「やるべき事がある。終わらせたら、戻って来る」
多分、それを終わらせなくては、俺は俺で居られない気がするんだ。
桐山和雄は、ある家の門の前で佇んでいた。城岩町の高台に位置し、いわゆる「高級住宅街」と称される一角にあって、一際目立つ屋敷。
軽く欠伸をし、幾度か手を開いたり閉じたりした。何かを確かめるかのように。
休養は、佳澄のお陰で充分に取れた。体調は万全とは言えないが、特に問題はない。
インターホンを押す。
ポーン、と拍子抜けしたような電子音が響いた。すぐに返って来るはずの執事の応答はない。代わりに、目の前を塞いでいた重々しい門がぎいいっ、と耳障りな音を立てて開いた。
桐山は足をすっと踏み出した。特に表情を変える事無く。
「屋敷の主の子息」であった以前とは、異なった歓迎のされかただった。
出迎える人間の種類も、また。
屈強そうな、黒いスーツの上下を着た男たちが数名、庭木の陰から現れた。
「…旦那様は奥でお待ちです。」
男の一人が抑揚のない声で言った。
桐山はそれには応えず、勝手知ったる屋敷に通ずる道を、ただ進んで行った。男たちはその桐山の、少し後から付いてきた。足跡はほとんど立てずに。
庭木がざわざわと揺れた。
◆ ◇ ◆
「…来たか」
この屋敷の主―桐山財閥の現総帥、は自室の大きめの窓から外に視線をやりながら、低い声で呟いた。屋敷の最上階に位置するこの部屋からは、無論、外の様子を窺い知る事は不可能であったが。
「訪問者」の情報は逐一部下が報告を入れてくる。
今回の「訪問者」が再びこの屋敷に戻って来ることを、彼は早いうちから予期していた。
青山が息子を殺せるなどとは最初から思っていなかった。
以前、彼がもう少し若かった時は生意気にも息子の教育に関し意見をしてきた事があったが、医学部長を通じて彼に僻地への左遷を持ちかけ圧力をかけたところ、それ以降は至って従順になった。
今回は、そんな彼の忠誠心を計るちょっとしたテストのつもりではあったが、所詮情に流されたといったところか。それも予想の範囲。彼の腕は評価しているのでお咎めはなしとしよう。
それに自分としても「息子」に今死なれてしまっては困るのだ。
あれは息子に対してのテストでもあった。そう、第二関門。手負の身とはいえあんな非力な医師にやすやすと殺されてしまうようでは困る。
第一関門は既にクリアしている。「プログラム」からの生還。
実験と研究を積み重ね、あらゆる強化処理と教育を繰り返して作り上げたわが自慢の「作品」がいかに優秀であるかが、証明された。
◆ ◇ ◆
がちゃっと、扉がノック無しで開いた。
「まあ、あの程度で死んでいるようなら、お前に私の息子たる資格はなかったと思ってもらっていい」
総帥はくるりと回転椅子をドアの方へと向けた。
そこには、白いシャツをまとった、桐山和雄が立っていた。
彼をして「最高傑作」と言わしめる、常識では考えられない程の知識と、身体能力を身に付けた少年。
その姿を認めると、総帥は口の端を吊り上げた。
「お前は三度の死線をくぐりぬけた。合格だよ」
「…三度?」
総帥―育ての父の言葉に、桐山は僅かに怪訝そうな顔をして首を傾げた。
総帥は冷たい微笑を浮かべたままだった。
「お前の、本当の両親の話をした事はなかったな。」
総帥はそこでつと自分の眼鏡を上げた。銀縁の眼鏡。レンズごしに覗ける視線は冷え切っている。
「せっかく、帰って来たんだ。この機会に話しておこう」
桐山はほんの僅かに眉を持ち上げたが、沈黙を守っていた。総帥は椅子から立ち上がり、視線を窓の向こうにやりながら、言った。
「お前の父親は、小さな工場の経営者だった。―ああ、ちょうど、今この屋敷があるあたりに工場があってな」
窓から差し込んだ光が、総帥の顔に陰影を刻んだ。
「十数年前、たまたま、私がこの町に来た時、一目でこの土地が気に入ってな。屋敷を建てるには絶好の場所だと思った。お前の父親に土地の売却を持ちかけたのだが 中々首を縦に振らなかった。それなら、と言う事で色々と手を回させてもらった。―随分若かったから、知らなかったんだろうな。わが財閥を敵にまわす事の恐ろしさを。」
