世界でいちばん優しい音楽


ギターをかき鳴らす音が聞こえて来る。
軽快で楽しげな旋律。
決して完璧とは言えないけれど、聴く者を捉えて離さない音楽。

七原秋也は、いくらか長めの演奏を終えると、自分の傍らの椅子にギターを置いた。
聞き入っていた女子たちはわっと歓声を上げた。
「すごーい、七原君」
「それ、新曲だよね、格好いい」
「ありがとう」
集まってきた女子たちに微笑みかけつつ、秋也は額に薄く滲んだ汗を拭った。
退廃音楽としてこの国ではタブー視されているロックに情熱を注いでいる秋也だが、
発表の場には事欠かない。放課後の第二音楽室。理解のある先生は黙認してくれているし、
告げ口をするような心の狭い生徒も幸い居ない様だった。何時の間にかここで新曲を披露するのが習慣になっていた。たくさんの女の子たちが聴きに来てくれる。それで鼻の下を伸ばすようなところが全くないのが秋也の秋也らしいところかもしれない。

女の子達は次々に教室を出て行った。またね七原君、手を振る子には秋也も同じ様に返した。
ファン・サービスのつもりはない。彼には自分がもてている、という自覚はなかったので。

「すごかったわ、秋也くん」
「典子さん」
他の女子に混じって演奏に聞き入っていた、秋也と同じクラスの中川典子が近づいてきて、言った。
「今回の曲、すごく好きだな」
「ありがとう。…実は結構間違えてたんだけど」
くしゃっと自分の髪を撫で付けてはにかむ。典子はまあ、というふうに一瞬目を丸くしてから、くすくすと笑った。典子はいつも秋也の演奏を欠かさず聴きに来た。単なるファンの感情を越えた想いを胸に秘めて。
「今日は委員長達と一緒じゃなかったの?」
「幸枝は学級委員会。聡美は塾。はるかは部活で顧問の先生に呼ばれてて、祐子はお休みだし。皆今日は都合悪かったの」
「でも典子さんはひとりでも来てくれたんだ?」
「…さっきまで泉と加代子も一緒だったわ。二人とも、先に帰ってもらったの」
秋也の問いに、典子は僅かに頬を紅色に染めて目を伏せた。
学活が終わってすぐに帰ろうとした二人を引っ張ってきた事は、秋也には秘密だ。
「それでも嬉しいよ。ありがとう」
秋也はそう言うと、傍らのギターを手に取った。
「…良かったら、もう一曲聞いてかない?まだ人前で弾いてない奴があるんだ」
「…いいの?」
典子は頬を真っ赤に染めた。―秋也がまだ誰にも聴かせていない曲を聴く事が出来る。
これ以上の幸せがあるだろうか。
秋也は、得意げにギターに手をかけた。
「もちろん」



秋也は演奏を始めた。
しっとりとした旋律が奏でられる。
いつもの秋也の曲とは少し異なった趣の曲だった。
聴いていて典子は気付いた。この曲は…どこか、切ない。

秋也の顔を見た。
いつも楽しそうにしていた秋也の顔も―苦しそうだった。
…秋也くん?
やがて曲は中途半端なところでふっと止まった。
「…?」
典子の戸惑ったような視線に応えるように、秋也は苦笑して、言った。
「ごめん。これまだ練習中でさ。…ここまでしか弾けないんだ。…なかなか難しくて」
典子は微笑んだ。
「…ううん。ありがとう。…これもすてきな曲ね」
「今度までには弾けるようにしとくよ」
秋也はギターをケースに入れながら言った。
拡げていた楽譜も折りたたんで、鞄にしまう。今日はもう帰るのだろう。

「またね、典子さん」
重そうな荷物を抱えて、屈託のない笑みを浮かべる。いつもと同じ、見ているだけで胸が温かくなる筈のその笑顔。どこか違って見えたのは、気のせいだろうか。
「秋也くん」
「―え?」
引き止められて、秋也は僅かに不思議そうな顔をした。
「…その曲、少し悲しい感じがするわ」
典子はそう言った。―素直な感想だった。
秋也はふっと小さく溜息をついた。
典子ははっとして、謝った。
「ごめんなさい。―変なこと言って」
秋也はいいんだよ、というふうに笑って見せたが、やはりその笑みには力がなかった。
ぽつりと呟いた。
「失恋の曲なんだ、それ。」

典子は思い出した。
秋也は同じ音楽部に所属していた先輩が好きだったのだ。
忘れようにも忘れられないその事実。
「…ちょっと今、そんな気分になって。ごめん、暗くして」
「…ううん。いいのよ。聴けて、嬉しかったし」
失恋したのだと聞いた。
典子からすればーそんな先輩の気持ちが理解できない。こんなに、素敵な男の子に告白されて断るなんて。あたしだったら…。
もし、あたしだったら?
「―典子サン?」
秋也に呼ばれて、ふっと我に返る。じわっと目元が熱くなった。
今の気持ち。…顔に出していただろうか。
「…今日はありがとう。また、聴きに来るね」
無理に笑顔を作り手を振る。
「ああ、また」

早足で音楽室を出る。―何だかとても胸が痛かった。秋也の顔を見るのが辛かった。
秋也の奏でた悲しい旋律がよみがえった。
秋也の気持ちは、切ないほどにわかった。
じぶんも、同じだから。

やっぱり、あたしでは駄目ですか。
あたしがあなたでないと駄目なように。



おわり



後書き:初書き七典。むしろ典七。
プログラム前、典子が片想いしてた頃の話ですね。
…この二人に関しては今まで筆が動かなかったのですが。
片想いはやはり切ないと。
ちなみに後日談があります。

まごころを、君に。