初めてだった。
桐山の方から、そんな言葉を言ってくれたのは。
…桐山くん。
佳澄は急にまた桐山の顔が見たくなった。
しかし、彼が言うように、また、会えるのだ。気持ちを切り替えようと、バス停に向かって歩き出した。そこで佳澄はあることに気がつく。
「いけない、忘れ物―」
桐山の病室に置き忘れてきたものがあった。
バスカードだ。あれがないと帰れない。
面会終了時間の7時まで、あと25分しか残っていなかった。
―急がないと。
佳澄はもう一度病院に戻る事にして、走り出した。
つづく
2006/02/07
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