「………」
総帥はそこで一旦言葉を切った。息子の表情を窺うように、じいっと彼を見つめた。彼の表情に変化がないことを確かめたらしい。僅かに口の端を歪めて笑った。
「過去に何度もやった事だがね。私に逆らった奴の工場は潰れ、自宅も差し押さえられた。随分借金もあったみたいだよ。とりあえず家族を連れて、安いアパートに引っ込むしか選択肢がなかったんだろう。もっとも家族といっても結婚したばかりの妻が一人だったが。―いや、正確に言えば、もうひとり」
桐山の眉が、僅かに持ち上がった。
総帥はそこで声のトーンを意識的に低めた。
「身重の妻を連れて、いわば夜逃げをしたわけだ。だが私の末端の部下が、それを黙って許しているわけもなく」
桐山はそこでちりっ、と自分のこめかみが疼くのを感じた。
強い疼きに、思わず手を触れる。幾度か撫ぜたが、痛みに似た疼きは収まらない。
「部下から逃げる奴の車は、コントロールを失って衝突事故を起こした。夫は軽傷で済んだが、妻は即死の状態だった。全身に硝子の破片が刺さってな」
ちりちりと疼き続けた。―破片。破片に襲われる夢も何回か見た事があった。
―俺の母親は、死んでいたのだ。
「病院がすぐ傍になければ、胎内に居た子供のお前も助からなかっただろうな。―破片は胎内にまで食い込んでいて、胎児の頭も傷つけていたから、それは一刻を争う手術だった。これは手術をした医師に聞いたんだが、父親はほとんど半狂乱になって、それこそ土下座までして、金はいくらでも出すから息子を助けてくれと懇願したそうだ。家を取り戻す金さえ持てなかった男が。理解に苦しむよ。」
―若い男の声を、思い出した。
少し年配の男の声とのやり取り。
「…ですから息子さんを救うことは出来ます。ただし、それ相応の報酬は頂きますがね」
「いくらでも出します!私にはもう…その子しかいないんです…」
ついこの前見た夢の中で聞いた。
必死そうな声。
―あれは。
総帥は一定のトーンで話し続ける。
「そのまま放置していれば、植物状態になるのは免れなかった。しかし、手術は成功した。私が、手術代を全額支払ってやったのだ。このまま死なせてしまうには惜しい素材だったからな。その生まれたばかりの赤子は、常人離れした記憶力を備えていた。 手術前の脳のスキャンの結果わかったことだ」
桐山はこめかみを撫ぜた。
自分のことを言われていると言う事は分かったが、いまひとつ実感が沸かない。
「その時既に何人か養子候補を育てていた私だが、医師から報告を受けて、考えた。もう一人くらい子供を増やすのも悪くないと。最終的に私の手元に置くのはひとりなのだから。出来るだけ優秀である事が望ましい。生まれてすぐに引き取れば教育はこちらでいくらでも施せる。私は奴にチャンスを与えたのだよ。もし赤子を私に譲るのならば、手術代はもちろん、それに奴の抱える借金もこちらが全て負担すると」
初めて知る自分の出生の秘密を受け入れるのに、珍しく頭が混乱しているようだ。
総帥はまるでものを扱うかの様な口調で、「桐山和雄」の過去を話した。桐山自身は、それが当たり前だと思っていた。―それはおかしい、と言ったのは佳澄だった。
「あの執刀医は元々私の息のかかった男、私の力添えのお陰で病院に居られるようになったのだから。私が言う事ならば何でも聞いた。だがお前の父親は随分頑固でな。借金は何年かかっても自力で返す、だから息子は連れて行かないでくれと言って聞かなかった。…あまりうるさかったので、二度と日の光を浴びられないところに埋まってもらったが」
―父親も。
父親も、死んでいた。
二人とも―目の前にいるこの男に、殺された。
本来なら、ここで総帥に対し、怒りの感情を覚えるものなのだろう。きわめて理不尽に肉親と、自由を奪われたのだ。
けれど桐山はそうならなかった。
不自由な部分―たった今明かされた、生まれる時の事故で奪い去られた機能は、こめかみの疼きと言う形でしか、彼の衝撃を語る術を持たなかった。
ただ、このとき既に桐山の思考は「判断」を下していた。
「…なぜその話を、俺に?」
「これもテストの一つだよ」
顔色を変えない桐山に、総帥は楽しくて仕方がないとでも言う風に言った。
「クラスメイトを情け容赦無く殺す事の出来たお前だ。今の話を聞いた所で、何も変わりはしないだろう。お前は実に優秀に、私の思うとおりに育ってくれた。…厳しく育てた甲斐もあった」
目の前に立つ桐山をその濁った瞳で見詰める。
「私はお前の死は望んでいない。今のお前の死は。お前はわが財閥の繁栄に大きく貢献してくれるだろう。お前が財閥を継ぐ頃には、お前がプログラム優勝者だという過去も忘れ去られているだろう。それを口にするものが居たら、実力で黙らせるだけだ。何も問題はない」
桐山に対しきわめて冷酷な教育を施していた以前とは、正反対の態度だった。
ここでは口に出さなかったが―総帥は、息子がプログラムに選ばれたと知って、最初こそ驚いたものの、後は非常に喜んでいたのだ。大東亜の上層部に自らの「作品」の優秀さを示す、絶好の機会であった。
そして彼は実際、忠実に教えを守った。
担当教官から「私は息子さんに賭けましたよ。他の先生方も大勢」との連絡を受けたときは、こみあげる笑いを抑え切れなかった。「自慢の息子だ。当然のことだろう」
桐山の担当医である青山に、「桐山を財閥の跡取りに据える事は出来ない」との電話をかけたのは、本心ではなかった。今口にしたとおり、彼を使って息子の忠誠心をも計ろうとしたのだ。
言い換えれば、彼は「息子」にそれだけの期待をかけていたのだ。たとえプログラムに巻き込まれようと、医師に殺されかけようと、「桐山和雄」は自分の元へ何度でも戻ってくるという自信が、総帥にはあった。
そのように「育て上げた」のだから。
もちろん桐山は、そんな義父の思惑を知らなかった。以前の桐山ならば、何一つ考えることなく、義父に従っていただろう。
しかし、今は違った。
彼の記憶に刻まれていたのは、この男が自分を殺せと命じた事、自分の帰還を望まなかった事。
それはもうどうやっても覆る事はなかった。
桐山は感情の篭もらない声で、冷たく言い放った。
「あなたは一度俺を捨てた。だから俺はもうあなたの息子じゃない」
「…何だと」
「会社を継ぐ事にも、以前の様な生活を送る事にも興味はありません」
信じられない、とでも言う風に目を見張る総帥に構わず、桐山は淡々と続けた。
「俺は、もうどっちでもいいとは、思わないんだ。」
桐山は総帥に背を向けた。そのまま、歩き出そうとする。
総帥は声を荒げた。
「待て、貴様、育ててやった恩を忘れおって…」
桐山は足を止めた。
珍しく取り乱した、「義理の」父の顔があった。
桐山はふと浮かんだ疑問を、総帥に投げかけた。
「俺を必要とするのはなぜですか」
「決まっているだろう、お前は私が育てた最高傑作だ、お前ほどの逸材はそう見つからないだろう」
「………」
わかりきった答えであった。
総帥はじっと桐山を見据えた。乾いた唇で言葉を紡いだ。
「和雄、お前は私の息子だ。後継ぎだ。お前が生きているのはそのためだろう。私に逆らう事は許さん」
桐山が脳の傷を回復して、初めて桐山家に来た時、総帥は催眠術師に命じて桐山にこう暗示をかけた。
それは感情を持たない桐山にとって、全ての行動基準となった。―今までは。
「………」
桐山は表情を変えずに、再び背を向けた。もうとうに暗示は解かれていた。
佳澄の与えたきっかけと、桐山自身の「意思」によって。
総帥は舌打ちした。
「どうやら暗示が解けてしまった様だな。二度と解けない様に今度は脳に直接チップを埋め込んでやっても構わないんだぞ。…お前達、和雄を取り押さえろ。気絶させても構わん」
総帥のその言葉に、控えていた黒づくめの男たちは、一斉に桐山を取り囲んだ。
桐山はすっと目を閉じた。
―十人。
片腕で事足りるだろう。
一人が桐山の左腕を掴んだ。
しかしすぐに「ぐっ」とくぐもった呻き声を上げて、崩折れた。
どさり、と音。
総帥は目を剥いた。倒れた男は泡を吹いて気絶していた。
「な…」
桐山和雄は静かな表情を崩さず、そこに佇んでいた。
残りの男たちの表情が強張り、ぴん、と張り詰めた空気があたりを包んだ。
桐山は既に身体を戦闘態勢に切り替えていた。
男たちは互いに目配せをし、今度は、九人で桐山に向かって来た。一人づつでは危険と判断してのことだ。
総帥のボディ・ガードとして選び抜かれた精鋭たち。それなりの訓練を受けてきているものたちばかりなのだろう。
しかし、それは桐山もまた同じだった。
いや、彼が物心ついて以来受けて来た過酷な訓練に比べれば、彼らのそれなど生易しいものだった。
総帥は「実験」と称し多数の養子候補達に「特殊教育」を施してきた。
しかしそれは到底並の人間に耐えられるものではなかった。
ある者はあまりの恐怖に耐え切れず逃亡し、またある者は重傷を負い生ける屍と化した。
金に糸目をつけぬ、常識離れした総帥の欲望―大東亜一強い人間を造りあげる、それを満たしたのは「桐山和雄」ただ一人だったのだ。
自分の身体を思いやる心―本来、人間に備わっている恐怖心、自己保身への執着がまるでなかった彼であるからこそ。
生まれつき、人並みはずれて優秀な記憶力を備えていたかもしれないが、それ以外の身体的機能は普通の人間と変わらなかったと言うのに。
床に転がった男たちは十人に増えていた。もはや「彼」を止められる者など誰もいなかった。
総帥はわなわなと震えた。
非力な中学生たちとは違う。何人もの人間を手にかけた、殺しのプロたちばかりなのだ。この男たちは。そして、この屋敷に待機している者の中でも、選りすぐりの強者たちばかりなのだ。
「ば、化け物…」
初めて、彼は息子の前で恐怖の感情を露にした。歯をがちがちと震わせ、後ずさった。
とんでもない「もの」を作り上げてしまった。…もはや私の手には負えない。
桐山はそんな父を冷たい瞳で一瞥した。
「あなた以外に、俺を必要としてくれる人が出来た。だから俺は二度とここには戻らない」
もう、この男に用はない。
「他の誰が俺を利用しようとしたとしても、俺はその人以外のところに行くつもりはない。…それなら構わないだろう」
獲得した知識、技能以外の、「何も持たない自分」を必要としてくれている人が居るから。
「私、桐山くんに生きてて欲しいの」
―月村が、待っていてくれるから。
「それだけ言いたかった。…もうここに用はない」
背を向けた。
ドアの向こうへと歩を進める。水を浴びせかけられたような表情の総帥を残し。
それきり二度と、桐山は振り返る事はなかった。
◆ ◇ ◆
屋敷の外は肌寒かった。使った左腕がほんの少しだるい。身体を動かしたのは、久々のことだった。
「………」
桐山はふと、両親の事に想いを馳せた。
以前ならば、何も感じなかっただろう。
会ったこともない本当の両親のこと。
どんな死に方をしていようが、どっちでもよかっただろう。
…もしかしたら、自分を想っていてくれていたかもしれない、肉親。
「どうか生きて」
「お願いします、その子だけは助けてください」
誰かに大切に想われる事が温かい事なのだと、佳澄に教えてもらったような気がした。
「これからは、いつでもここに来ていいから。私、桐山くんと一緒にいたい」
そう言って自分の手を握ってくれた佳澄。
行きがけに、自分を抱き締めて、気をつけてね、何かあったらすぐ電話してね、不安そうな顔で何度も繰り返した。
「………」
こめかみがちりっと疼いた。…早く、佳澄の顔が見たいと思った。
つづく
2006/02/14
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